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ことばを集めて新聞記者になった話(1)
「僕は信じている。自分がもし炭鉱夫だったら、必ず地下に人生の教訓を掘り出そうと努力したであろうと」
その本は、実家にある書棚のなかにあった。日の当たらない、薄暗い書庫にあった。ほかの本はよく保存され、つやつやした光をわずかに帯びていたが、その本だけはカバーがなかった。表紙のガサガサした感じをむき出しにして、遠慮がちに並んでいた。
小学生の僕がなぜその本を手に取ったのか、今は覚えていない。タイトルも正確には覚えていないが、「名言大全集」とかいうやつだった。出会い、別れ、仕事、死別……といったテーマごとに、偉人や小説、映画などの名言がいくつも紹介されていた。
それは、本が好きな人間はおそらく買わない類いの本だった。書店の入り口から一番遠い、自分がほとんど足を運ぶことのない、「生活」のコーナーに置いてあるような。平易で、ありきたりだった。今風に言えば、もっとも手軽な自己啓発本のひとつだったのではないか。
ただ、その本は表紙がよれ、ページは柔らかく、何度も読まれた感じがした。父も祖父も読書家だったから、もしかしたら活字が好きではない母の本だったのかもしれない。
ともかく、小学生の僕は、なぜかその本を手にとった。そして何度も読んだ。クラスに好きな子ができたとき、部活動で自分を奮い立たせたいとき、あるいは人生そのものに悩んだとき。
人間は生きられるものだ!人間はどんなことにでも慣れられる存在だ。わたしはこれが人間のもっとも適切な定義だと思う。
偉い人、賢い人の言葉はいつも簡潔で、的を射ていた。彼らの名言は、僕を直接助けはしなかった。だが、悩みの渦中から僕の意識を引きずり出し、外側から、僕の悩みがどうなっているのか、どんな意味を持っているのかを見るきっかけを与えてくれた。
「自分の悩み」が言葉によって解体され、「誰もが直面したことのある悩み」に変わる。そうすれば、もう恐れる必要はない。賢者は悩みに寄り添い、対処のすべを明かし、あるいは悩みを嗤い、受け流すことを教えてくれた。
朗らかさが今来ては困るという時はない。
「ものには必ず適切な名前を使うように。名前を恐れていると、そのもの自身に対する恐れも大きくなる」
僕が文章を読んだり書いたりすることに夢中になるのは、部活動と受験勉強に明け暮れた高校生活が終わって、大学生になってからだ。2時間の通学、授業の合間、休日。400円くらいのコーヒーで何時間も粘って本を読み、感想を書き続けた。
そのなかで、続けたことがある。感銘を受けたり、琴線に触れた言葉をノートに書き写すことだ。僕は意識したわけではなかったが、「名言集」の続きを、自分の手で探し、集めるようになっていた。それが自分の「名言収集癖」ともいうべき行動の始まりである。
人間であるということは、とりもなおさず責任をもつことだ。人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると感じることだ。
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