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ことばを集めて新聞記者になった話(7)
「脱藩か。それもいいなあ」
ひとごとのようにいった。そこにひろびろした青空のような人生が待っていそうな気がする。
バスで寝過ごした乗客みたいなものだった。
大学時代の僕が選んだバスは、最初、目的地に向かって快走していた。ところが気がつくと、思わぬ方向へと突き進み始めていたのだーー僕がやることはただひとつ、「次、停まります」のボタンを押すことだけだった。
「強い者より弱い者が苦しまなかったと誰が断言できよう」
眠れなくなって、身体中の関節が重くなった。頭が痛くて、常に熱っぽかった。転職活動を始めた時の僕は、そんな状況だった。平気な顔して仕事をして、人目を忍んで、コンビニのアイスクリームを何本も食べて頭を冷やした。
たいていの人は自分たちで作った網に追い込まれてそのことに気がつかない。
育ててもらった会社を去ろうとしていることは、しのびなかった。誰にも相談できない。唯一の拠り所は、本のなかだった。
大学時代ぶりに目を通した「竜馬がゆく」。脱藩をした竜馬がひそかに先祖の墓参りをするシーンに感動して、目元をぬぐった。
ーー人の命はみじかいわい。わしに、なんぞ大仕事をさせてくれんかネヤ。
と、頼んだらしい。
もうひとつ印象に残ったのが、「タタール人の砂漠」という小説だった。それはあまりに、当時の自分の姿を正確に言い当てていたから。そしておそらく、会社にとどまり続けた場合の未来についても。
細かい規則を、厳格な規律を守り、責任感の強さを自負して、それで充分だと思っている。だが、彼に向かって、お前は生きている間ずっとこうなのか、最後までおなじなのかとそう問いかければ、彼も目覚めることだろう。そんなことはありえない、と彼は言うにちがいない。なにか違ったことが起こるにちがいない、なにか価値があると言えることが。
文章が書ける仕事をーー。しかし、転職活動を始めると、そんな仕事は数少ないことにすぐ気づかされた。
多くの会社と人は、情報を記すために文章を使っているにすぎない。
情報発信のすべは、次々と動画や視認性のよいスライドに置き換わっていた。「読ませる文章」に、どれほど価値があるのか。それを、どれくらいの人が価値と認めてくれるのか。それは、実は、ほかならぬ大手マスコミ自体が解決できていない課題でもあった。「新聞記者はつぶしがきかない」とはよく言われたものだ。
目についた求人に履歴書を送り、落ち続けた。僕はだんだん、諦めていた。望むことはただひとつ、安らかに生きて、妻との時間が過ごせる仕事。これだけだった。
一度信じたものから距離を置き、これまでの自分を疑い新しく生まれ変わる勇気を持つことのできる人間など多くない。それは大変な苦痛だから。
書くことは、プライベートで可能性を探ればいい。こんなに好きなのだから。でも、仕事として書き続けることは、もう、無理なのかもしれない。
そこまで考えていたときに、いまの会社と繋がった。ニュースとは別の世界で、取材・執筆ができるライターがほしい、と打診された。
何回かの面接を経て、内定が出たとき、神様から「お前はまだまだ書き続けろ」と言われた気がした。「本当に新聞社を辞めるのか」と逡巡する暇はなかった。
そう、人生は勝つことより、負けることの方が数多いのだ。
そして人生の本当の知恵は「どのように相手に勝つか」よりはむしろ、「どのようにうまく負けるか」というところから育っていく。
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