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僕の習慣独立宣言

「習慣」は、現代人にとってもっとも大切な武器であるという。

考えてみれば、そのとおりだ。「無意識でしていること」が、暮らしのどれほど大きな割合を支配していることか。

日々の習慣を思い出そうとして、僕が苦労をしたのも、そのためである。無意識だから、思い出せない。思い出せても、つまらないものに思えてしまうのだ。

朝起きて、まずスマホでSNSを覗く人。郵便受けから新聞を取って読む人。冷たい水を一口飲む人。テレビをつける人。どれも何気ない行動だが、しかし一日の滑り出しを決定的に色づけている。習慣とはおそろしい。

だから、「習慣」は企業から付け狙われている。こんにち、多くの人が暇に耐えられなくなると、LINEやYouTube、X(旧Twitter)を開く。そしてスクロール。スクロール。更新。更新。「なにか面白い投稿」が視界に飛び込んでくるのを待っている。大口を開けて獲物を待つワニみたいに。

そういうなかで本を読んでいる人は、読書の習慣を身に付けた人だ。運動する人もしかり。文章を書く人も。もちろんそれも出版社やフィットネスクラブなどの仕掛けに乗った習慣なのだけれど。ただここで大事なのは、習慣は「選ぶことができる」ということだ。

「日々の大切な習慣」とはよく言ったものだ。習慣は大事なものなのだ。僕たちはそれを意識して守らなくてはいけない。そうでないと、意図せざるつまらないものに、時間は容易く流されていってしまう。なんてもったいない。正気にかえって青ざめた頃にはもう遅い。

何かの分野に習熟するには、1万時間かかるという。僕は1万時間かける覚悟のないものには、1秒たりとも時間をかけたくないのだ……とは思う。思っているだけで、ぜんぜんできていない。それが悲しい。ほんとうに情けない。

仕事以外でもたくさん文章を書いて、表現の幅を広げたいのだと思うのだけれど、気がつけばソファに寝そべってスマホで麻雀をやっている。YouTubeで、楽しそうな草野球のプレー集や、お笑い番組の切り抜き動画が無限にオススメされて、やめたいのにやめられない。

毎回、「もうやめたい」と思いながらやってる

ちょっと気を取り直して、調べものをしようとしたら、いつのまにかXの誰かの投稿を開いている。なんだかトレンド一覧に気になるものがあって、それを選択している。ひねりのきいたコメントがいくつかあって、いいねする。

違う違う。こんなことがしたくて僕は生きているわけじゃない。僕はYouTubeのショート動画を1万時間視聴してソムリエになりたいわけでもないし、Xのトレンドを絶えず追い続けて「論客」としてアベマTVあたりに出演したいわけでもない。

そう思うのに、僕の大切な時間は、大切でない習慣に上書きされ、塗りつぶされている。これは収奪ではないかと思うのだけど、思うだけでどうしようもない。設定でアプリの起動時間を制限しても、やがてなし崩し的に解除されるのが関の山だ。なぜ分かるかって?僕はもう10回以上も設定し直しているからだ。

文章を書くことは大好きなのに、こうして文章を書くまでには幾多の艱難を乗り越えなくてはいけない。ああ、いっそ目が覚めたら無意識でキーボードとタブレットを起動して文章を打ち始めているくらいになれればいいのに。

そう考えると、なんだか毎日、顔を洗ったり風呂に入ったり、歯を磨いたりしているのは奇跡みたいに思えてくる。よくこの習慣は生き残っているなと思う。

お呼びでないのに、スマホの画面が光った。ありがたくない通知がトトト、と流れてくる。メール。日経新聞電子版。X。TVer。うるさい。僕はおまえたちなんかに負けないぞ。大切な習慣で、おまえたちみたいな大切じゃないものたちを、いつか生活から駆逐してやるんだ。

僕がやりたいのは、俗に言う「丁寧な暮らし」みたいな生活なのだ。デジタル端末に振り回されず、好きなものにじっくり時間を使うのだ。たしか、YouTubeにイメージにぴったりの動画があった気がするな。あれはほんとうによかった。えーっと……、どんなサムネイルだっけ。とりあえず検索結果の上から見ていくか。

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