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ことばを集めて新聞記者になった話(10)終
ただ手をこまねいて奇跡が起きるのをじっと待つつもりはない。世の中に飛びこんでいって、できる限りのものをもぎとってやる。
おそらく僕は、この眼にやさしくない「言葉の収集作業」を死ぬまで続けるだろう。旅は終わらない。人生が終わらないのと同じように。
ただ、このエッセイは終わらせなければならない。自分の来し方と向き合ったままでは、僕は新しい文章をうまく書き始められない。原稿に終止符を打ち、自分の過去にもケジメをつける必要がある。
どこで読んだのか失念したが、「文章を書く人は、書かないでいるよりも、書いた方が楽だから書いているのだ」という文に触れたことがあった。30年以上生きて分かったが、どうやら僕もそのクチらしい。
見聞した情報や考えたことを、文章という目に見えるかたちにして、はじめて心を安んずることができるーー。困ったことに、僕はそういう面倒くさい人間に生まれついてしまった。
「書くことは生きることだ」と、どこかの名文家が言った。僕の感覚は少し違う。書くことと、生きることは別だ。しかし、うまく書くにはしっかり生きなければいけない。そして生きている以上、書かずにはいられない。同一ではないけれど、切っても切れない「腐れ縁」。
「才能がなくたって生きていけるんだよ。だけど、どこかで信じているんだ。一万時間を越えても見えなかった何かが、二万時間をかければ見えるかもしれない」
言葉があったから、僕は苦しいときを乗り越えられ、就職、結婚などのターニングポイントだらけだった20代を突き進むことができた。「作家の喜びは、書く行為そのものにある」という言葉を心に留めていたから、多忙にあっても、僕は自分を見失わずにいられた。
言葉は、人を支え、強くしてくれる。僕はそれを操ることが大好きだ。文章を書くときの苦労や悩みさえも、愛おしい。
言葉を収集し続けた旅の現在地を、ひとつお見せしよう。これまで書いてきた「気に入ったフレーズを書き移すノート」は現在、7冊めを数えている。
最近はフレーズと出典、著者名がすぐに検索できるシートを作り始めた。2冊めまで打ち込み終えて、すでに900近い金言がデータになっている。
![](https://assets.st-note.com/img/1718124505640-XUcxQzq4Ui.png?width=1200)
この一覧表は、僕の旅の証である。そして、僕はその奇妙なデータベースを武器にしたい。
悪魔だって自分に都合のいい一節を引用できる。
「悪魔のように」巧みに言葉を操りたい。そして、「天使が書いた」かのように朗らかで、人の心を励まし、寄り添い、前向きにさせる文章を、書けるようになりたい。そう思っている。
適宜に働き、適宜にお遊びなさい。毎日を有益に楽しいものにし、時間をじょうずに使って、時の尊さをよくわきまえているという証拠を見せてください。
僕はいま、言葉を集めて積み上げた小さな丘の上に立ち、これから登るべき次の山を探している。
それも、だんだん定まってきた。これからは自分の言葉を作っていくのだ。30歳を過ぎて、ようやく、自分で言葉を編んでいくことを始める。
「ほんとうに人生の蒔き直しをやってみたい。いろんな経験が、してみたいのだ。人生への準備には、もううんざりだ。今こそ、生きてみたいのだ」
世界には、まだまだ書くべき沢山の「なにか」が、息を潜めて待っている。ひとりのライターとして、そんな予感がする。
もう、過去を振り返るのはおしまいだ。次はいったい、どんな記事が書けるだろう。
(おわり)
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