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ことばを集めて新聞記者になった話(3)

真の冒険とは目的も計算もなく出発し、思いもよらぬ運命との出会いを果たすことである。

オー・ヘンリー「賢者の贈りもの」

新聞記者となった僕は、まず地方都市に配属された。

研修で伝えられた、「初任地は第二の故郷になる」「地方時代は第二の青春」という言葉は、まったくその通りだった。僕はそこで、記者という仕事の基礎を叩き込まれ、そして学生時代おろそかにしていた恋愛を含む、人と関わることの全般を学んだ。

駆け出し記者の日常は慌ただしい。平日休日を問わず、事件事故が起きれば布団から飛び起きて、現場に急行した。丁寧で正しい取材があってはじめて、多くの人に伝えるに値する情報が届けられる。それが記者稼業の一丁目一番地であった。

配属されたばかりの頃、たまたま仕事で手いっぱいになった時に、火災が起きたことがあった。僕は抱えている仕事をいくつか挙げて、現場に行くべきか先輩に相談した。

先輩からの返事の代わりに、デスクから着信があった。「現場行け」。その一言だけで、電話は切れた。立派なデスクだった。その夜、会社に引き上げた僕に、丁寧に指導してくれた。

「1年目の仕事は、手ぶらでいることだ。仕事はすぐに打ち返せ。何かあったらすぐ動けるように、とにかく手ぶらでいろ」

それは僕が2年目になっても、5年目になっても、ずっと大事にした言葉だった。現場は情報の宝庫。一にも二にも、現場を踏む。それが記者の本能だった。

心に火がついていた。
現場に飛びたい。

横山秀夫「クライマーズ・ハイ」

僕は必死に動いて、ときどきミスをして、叱られ、それでも原稿を出し続けた。

本ばかり読んでいた学生時代は、街行く人に話を聞く仕事など「できっこない」と思っていた。でも、できた。なぜなら人に話を聞かないと、僕は「良い文章」はおろか、一行だって原稿を書くことができないからだ。文章を書くためであれば、僕はたいていのことができた。

そうやって、色々な人の話を聞き、原稿を書き、掲載された記事を大事に保管した。かつて名言を集めてきたノートのように、自分の記事を収めた茶色いスクラップブックが、部屋の片隅に積み上がっていった。

何度でもいい、機会はそのたびごとに新しい。昔の手柄など、老人はもはや考えていない。

ヘミングウェイ「老人と海」

取材は、そのたびに新しかった。本を読まなくても、世界は広がることを僕は知った。電話をかける。新しい場所にいく。見知らぬ人と話す。それができればいい。仕事でも、プライベートでも、自分の行動範囲は広がり続けた。

一方、本を読むペースは落ちなかった。読んだ本の数は大学時代から数えて1000冊を越えた。読む本は変わっていった。人と関わることをもっと学びたくて、女性作家の小説をよく読むようになった。

うまくいかないのは、私が彼女たちを崇めたてまつってしまうのに、彼女たちは崇拝なんぞ少しもして欲しくないという点にある。

山田詠美「せつない話」

ちゃんと覚醒をしているのは、今しかない。今しかこの恋の真価は分からない。

綿矢りさ「かわいそうだね?」

今思えば、あの頃の僕も、大学生時代と変わっていない。

学生の時は自分の生きる道や才能、そして政治や社会との関わり方について悩んだから、思想書や政治哲学の古典、生き方を描いた小説を読んだ。そして20代半ばになると、恋愛や暮らしをテーマにした本ばかりを読むようになった。

そして同じように、これはと思う言葉をかき集めては、ノートに書き写していたのだ。

情熱を傾けるべき仕事と、ゼロから広がっていった人間関係。同業の記者たちはライバルであり友達。公私はごちゃごちゃになり、僕の新社会人生活は、青春のように混沌としていた。

この人、なんだかかわいそう。その「かわいそう」が出てきたときに、私は恋愛が恋愛たるのではないか、と考えていた。だって、かわいそうな人から離れるのは、もっとかわいそうではないか。

角田光代「今日も一日きみを見てた」

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