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ことばを集めて新聞記者になった話(2)

僕は名言をかき集めた。

歴史の授業で出てくるような小説や、勉強していた政治や経済、哲学に関する本を中心に読んだ。大学時代の4年間で500冊以上読んで、数千文字の読書感想文を300記事書いた。ただそれくらい没頭していて、気がついたらこれくらいの数字になっていた。

読書するとは、知識の収集ではなく、いかに生くべきかを工夫する事であった。

小林秀雄「考えるヒント2」

読書は趣味であり、ちょっとした勉強であり、自分の人生の基礎を作るための作業でもあった。司馬遼太郎の「燃えよ剣」に熱をあげ、ドストエフスキーの「罪と罰」に思想の恐ろしさを覚えた。

「男の一生というものは、美しさを作るためのものだ。自分の。そう信じている」

司馬遼太郎「燃えよ剣」

一つの生命だけではいつも彼には足りなかった。
彼にはいつももっと多くの生命がほしかった。
彼はあの頃、自分を他の人よりも多くのものが許される人間であると考えたのかもしれない。

ドストエフスキー「罪と罰」

本を読むとき、「次のページに、もしかしたら自分が生まれた意味についての決定的な言葉があるのではないか」と常に期待していた。大人になって、それを書物のなかに委ねる必要はないことを知ったが、当時は大真面目だった。

そして、それは結果として人生の役に立った。真面目にやったからか、膨大な時間を注いだからか、あるいは本のチョイスが良かったからなのかは分からないが。

作家の喜びは、書く行為そのものにある。

サマセット・モーム「月と6ペンス」

何千という言葉の中から僕が座右の銘にしようと決めたのは、イギリスの小説家・モームの言葉だった。僕は昔から、書くことが好きだった。それは作文で賞をもらったことがあって、褒められた記憶があったからだと思う。

「好きで、得意なことを仕事にしたい」。多くの人が抱くであろう願望を、大学生だった僕も抱いた。そして、たくさんの言葉を集め、それらに導かれてきた自分にとって、それはすなわち文章や言葉に関する仕事であった。

政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。

マックス・ウェーバー「職業としての政治」

僕は新聞記者を目指した。自分一人で決めたことではない。経緯は省くが、いろんな縁や偶然が重なって、導かれるように「目指すことになった」というのが正しい。

しかしそれは自然ななりゆきであり、後から見ても正しかった。職業というものに「じわっじわっと穴をくり貫いていく作業」が求められるのであれば、尽きぬ熱意だけがそれを可能にする。社会人経験のない22歳の僕が胸を張れることも、書くことに対する熱意だけであった。

全国紙を何社か受けた。面接で志望動機を尋ねられたら、「書くことが好きだからです」と答えた。選考のどこかで、ほかの学生が「日本の医療制度に関心があって……」と、理路整然と話しているのが聞こえた。僕は「書くことが好きだからです」と何度も言った。

内定は、人事担当者からの電話で告げられた。「好き」の力が、重い門をこじ開けてくれた気がした。ハードな仕事であることはわかっている。でも、言葉を扱うプロとしてのスタートラインに立てた。険しくても、道がないよりは、あったほうがずっと良い。僕はそう思った。

「自分に能力があって、その能力を発揮できる場があって、お前は黙って通りすぎるかい?」

村上春樹「ノルウェイの森」



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