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【全文公開#03】東大生に愛された老舗喫茶店「万定フルーツパーラー」

*全文公開の記事は『看板建築 昭和の商店と暮らし』より2019年5月刊行当時のものです。

見開き

万定フルーツパーラー
■創業:昭和3(1928)年
■竣工:昭和3(1928)年
■設計者:不詳
■外壁素材:モルタル、タイル
■構造:木造2階建て


歴史はつくれない、積み重なるもの

店内写真

 午後2 時。「万定フルーツパーラー」の店内のラジオからは、ずっと春にまつわる曲が流れていた。

 本郷通りに面する一角に佇む「カレーライス ハヤシライスと天然ジュース」と書かれたシャッター。「万定フルーツパーラー」は大正3年に1代目が果物屋を創業、その後当時流行していたフルーツパーラーを隣の建物で始めたのだと、店主の外川(とがわ)喜美恵さんが話してくれた。

パーツ_スタンド看板

「初代である主人の父が有名な果物屋で修業して、ここで独立したんです。当時は東大病院のお見舞いに来る方にメロンなどをお売りして。バナナも病気したときにしか食べられないような高価なものだったんですよ。ちょうど千疋屋さんみたいなフルーツパーラーが流行りだして、果物屋は横のつながりがあったので、そんな話を聞いてうちもやってみようかって。隣の果物屋からスイカ持ってきてお出ししたり、フルーツポンチなんかも出してました。今では食べ物はダメだからって、お見舞いに果物は持っていく人はいなくなりましたけどね」

 当時のバナナの価値について、大正2年に日本初のフルーツパーラーを開業した銀座千疋屋の2代目・齋藤義政がこのように記している。

 今日ではあまりにも通俗的なものとなり随つて年中バナゝが食べられる。然も安い値で求められるといふ誠に幸ひな事が反つて平凡になつて別に大してありがたいとも思はれないやうな風になつてしまつた。
 著者が知つた頃はハワイから輸入したバナゝを大切さうに店頭にぶら下げて置いたものだつた。それを贅沢な人とでも申さうか、極く極く僅かの人だけ嗜好に商つていた。(『果物通』 四六書院〈 1930年〉)

手絞り天然ジュース

フルーツパーラー時代の名残で、現在も手で1 杯ずつ絞ってつくる

 本郷通りにはかつて都電が走り、万定フルーツパーラーのまわりも土地柄か本屋や雀荘が多く賑やかだった。

 100年続くこの老舗フルーツパーラーで、外川さんが仕事を手伝うようになったのは昭和30年頃。その後本格的に2代目のご主人といっしょにこのカウンターに立ち始め、ご主人が亡くなった現在は一人でお店を切り盛りしている。外川さんご夫婦は別に住居を構えていたが、当時はお手伝いさんも数名ここに住み込んでいたという。

レジ_01

米国NCR(ナショナル・キャッシュ・レジスター)製のレジは現役。「オハヨー州」と記載されたロゴ入り。

普段はどんな人々がここを利用しているのだろう。

「やっぱり東大関連が多いですよ。学生でも少し年齢層の高い人が多い。大学院生とか教授とかね。最近は春休みだから落ち着いてるけど、学会やイベントがあると忙しくなります」

 そしてほら、と壁を指差して「このシミも学生がみんなここに座って、同じ場所に頭をつけて本を読んでたのよ。昔はポマードだったからねぇ」

 机を挟んで向かい合った席の木の壁に黒いシミが2つ。長い歴史の中で勉学に勤しんできた学生たちもつかの間、ここで読書を楽しんだのだろうか。それとも授業をサボって、今日のような穏やかな昼下がりに物思いにふけっていたのかもしれない。

竹久夢二のエッチング

竹久夢二のエッチング。関係者からもらったものらしい。店の周辺に竹久夢二美術館がある。




 万定フルーツパーラーの現在の建物は、関東大震災のときに改装したものだ。といっても震災も第二次世界大戦の空襲でも、この辺りの被害は少なかったようだ。改装を頼んだ大工がハイカラな方で、まわりの店とは一風変わった西洋的なつくりとなった。店内の煉瓦造の壁や格子柄の床タイルもモダンで、やはり当時から気になっている人は大勢いたようだ。

「教授が教えてくださったんだけど、立原道造(詩人・建築家)さんのことを書いている本の中で、万定の話が出ているんですって。お店の図面を出して。きっといらしてくださっていたのね。建築学科がすぐ近くだから建築家の方はたくさんいらっしゃいます。丹下健三先生とか、安藤忠雄先生とか」

外から見た建物

上から見るとが看板建築のつくりがわかりやすい。

 これまでに改築の話はなかったのかと尋ねると、色々ありましたよ、と声を落とした。

「ビル計画とか他にもテイクアウトとかネット注文とかね。でも新しくしたらなんの意味もないでしょう。だって歴史はつくれないじゃない。きれいなお店はお金をかければできるけど、歴史は積み重ねだから。それがうちの財産。ここは古いからいいんですよ~って言って。ただ新しくする力がないだけなんだけどねぇ」。そう言って外川さんはくすくすと小さな花のように笑う。

 一人でお店を続けていくと決めたときに迷いはなかったのだろうか。

「主人が亡くなってどうしようかなと思ったけど、せっかく主人が頑張っていた店だし、子どもたちも『やめちゃうとボケちゃうよ』って。それに先生方にも励まされて、じゃあやってみようって続けてみたんですけど、やっててよかった。ここはね、学生だった方が助教授になって、教授になって、学会とかがあると寄ってくださるの。何十年ぶりに来たけど、全然変わってないねって懐かしんでくださる。だから私もあまり変えないようにしてるんです」。と外川さんは店内を見渡しながらそう語る。

 この店でどれだけの学生が、教授が、お腹を満たし、心を満たしてきたのだろうか。

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この昭和レトロな波打ちガラスも現在は希少なものになってきている。

 もし外川さんが引退したらこの店はどうなるのだろう。尋ねると「もうあとはないです」とさっぱりしたお返事。

「やっぱり好きじゃないとできないですよ、この仕事は。もう十分楽しませていただいたから、しょうがないですね」。いつまでできるかわからないけど、と言ってうふふと笑う。

 この後の予定を伺うと、夕方からエアロビにいくと教えてくれた。お店が忙しいと理由をつけて、つい休んでしてしまうこともあるけど、今日はお天気だから行かない理由はないわね、と楽しそうに話す。

「お店もエアロビも続けることに意味があるのよ」

 店を出ると暖かい風が吹いた。春が近づいている。来月にはたくさんの学生と教授たちで、この店は忙しくなるのだろう。

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店主_02

写真:金子怜史
文:編集部





「万定フルーツパーラー」が2019年の11月頃から休業されていると、SNSの情報を目にした。
お店にもお電話は通じなかった。
外川さんの星が瞬くような笑い声を思い出します。

またハヤシライス食べたいな。
カレーもすごく美味しそうだった。食べればよかった。
いち取材者にしかなれませんでした。

このお店を、外川さんを恋しく思う人がきっと何人も何十人も何百人もいるのだろう。

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長年継ぎ足しのハヤシライスと、できたてのバナナジュース


写真:金子怜史
文:編集部

万定フルーツパーラー
〒113-0033 東京都文京区本郷6 -17- 1
☎03-3812-2591
営業時間 11:00~15:00
不定休


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