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20 マドレーヌとフィナンシェ
[編集部からの連載ご案内]
白と黒、家族と仕事、貧と富、心と体……。そんな対立と選択にまみれた世にあって、「何か“と”何か」を並べてみることで開けてくる別の境地がある……かもしれない。九螺ささらさんによる、新たな散文の世界です。(月2回更新予定)
マドレーヌは貝の形。フィナンシェは、金塊の形。
マドレーヌを見るたび、渚の音が聞こえる。
フィナンシェを見るたび、黄金の光が眩しい。
マドレーヌは、午後三時の右手のお供。
フィナンシェは、ウォール街の株価アナリストの左手のお供。
プルーストの『失われた時を求めて』の主人公が紅茶と一緒に食べたのはマドレーヌ。
それをきっかけに田舎町コンブレーの全景が、遠い島国ジャポンの水中花のようにティーカップの中から広がった。
フィナンシェとは、フランス語。英語なら、ファイナンス。
マドレーヌは全卵で出来ている。
フィナンシェは卵白だけで出来ている。
だから、マドレーヌは産む。
だから、フィナンシェは産まない。
ボッティチェッリのヴィーナスが誕生したのは、マドレーヌの上。
ツタンカーメンは、すなわちフィナンシェのプロトタイプ。
サヴァ・ビアン? ウィ、マドレーヌ。
カネ、モウカル? イエス、フィナンシェ。
それ、扇子? ノン、マドレーヌ。
それ、レンガ? イエス、直方体フィナンシェ。
わたしはマドレーヌの出産準備として、フィナンシェを厩(うまや)の形に積んだ。
産まれたのは、雌のマドレーヌだった。
やって来た東方の三博士は、「オー、ノー」と言った。
「雄のマドレーヌは産まれぬのか?」と、いちばん目力の強い博士が訊く。
「マドレーヌは処女でなければならないため、基本クローンです。つまり男の子は産まれません」
そうわたしが言うと、三博士は考え、「これでなんとかならぬか」と3フィナンシェを出した。
「それではとても……」とわたしが口ごもると、三博士は顔を見合わせ、「じゃあこれではどうだ」と10フィナンシェを出した。
わたしが考え込むふりをすると、「これが全財産だ、もうない」と100フィナンシェを出し、袖をひっくり返したりピョンピョン跳んだりして、もうどこにもフィナンシェを隠していないと証明してみせた。
100フィナンシェを手に入れたわたしは、幼いころ夏祭りで買ってもらった水中花を探し出した。
そして、その鉢に初めて水を注いだ。
すると、嘘っぽい水中花が急に青い金魚のように息を吹き返し、揺れた。
と同時に、鉢の中に無数のマドレーヌが湧いた。
「これは全部雄マドレーヌです」と言うと、「でかした」と三博士。
あれから二十年。
三博士に育てられた無数のキリストは世界中に散らばって、マドレーヌとフィナンシェの違いについて、あちこちで熱い演説を繰り広げている。
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九螺ささら(くら・ささら)
神奈川県生まれ。独学で作り始めた短歌を新聞歌壇へ投稿し、2018年、短歌と散文で構成された初の著書『神様の住所』(朝日出版社)でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。著作は他に『きえもの』(新潮社)、歌集に『ゆめのほとり鳥』(書肆侃侃房)、絵本に『ひみつのえんそく きんいろのさばく』『ひゃくえんだまどこへゆく?』『ジッタとゼンスケふたりたび』『クックククックレストラン』(いずれも福音館書店「こどものとも」)。九螺ささらのブログはこちら。
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