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子どものころ、でべそだった。 母は、わたしを病院に連れていった。 医者は、「成長につれて…
存在とは、言い換えると情報のこと。 存在感があるとは、つまり情報量が多いことなのだろう。 …
花火は、ケンカだ。 ケンカは、花火なのだ。 どちらも、内部情報の短時間での全暴露。 だから…
「言葉にならない」という言い方がある。 「言葉にできない」という言い方がある。 しかしその…
基準とは、心拍数のことなのだろう。 歩くピッチも、話す速度も、おにぎりを握るテンポも。 我…
マドレーヌは貝の形。フィナンシェは、金塊の形。 マドレーヌを見るたび、渚の音が聞こえる。 …
昔の耳かきの先には、梵天というものが付いていた。 子どもの頃は漢字変換できず、「ぼんてん」と音認識のみだった。 見ていると、父も母も、耳かきの際にそのぼんてんを使わない。 だからわたしは、それをタンポポの綿毛を模した飾りなのだと思い込んでいた。 中学生になって「ぼんくら」という言葉を知ると、音の似た「ぼんてん」はぼんくらの仲間、お気楽な怠け者というイメージになった。 そしてわたしは、耳かきの先に付いている「彼」を、ナマケモノの化身のように軽視した。 見ても見ないふりをし、無
脳外が脳内と同一質量であることが、「普通の生活」なのだろう。 何を見ても驚かない。すでに…
「絶対的」とは選択肢のなさのことであり、「相対的」とは選択肢が生じることなのだと思う。 …
ミトンとミントは、アナグラムだ。 ゆえに、内包する世界の内容と量が一致している。 つまり、…
ガスとレンガは、漢字上では親類である。 しかし、物質的には気体と個体。 水と油の相容れない…
なんまいだと千枚田は、同じベクトルの祈りなのだと思う。 なんまいだは、南無阿弥陀仏の変形…
壺は、何も入れずにそのままでいて何の後ろめたさも感じなくて済む存在だ。 しかし、花瓶はそ…
かさぶたとUFOに恋をしていた時期は重なっている。 昭和の、小学生時代。 かさぶたは、毎日派手に転んでいたわたしの膝頭に常駐していた。 釜型のUFOは、常にわたしの脳内でわたしの宇宙をパトロールしていた。 わたしは、かさぶたとUFOと寝ても覚めても一緒だった。 わたしがかさぶたで、わたしがUFOだった。 子どもは、言葉に含まれるすべてを感受する生き物だ。 わたしは、かさぶたに含まれる傘も笠も嵩も豚も、全部わかっていた。 わたしは、UFOに含まれるyouもforもoh!も、