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人は基本動物で、動物のままなのが、イコール人間の狂気なのだと思う。 なぜ始まったのかもう…
子どものころ、でべそだった。 母は、わたしを病院に連れていった。 医者は、「成長につれて…
存在とは、言い換えると情報のこと。 存在感があるとは、つまり情報量が多いことなのだろう。 …
花火は、ケンカだ。 ケンカは、花火なのだ。 どちらも、内部情報の短時間での全暴露。 だから…
「言葉にならない」という言い方がある。 「言葉にできない」という言い方がある。 しかしその…
基準とは、心拍数のことなのだろう。 歩くピッチも、話す速度も、おにぎりを握るテンポも。 我…
マドレーヌは貝の形。フィナンシェは、金塊の形。 マドレーヌを見るたび、渚の音が聞こえる。 フィナンシェを見るたび、黄金の光が眩しい。 マドレーヌは、午後三時の右手のお供。 フィナンシェは、ウォール街の株価アナリストの左手のお供。 プルーストの『失われた時を求めて』の主人公が紅茶と一緒に食べたのはマドレーヌ。 それをきっかけに田舎町コンブレーの全景が、遠い島国ジャポンの水中花のようにティーカップの中から広がった。 フィナンシェとは、フランス語。英語なら、ファイナンス。
昔の耳かきの先には、梵天というものが付いていた。 子どもの頃は漢字変換できず、「ぼんてん…
脳外が脳内と同一質量であることが、「普通の生活」なのだろう。 何を見ても驚かない。すでに…
「絶対的」とは選択肢のなさのことであり、「相対的」とは選択肢が生じることなのだと思う。 …
ミトンとミントは、アナグラムだ。 ゆえに、内包する世界の内容と量が一致している。 つまり、…
ガスとレンガは、漢字上では親類である。 しかし、物質的には気体と個体。 水と油の相容れない…
なんまいだと千枚田は、同じベクトルの祈りなのだと思う。 なんまいだは、南無阿弥陀仏の変形…
壺は、何も入れずにそのままでいて何の後ろめたさも感じなくて済む存在だ。 しかし、花瓶はそうはいかない。 外見がまったく同じでも、「壺」と名付けられればただそこにいられる、自由人。 しかし、「花瓶」と用途込みの命名をされたら、水、そして生花を入れねば生きられない。 水はなくともドライフラワーか造花のひとつでも入れねば、身が持たない。 壺も、もとは何かの入れ物だったはずだ。 だが、何かの入れ物としてはもっと便利で軽い物が登場し、壺はいまや置物と同義なのだ。 壺は、無職にな