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第5回 虻の王

[編集部からの連載ご案内]
『うろん紀行』でも知られるわかしょ文庫さんによる、不気味さや歪みや奇妙なものの先に見える「美しきもの」へと迫る随筆。今回は、夏をめぐるとある王の話。(月1回更新予定)


墓地は舗装されていなかった。だから晴れた日でも、靴を斜面にめりこませるイメージを持たないとうまく坂道を登れなかった。断面に光沢のある黒の御影石ではなく、コンクリートのように地味な大谷石の墓石が並ぶ坂の中腹に、大人の腰ほどの高さのある熊笹に覆われて、うちの墓がある。祖父がかついでいた荷物を降ろして古びたタオルのかたまりをほどくと、中から鎌が出てくる。祖父は中腰になって熊笹を刈っていく。一年であっという間に熊笹が生い茂るから、毎年同じことを繰り返す必要がある。鎌では取り除くことのできない固い茎は、祖父が鍬で掘り起こす。刈り取った熊笹は藪に適当に投げ捨てる。キジバトがいつも独特のリズムで鳴いていたが、どこにいるのかはわからずじまいだった。線香に火をつけ手を合わせている間も、首筋が紫外線でじりじりと焼けていく。
 
墓地ではハチもアリも虫はみんな大きかったが、ハエもやけに大きくて、速かった。大きなハエだと思っていたのは、本当はアブだった。普段暮らしている街ではアブなんて見たことがなかったのに、なぜかしらこの墓地にはアブがたくさんいた。アブは羽音もうるさいし、顔もハエと同じなのにやけに大きいから気色が悪かった。空中を好き勝手に飛んでいて、嫌なのに思わず目で追ってしまう。
 
やにわに祖父が太い腕をぶんと振った。アブは消えた。祖父がそっと手の中のものをつまみだすと、さっきまでそのあたりを飛んでいたアブが出てきた。刺されるからやめたほうがいいのでは、と意見する間も無く祖父は、
 
「アブはここをとると馬鹿になるんだ」
 
と言って、慣れた手つきでアブの頭の一部をむしって捨てた。それから祖父がつまんでいた指をぱっと離すと、アブはコントロールを失い、ものすごい勢いでおかしな方向に飛んでいった。
 
というのを、何回もやった。一回限りではなく、よせばいいのに祖父は飽きることなく繰り返していた。わたしはちょうど、手塚治虫の愛蔵版『ブッダ』を図書館から借りて読んだばかりだったから、もしこのアブが数年前に死んだ曾祖父か曾祖母か、あるいは幼くして死んだ祖父の弟たちが輪廻転生した姿だったらどうしよう、と考えた。ひとは死ぬと姿を変えて前世で縁のあったひとのもとに帰ってくると、手塚版ブッダは説いていた。
 
祖父はにやにやと笑っていたのでそれが悪い遊びだとは認識していたはずだ。およそ得意げに見せる姿だとは思えなかったし、真似する気にはならなかった。祖父はわたしが嫌がる姿を見て、二重に楽しんでいたに違いない。傍若無人なアブの王。祖父は歳をとってもなお美しい顔をしていたし、ありとあらゆる振る舞いが自分自身への揺るぎない信頼に貫かれていたので、はたから見ていても老若男女問わず周囲のひとたちを魅了していることがわかった。しかし上の前歯がひどいすきっ歯で八の字の形をしていて、それがアブの羽のように見えないこともなかった。
 
蠅の王といえばベルゼバブ。異教の神だったのが、語呂合わせで蝿の王と呼ばれ、ついには悪魔に仕立てあげられてしまった。悪魔にされたベルゼバブは、それでも地獄でそこそこいい地位につけられているのだから、他者を惹きつける何かを持っているのだろう。
 

祖父がわたしの目の前でアブをむしってからおよそ四半世紀が経ったこの夏、久しぶりに墓地のほうに行ってみようということになり、叔母の車に乗り込んだ。墓地は一部だけアスファルトが敷かれていた。めまいがするからどこにも行きたくないとごねていた八十八歳の祖父は、墓地に着くなり見るからに表情に輝きを取り戻し、ここ数年見たことのないような力強い足取りで坂を登っていった。アブはますますその姿を増やし、何十匹、いや何百匹と、あたりを飛びまわっていた。わたしたちにも数匹まとわりついては、服に止まってブローチか何かのようになった。あそこに墓があるはずだと、こんもりと熊笹が生えているあたりを指差す祖父に、危ないからこの辺りで、と促して坂を下った。土がゆるくなっていて崩れて転べば骨折して寝たきりになってしまうことだって考えられたし、荒れ放題になっている墓を一緒に見たら、お互いにひどく落ち込みそうな気がしたのだ。
 
墓地から帰る車中で祖父が、若い頃に船を盗んだことがあると、前触れなく話し始めた。墓地の近くに住んでいた当時、近くの川には橋がかかっておらず、向こう岸に行くためには渡し船に乗せてもらう必要があった。渡し賃をとられるのがもったいなく思って、船頭が見ていない隙をうかがって勝手に自転車ごと船に乗り込んで漕ぎ出したら、船頭が怒鳴りながら両手で水をかきわけて泳ぎ、追いかけてきた。祖父は向こう岸に着くと自転車で逃げ切った。
 
祖母すらも聞いたことがなかった出来事を、ジェスチャーを交えながら流暢に話し終えた祖父は、
 
「すっかりぼけてしまった。馬鹿になってだめだな」
 
と、照れたようにうつむいた。わたしは祖父と共に車に入り込んだアブを窓から追い出すのに躍起になりながら、いつもよりはぼけていない、とよくよく言い聞かせてみたが、効果はなかった。普段はもっとぼんやりしているのは確かだが、むしろ頭がはっきりしているときのほうが自分の衰えを認識してしまうらしい。難しいなと思ったが、でもこの寂しさもどうせ数時間もしないうちに忘れる。祖父はもう一人で入浴することすらできない。
 
近いうちに祖父は亡くなるはずで、そうすればきっと地獄に堕ちるだろう。祖父は天国に行けるようなひとではないから。船を盗んだからでもなく、アブの頭をむしったからでもなく、祖母が大切にしていたインコを幾度となく空に放って逃がしてしまったからでもなく、日常的に犬を殴っていたからでもなく、子熊を殺して食べたからでもなく、とある大きな罪によって、祖父は地獄に堕ちる。地獄といっても、わたしの脳みその中にだけある観念的な地獄にすぎないが。もちろん地獄に堕ちてほしくないと思ってはいるが、そうでないと辻褄が合わない気がする。それでもわたしは祖父に少しでも長く人間の姿でそばにいてほしい。虫に生まれ変わって帰ってこられたら最悪だ。どんな風に接すればいいのかまるでわからない。
 
祖父はきれいに舗装された平らな墓地に新しい墓を建てているので、アブだらけの墓地に眠ることはないから安心してほしい。新しい墓は御影石でできていて、すこぶるいい感じである。
 
墓地から帰ってきてからわたしもめまいが止まらなくなり、まっすぐ歩けない日々が続いている。たとえばこれがアブの呪いだとして、薬で多少はましになるのだから心配するほどのことではない。もしもアブが誰かの生まれ変わりだったとしても、たいした呪いをかけることはできないのだろう。


わかしょ文庫
作家。1991年北海道生まれ。著書に『うろん紀行』(代わりに読む人)がある。『代わりに読む人1 創刊号』(代わりに読む人)に「よみがえらせる和歌の響き 実朝試論」、『文學界 2023年9月号』(文藝春秋)に「二つのあとがき」をそれぞれ寄稿。Twitter: @wakasho_bunko

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