認識とはなにか その10

自分の認識とは何だろうか。自分という認識はどのように形成されるのだろうか。

認識とは対象を把握することであり、対象として把握されたものである。それは自分によらない方法でもたらされるものである。
対象を把握するとき、対象の内容と場所の認識が決定される。自分を対象として把握するとき、自分という対象の内容と場所の認識が決定されることになる。
つまり、自分を認識することとは自分を対象として把握することであり、自分とは自分の内容という認識と自分の場所という認識によって把握されたものである、ということになる。

自分は、保存された認識で対象が把握されるとき、その認識が何であるかわからずに困ることはない。保存された認識は自分にとって何であるかが自明である。
保存された認識が出現することによって自分の内容の集合と自分の場所の集合が形成され、新たに得られる情報は自分の内容の集合、自分の場所の集合の中に新たに配置されていくことが考えられる。
自分の内容の集合、自分の場所の集合の中心が、自分という認識として意味づけられるのではないだろうか。
集合全体も自分であり、その集合の中心もまた自分である。自分という認識は一部分と集合全体の両方を指し示す。そもそも、一つの認識は部分と全体の両方を指し示すものと考えられる。

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