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母親の認知症その1

2009年に東京から富岡に帰ってきた。その時すでに母親は物忘れがひどく、怒りっぽくなってきて認知症が始まってたのはみんなわかっていた。当時はまだそれなりに仕事をしていたのだが、2011年の震災後、やることがなくなると更に認知症は加速。最初に避難した親戚宅では、同じことを何度も何度も繰り返して口にするもんだから、その度に父親が怒るという場面には、正直げんなりしてした。なんとか好間にアパートを見つけ、親子3人で暮らすようになると、買い物に行く度に同じものを買ってきて腐らせたり、すでに料理と呼べるものはできなくなってたりして、父親の心労が手に取るようにわかった。その後、自分は別のアパートに移り別々に暮らすようになると、母親に会うのが苦痛になって、両親のアパートに行く回数はだんだん減っていったのだった。

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