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オダギリジョーが私に憑依した日

スマホを持ち始めてから、毎日無数の写真を撮るようになった。
別に何枚撮ろうが私のスマホは重くならない。
二時間くらい過ごした美術館の看板、彫刻みたいに盛られたケーキ、電車の車窓から見える絵みたいな夕空、青信号で交錯するたくさんの人。
心のさざ波がちょっとでもざわついたときに、スマホのボタンを押す。カシャという音と音が生む微振動で、写真を撮っている。

久々の友人との食事。駅前の別れ際。
異国の海辺。ビキニではしゃぐセルフィー。
スマホの写真アルバムを、ひたすらスクロールしていく。
どれもこれも、一瞬の心のさざ波だけで過ぎ去っていく。
その瞬間は確かに楽しかったはずだ。でも、大量に溢れた写真の中で、感情が全然大きく揺れない。
心・に・感・情・が・刻・み・込・ま・れ・て・い・な・い!!!!!
スマホの写真アルバムを、ひたすら高速でスクロールしていく。

私の心臓を握りつぶそうというくらいの激情を感じたのはいつだったか。
掘り返そうと思うと、中学3年生の自分に行き当たる。

2006年の夏、私は中学3年生だった。
中学校受験を経て私は中高一貫の女子校に通っていた。ちなみに家族は3人姉妹で、大学時代も女子大だったので、私は人生の大半を女人社会で過ごしている。

さてご存知の人もいるかと思うが、思春期に異性と縁がない女子校という場所は、様々な分野のオタクたちを生む原生林になる。
マンガ、アニメはもちろんのこと(毎週末池袋のアニメイトに通う)、宝塚歌劇団、ビジュアル系バンド、ジャニーズ(KAT-TUNが全盛期だった)、ハロプロ、お笑い、科学(雑誌『Newton』を愛読)などなど、、、

私は自分が好きなマンガ(テニスの王子様)やバンド(ラルクアンシエル)やお笑い(アンガールズ)について友人と熱く語りあう交換日記などしていて、特に当時は『爆笑問題のバク天!』でアンガールズのユルすぎるジャンガジャンガのくだりにハマっていた。

同じようなユルさ(+シュールさ)を全面に醸し出すドラマ『時効警察』に出会ったのもこの頃である。
主演のオダギリジョーは、私にとって小学校4年生のときテレビで見ていた“仮面ライダークウガ”のはずだった。が、当時の爽やかイケメンのイメージと打って変わり、『時効警察』では、時効になった事件をわざわざ趣味で捜査するという、超無駄すぎる所業に邁進するボサボサ頭のユルい役柄だった。友人と『時効警察』にハマり、オダギリジョーにキャッキャするようになった。

そんなオダギリジョーへのミーハー心が高じて、中学3年生の夏、秋葉原の小さな映画館へとある映画を見に行った。
秋葉原など普段降りることがなく、アウェイな街並みにそわそわしながら映画館へ向かう。
私がこれまで見てきた映画と言えば、トイストーリー、モンスターズインク、踊る大捜査線、千と千尋の神隠し、チャーリーとチョコレート工場。。。
映画館といえば、新宿や渋谷のシネコンだった。
狭くて暗い部屋に入り、自分の椅子に座ると、スクリーンが自分の目の前にあった。

【西川美和監督 『ゆれる』】
長めの黒髪にところどころピンク色が混じった無造作ヘア、無精ひげ、黒い革ジャン、得たいの知れない色気。
起き抜けのオダギリジョーが床を擦りながら部屋を歩く。シュコシュコ歯を磨く音がやけに大きく感じる。
スクリーンいっぱいに、洗面台に流れる水が映る。
《ペッ》
げ。

歯磨き後の唾液がスクリーンに容赦なく映り込んだとき、今から見てはいけないものが始まる気がして、私は少し鳥肌が立っていた。

オダギリジョーの役柄は2人兄弟の弟で、東京でカメラマンをしている。
母親の葬儀で田舎に帰り、久々に再開する兄弟。兄である香川照之と弟との対照性が嫌というほど際立つ。
東京で自由奔放に生き、カメラマンとして成功している弟。地元で真面目にガソリンスタンドの店長として働き、毎日何度もお客に頭を下げ続ける兄。酒癖の悪い父親と共に暮らし、家事も全て自分で背負う兄。痛々しいほど自分より人のことを優先する“良い人”の兄。
そして兄の下で働く幼馴染の女性、真木よう子。兄と彼女は毎日同じ職場でずっと同じ時間を過ごしてきた。

帰省したオダギリジョーと真木よう子の一夜。
3人が久しぶりに地元の渓谷を訪れたとき、吊り橋から真木よう子が落下し、死亡。
オダギリジョーは少し離れた場所で一人で写真を撮っていた。遠目から、吊り橋の上で兄と真木よう子が二人でいるのが見えた。そして、真木よう子が落下していった。
一体何があったのか。これは事故なのか、事件なのか。
兄は逮捕された。
オダギリジョーは遠くから見ていた。
裁判で彼が証言する言葉によって兄の行く末が決まる。
私は当然兄をかばうのだと思った。血を分けた兄弟なのだから。
でも兄は有罪になった。何も言わず刑務所に入った。弟の証言によって。

隠されていた生々しい感情がみるみる丸裸になっていく。
今まであったはずの関係性が簡単に崩壊していく。
疑心暗鬼。恋情。嫉妬。尊敬していた兄の変貌、幻滅、怒り。
嘘みたいに感情がすれ違い、一体何が本当なのか、何が正しいのかどんどん分からなくなっていく様に絶望しながら、私は息をするのを忘れていたと思う。

兄が出所する日、オダギリジョーは、幼いころ家族で渓谷へ行ったときの8ミリフィルム映像を見ていた。映っていたのは屈託なく笑顔を向ける幼い兄。自分の怪我なんか気にせず弟を助ける優しい兄。
映画を通してずっとどこか飄々としていた弟が、初めて子供のように泣きじゃくり始める。
家を飛び出し、わき目もふらず車で刑務所に向かう。兄を迎えに行くために。間に合わなくなる前に。早く、早く、早く。
刑務所に着くと、既に兄は出所していた。
どこに行ったのか、まだ近くにいるかもしれない。早くお兄ちゃんを見つけなきゃ。迎えに行かなきゃ。一緒に家に帰るんだ。
刑務所の周囲を走りまわる。大通り、たくさんの車が往来している。道路の向こうに、一人の小柄な男性がまっすぐ歩いて行くが見える。まさか。お兄ちゃんだ。お兄ちゃん!お兄ちゃん!
何度叫んでも、車が走る音が大きくて、自分の声がかき消される。お兄ちゃん!お兄ちゃん!お兄ちゃん!泣きながら叫ぶけど、お兄ちゃんは振り返らない。気付いていない。車の音が大きい。お兄ちゃん!お兄ちゃん!後ろからバスが走ってくる。兄はバスに気づき、小走りになる。その先のバス停に向かっている。ダメだ、バスに乗っちゃダメだ、行かないで。お兄ちゃん!気付いて!僕だよ!待って、行かないで!お兄ちゃん!お兄ちゃん!
私の心は完全にオダギリジョーと一緒に泣き叫んでいた。いくら叫んでもお兄ちゃんに届かない。待って、バスに乗らないで。気付いて!お兄ちゃん、ごめん、お兄ちゃん!

お兄ちゃんの目が私を捉える。スクリーンいっぱいに香川照之の顔が映る。

お兄ちゃん!!!
もう一度叫ぼうとした瞬間、お兄ちゃんの顔は消えていた。

私は今何が起きたのかよく理解できず、テロップが下から上へ流れていくのをただ眺めていた。
少し間延びした声で、男性のボーカルが、“うちに帰ろう”と歌っているのが聞こえる。

ああ、映画が終わったのか。
そう、私は映画を見ていた。
一体今、何が起きたんだ?
私はオダギリジョーと一緒に叫んでいた。

なんてこった。
感じたことのない心の高ぶり。
こんなことがあるのか。
こ・ん・な・感・覚・が・あ・る・の・か!!!!!!
私は知ってしまった。
こんな刺激を一度味わってしまったら、もう後には戻れない。


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