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どうせやるならワクワクしたり、一緒に面白がれる人と

楽しく前向きになれることにリソースをさきたい

年明けや誕生日など節目が重なる睦月。
おのずと将来や目の前のことについて冷静になって眺めてしまう自分がいる。
今年もそんな沼にハマっているわけだ。

継続は力なり。石の上にも三年。ちりも積もれば山となる。
いつだってコツコツやることの美徳は認められている。
もちろんその効用については否定しない。

苦痛なことは心身をすり減らす

けど、一回きりの人生において、苦しく辛いことを継続という言葉で誤魔化して、闇雲に取り組むことは惜しいことなんじゃないかといつしか思っている。

自分自身を振り返っても、体育系の部活や理不尽な先輩がいたバイト、職種の違った上司からのくだらない説教など、本音を抑えて続けていたこともあったが、その後の反動が尋常じゃなかった。

気が短い性格も手伝って、そういう状況に陥るとトンズラこくことが多かった。

ガマンとタンレンの違い

我慢が先行して活動すると周囲からの賞賛を過剰に求めてしまう自分に気付いた。
マラソンでいう給水所のような役割を他者評価が担う。
賞賛の声があきらめずに走る気力に変えていた。

反対にダメ出しや批判が入ると一気に膝の力が抜けてしまい、その場で立ち尽くし、レースを放棄してしまう。
自分自身のなかで燃やす材料がないからすぐに灰になってしまう。

我慢と似たような言葉で鍛錬というものがある。
鍛え、強くなるための修行学習のような印象があるが、ここでの原動力に他者評価は必要としない。

目標がはっきりしているから、好きなことをやるためのステップとして苦しいことでも歯を食いしばることができ、反復練習にも音を上げずに取り組める。
車の運転や学校のテスト、スポーツ選手やギタリストの地道な練習もその部類に入るだろう。

要は行動の源泉がやりたいことなのか、その目の前にある作業にある先にしっかりとヴィジョンが描けるかが問題なような気がする。
何の目的に、好きでもないことをやらされている作業には1秒たりとも自分の時間を使いたくない。

時間と健康は有限であるからできるときにやる

給料もらっているんだから、安定した生活を手放すのも気が引ける、と確かに我慢や時間を引き換えに安心や金銭という対価を得てきた。
何をするにもお金が必要であり、大切なことは否定はしない。

ただ、それだけが目的になってしまう危うさ、一日の1/3を他人に捧げる価値があるかはしっかりと判断したい。

ということで、またキャリアを変える時期にきている。
今回の動機は「ワクワクする方で動きたい」ということ。
いつだって面白いことや輝ける人のそばにいて、刺激を味わいたい。

現実は小説よりも奇なり。

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