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あえて何もしないことに価値がある、空白期間で心身を整える

情報過多の時代だからこそ

仕事もはかどらない、遊びも気が進まない、スマホにも飽きた…
気分が上がらない日は、頭が情報量に溺れているのかも知れない。
そんな実感が多い日を最近過ごしている。

全世界のデジタルデータは想像以上の膨らみを見せています。
体感では江戸時代の一年分の情報量を現代では一日で受け取っている、という。
分かりやすいような、分かりにくいような。

およそ200年前の人と比較しても、現代人の脳の構造は大して変わらないだろう。
社会インフラや技術革新を経て、とんでもない情報量を簡単に手にすることができた。今後も雪だるま式に増えていく予想だ。

そうなると情報の質も比例して多くなるのかというと、そう簡単にいくものではないは百も承知である。

情報量がもたらす恩恵と引き換えに、「サイバーテロ」「ネットセキュリティ」について国家でのリスクも避けられず、管理対策には巨額な防衛費が立てられている。

情報処理する能力に限界がある

欲しい情報、必要な情報、楽しい情報、ためになる情報…
人はそれらを意識して分別し、情報収集できるのであろうか。

ビッグデータやAIの弾き出したアルゴリズムに合わせた情報が画面に現れては消え、次々と情報が溢れてくる。

便利で楽しいSNSやアプリゲームも無料で手に入る。
その裏にはたくさんの広告費に支えられていると思うと、日常にひそむ巨大なマーケットの誘導を感じずにはいられない。

純度100%の自己の欲望でブーストされる消費行動は現代では難しい。
いつも自分は誰かの内側にある、ということからは逃れられないのではないかと。

余白を作る、自分の欲求が入るスペースを確保する

統一性もなく、大きな入れ物に溢れかえった情報たち。
おもちゃで散らかった子ども部屋のなかでは、真剣に自己実現や社会貢献に関しての発想はまとまりづらい。

静かで余白のある場所に身を置くことで、落ち着いて思考を巡らせることができると思う。

時間や体力のリソースは限られている。
そこにコロナやら、悪天候やら外的ストレスが重なれば一気に頭はくたびれてしまう。

意識して空白期間を設けて、寝転んでみたり、瞑想して心と体を自然に解き放つ時間はますます価値が出てくると思った。

ソロキャンプ、サウナ愛好家が増えているのも自然な現象なのかも知れない。

休日は一人で単純作業にいそしんだり、太陽の下で過ごす時間を作り、頭を空っぽにしよう。

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