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うららかな日曜の午後に”恐怖”について考えてみた

平穏な時間、何気ない日が一生味わえなくなったら

洗濯日和の休日。
細々とした家事を片付けてショッピングモールでカミさんの服を買い出しに家族揃ってお出かけ。
0歳児の末っ子を連れて全員で外出するのは初めてかもしれない。

美味しいご飯を食べているとき、ぼーっと空を眺めながらまどろんでいるときなどにふと「この時間がもう一切味わうことができなくなったら…」と考えてしまうことがある。

病気や事故、天災などでその穏やかな時間が来なくなるかもしれない。
非現実的なことだが、それらは何の前触れもなく、私たちから日常をさらっていくことは間違いない。

だいたい日本の平均的寿命は80歳前後だろう。
余生を意識しつつ、いつか必ず来る不自由さや喪失感には向き合わないように日常は忙しく設計されている。

本当の恐怖は自分の内側にあるもの

幽霊やエイリアン、ヤクザさんが家の門から急に出てきたから恐ろしい。
そんな外にあるものばかりではなくて、自分の心の中にある恐怖はもっと怖い。

お金や仕事、肩書き、評価を失う。
確かに凹む。ビビりすぎて何もできなくなる。
でもそれって世間体や他人の基準次第じゃないか。
そこに重きを置くのも自分らしくない。

心身の健康にもある程度は気を配っているが、難病や障害に見舞われる可能性がゼロになるとは限らない。
毎朝のジョギングができなくなったら確かに辛い。細胞の老化現象には勝てないけれど。

家族との別れ、死別など想定内のことはある程度の覚悟ができている。
ただ想定外のことはイメージできない。

カミさんが男を作って逃げる。
帰宅したら子どもたちと一緒に故郷に帰る。
そうならないための努力はしている、、、つもり。

忙しい日常では緊急でないけど重要なことは後回しに

金や物を失っても、取り戻すことができる。
仕事も探せばいくらでもある。
キャリアもそこからまた積み重ねていけば良い。

ただ人や時間を戻すことは難しい…(今のところは)
家族との営み。自分の子どもの成長を応援して見届けること。
それらを満足に享受できなくなることが今のところ一番の恐怖かもしれない。

何かを達成したり、成し遂げたり、たくさんの人にポジティブな影響を与えたり。
興奮や感動することに心はいつも刺激される。

忙しい日常では緊急でない重要なことはいつも後回しにされてしまう。
大切なことはもっと静かなところにある気もする。

最悪の事態を覚悟しつつ、人生のもっと先のことであるように祈っている。
今のこの瞬間をできるだけ楽しめるため、笑顔でご機嫌でいたいと思う。


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