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弱者だからできる人助け

仕事をしていて一番充実を感じるのは何時か?
それは誰かの感謝をもらえた時である。


高校を卒業し19歳で技術系の会社に就職したが、今考えてもゾッとするほどパワハラ体質の会社だった。

勤務時間はもとより、終礼後も人格否定をされる。

夜8時から深夜1時まで怒鳴られ続けた時は本当に死を意識した。

25歳まではそこで頑張ったが、精神的にキツくて退職。

しかし逃げ出した自分を責め、働き口を探さない自分を責める日々。

1年は仕事ができないぐらいの鬱状態になってしまった。

脳細胞が自死に向かっているのがはっきり分かった。


その後紆余曲折あって今は念願の音楽の仕事をしているが、音楽以外で充実を感じた仕事がひとつある。

それは障がい者支援施設。

なんとなく施設の前を歩いたときにスタッフを募集していて連絡をしたら採用されたという感じ。

人の役に立ちたいとかそんな気持ちはなく、ただ技術系の仕事はしたくなかっただけで選んだ。

仕事内容は軽作業をする彼らの補助をするというもの。

補助と言っても内容は様々で、施設まで車での送迎や工場から送られてくる内職の組み立て方を教えてあげるなどである。


初日から衝撃の連続だった。

何かひとつ補助をしてあげるだけで感謝されるのである。

簡単なことでいえばダンボールを20枚数えて手渡すだけで感謝されるのだ。

僕は今までダンボールの枚数の数えが遅ければ先輩に膝蹴りを入れられるような職場でしか勤めたことがない。

障がいを持つ人は速く動くことができない。

重いものを運ぶことも数を正確に計測できる人も少ない。

僕は過去の職場では『仕事のできないクズ』扱いをされ続けてきた。

しかし障がいを持つ人から見れば僕は立派な指導員なのである。

こんな自分も必要としてくれる人達がいるのかと心の底から思った。

屈託のない笑顔と感謝を伝えられた時に、本当の意味で初めて人の役に立ったと思った。


僕は今まで社会に出て精神をやられた人達を何人も見てきた。

そういう人を世間では負け組なんて言うだろう。

失敗を重ねてきた彼らは今も自分を責め続けている。

でも僕はそういう人にこそ障がい者支援施設で働いてほしいと思う。

真に人の痛みを知っている人じゃないと補助が必要な人達を助けられない。

そして彼らも僕らのような弱者を笑顔で支援してくれるのである。


負の思い出も次に生かせます。

道はいくつも存在している。


#はたらいて笑顔になれた瞬間


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