どんなに辛くても、いままでとは今は確かに違う。ことばだけで感謝をしていなかった証明は今のぜりー自身の実感です。
おはようございます。
自分が辛いときに支えてくれている人たち。
その経験ってね、よいときを、ありがたいと想えたことを振り返ってもいるんです。
それを実感しました。
確かに辛いんですよ、今もメンタルも身体も💦
ただ、、
こんなに辛い私を、、否定しなくていいのかもしれない。
昨夜、どんなにも辛くても、いままで、自分がやってきたことを、そんな私とちゃんと関わってくれた人がいたことも、何度も思い出していたんです。
思い出そうと、していたんです。
意識よりももっと深いのかもしれません。
こんなこと、いままでなかった。
辛い中で、なんども、大切な人たちとの会話をみた。
辛いけれど、支えてくれた人たちが想ったぜりー自身を少しでも垣間見たぜりーが昨夜から確かにあったんです。
辛い中なのに、なぜ頑張った自分と大切な人たちも脳裏にうつったのか。
それは支えてくれている人たちと、そこにいる自分を少しずつ認めてきているからだと想います。
そんな今朝。
どんなに辛くても、それでも動くのはなぜか。
焦っても
地獄でも
辛くても
ともにいた人も想うから
ともにいた人を想えば、ともにいるのだから、
当然、そこにぜりーもいるんです。
なぜ、そこに今まで気づかなかったんだろう。
それは、ちゃんとものすごく辛い自分を否定したものが、
ぜりー自身だったから。
ただ、これって言わば当然なんだとも気づけた。
辛い自分をみていられない。
それって、当たり前じゃないのかな?
辛い自分から逃げないから辛い。
逃げないなら、辛いに決まっている。
辛い自分を否定したくなるのは、そんな自分を肯定したかったから、肯定したいから。
悩んでるってことは、
逃げずしてたたかうぜりーの生き様。
1人じゃなくなったから、辛くても歩くの。
ぜりーがぜりー自身を肯定もして否定もしているのはなぜか。
自分から逃げず、なかったことにもせず、辛い自分を自分でも助けたかったから。
そのために私は、自分をまず否定することからはじめただけだったんだ。
肯定の域にまで、来れたかもしれない。
だから、1日今日もがんばるね。
1日がしんどいから、ソフトクリームでも食べようかな。
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