2020.11.16<our style+業務連絡>

プリンシプル原理原則信仰

心地いいことをしているとなぜかいろんなことが好転していく。だから、人がポジティブに生きることも実は心地いことなんじゃないかなあと思う。それなのに人はどうしても意地悪なことをしたがって、利己的になりたがって、なんでその規則性に気づけないんだろう。白洲次郎曰くの地球に存在し続けるプリンシプルの存在に。利他的なことが巡り巡って自分の恩恵につながること、情けは人のためならず、人を信頼することはすなわちどんな悪をもはねのける強力な護符となることを。

勝負師の人たちには信心深い人が多いって聞く。昔の賭博氏だってギャンブラーだって必ず護符を身に着けているし、F1レーサーのほとんどはクリスチャンだって聞く。極限を経験している人ほど宗教の永続的な法則を理解しやすいんじゃないかって思う。

群れの子供たちはどこか信じているようで信じていない。聖書をそのままに信じているのは私くらいで、その私が不幸に見舞われても復活して幸せになってもうらやましくてどこかで悪口を言われている気がしていた。だから離れた今は信仰生活を含めて伸び伸びしている。

あおくんに会える時、私は何も考えていないことが多かった。朔さんが集会に来ているかって考えないようにしていたし、来なくてもいいって思っていたから毎回朔さんはどこにもいた。

万物には原理原則があると私も思う。それは農耕に関することさえも、人生に置き換えることができるし、そうすると人生の方向がおのずと見えてきて、じゃあここで損をしていても先々に幸福かと算段ができる。

あおくんに関しても朔さんに関しても私はのんびりしている。仕事に関しても収入に関してものんびりしている。他者の中の私と考えたとき、損をしてもさして損をしたと思わないのはその原理原則にのっとってこの世界は動いていると理解しているからだ。


ここで、業務連絡です。

私は9;00~12:00の間にあのスターバックスにいます。基本的に。

水曜と木曜日の19:00~閉店まではあのマクドナルドにいます。基本的に。

平日の14;00~19時ごろまではシェイクスピアの悲恋の聖地か、スターバックスか鍵屋の喫茶店かにいます。

多くを決めすぎると私は望まれてもいない義務感から身動きが取れなくなるし、そうすると私の良さを生かした文章が書けなくなる。文章が書けなくなるということは、一日がうまくならない予兆となりかねないの。

私たちはいつだってどこでだってつながっていられるんだから心配はいらないし、会えたらその日はとってもラッキーだし、まるで毎日がおみくじみたいでドラマチックだって思えた。

今日私は、朝いちばんで仕事をはじめたの。すごくよかった。調子が乗ってきて、だから本来ならスターバックスに行きたかったの。でも、変な遠慮が私を抑圧してしまった。そうなると何も書けなくなってしまって、だれがどこにいるのかと自分がわからなくなる。

朝いちの仕事をしてみたら、やっぱり自分が何をやりたいかが明確だったし、どんな時に生きている実感が持てるかの確認にもなった。あおくんにも会いたかった、朔さんのこともチラ見したかった。でも今日は朝いちの仕事が私の生きる糧となった。

それぞれは大きな仕事を持っているし、ただの約束をしてしまうと私たちは世界に寄与できなくなる。それは私たちのチャンスを奪うことにもなるから、私が望んでいないこと。あおくんと朔さん両方が欲しい理由の一つには、朔さんやあおくんが心配なく自分の仕事にまい進してほしいっていうことがあるの。これは前に朔さんに話したことでもある。私はあまりにも頼りないし愛が重いし、そのくせ自由主義だからうまくできないことが多い。あおくんが忙しいときは朔さんに面倒見てもらえればあおくんは変に心配しないだろうし、朔さんが忙しいときはあおくにんに面倒を見てもらえれば過度の心配性の朔さんは安心だと思う。私自身も一方向に集中するとバランスを崩しやすいからそのほうが向いていると思う。ふたりの才能をかっている。自分の才能も信じている。だからわがままな提案を臆面もなくしている。時間を二分割するんじゃなくて三分割するの。そしたら心配なく自分のやりたいことを十分にできるでしょう?

今日は寂しかったけれど実り多い日だった。以上、業務連絡でした。


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