2020.11.19<善き日に>

あおくんが抱く朔さんの印象ってどんなだろうって思うの。でもきっとできる男!なんじゃないかなあって想像している。

でもね、朔さんって全然そんなことないんだよ。カヤノを目の前にすると男の子そのもので、ちょっとでもあおくんのことをほめると朔さんは必ずけん制するようなことを言うの。それは私と出会ったころから変わらない朔さんの癖というか、習性というか。どんな人がいても、どんなことであってもカヤノの一番でないと気が済まないの。とにかく、一番であり続けることを目標にここまで来たの。この街まで、カヤノの元まで。そんな意味では、カヤノが朔さんのエンジンになっているし、焚きつけている部分がすごく大きいと思う。朔さんはとても頭のいい人だからそのことにすでに気づいていて、それも含めて、自分のためでもあるからカヤノのことが欲しいんだと思う。

サプライズをもってカヤノを喜ばせること、カヤノの趣味を片っ端から試してみることそれはすべて自分のためになることをよくわかっているんだと思う。そこからあらゆる道がクリエイトできて、それを商売にできて、そこそこに暮らしていこうなんて算段もしているはず。

柔軟なの。とにかく。

あおくんやカヤノという人はとてもまじめで職人のように極めようとしていて、それはとても素晴らしいことだと思うし、カヤノもそのほうがなじみがあるからいいなあとは思う。でもきっとあおくんやカヤノにとって朔さんという存在はいい意味での起爆剤なんだと思う。固定観念をドカンババンってどんどん爆破させていくような。それは朔さんが語り掛けるんじゃなくて、朔さんを見ていれば感じることだと思う。最初はあまりにも力技過ぎて引いてしまうけれど、でもずっと見ているとそこには確固たる信念があるし決して人を傷つけないことも分かる。そして、そんな生き方や正義に私たちはついに自由を獲得するんだと思う。自由っていうのは、理由のようなものを自らに預けるってことだからね。自分が責任を取ればけっこう何でもありだと思う。そんなことはあっちゃいけないと思うことも、朔さんは実験のようにどんどんやってくれるから道を作ってくれるようなもので、そこから私はあらたなクリエィティブな部分を建設できたりもしている。

人は集団で生きているからこそ、善悪含めて影響しあっている。いいものだけ取り入れましょうってそうは簡単にいかないのが人の感情だけど、朔さんという存在を見ていると、不思議と変わっていくことを感じる。なんていうのかな、朔さんの使う言葉って私の心にしみこんでくる語彙なの。同じ内容を違う語彙でいわれたら入ってこないから。あおくんもそう。あおくんを見ていると気持ち悪くないの。言葉が入ってくるっていうよりもエネルギーが心地よくて私は変わっていくように感じている。やっぱり第六感って大切で、それがわからなかったら「好きな人」とか「一目ぼれ」とか「なんだ知らないけれど気になる人」って考えでいい気がしている。

私は気が多いけれど、気を許せる人と好きな人は違うことはよくわかる。あおくんと朔さんは気を許せて、好きな人っていう二重なの。

はあ♡すてき♡かわいいは正義だけど、かっこいいも正義だね♡

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