『ナラタージュ』『劇場』『窮鼠はチーズの夢を見る』から考える、行定勲監督の「恋愛表現」について

行定勲監督の代表作ともいえる『世界の中心で、愛をさけぶ』を筆頭に、
行定監督の作品には恋愛映画が多くあります。
そこで今回は最新の行定監督作品から『ナラタージュ』『劇場』『窮鼠はチーズの夢を見る』の3作品をピックアップし、行定監督が描く恋愛の表現について考えていきたいと思います。

①『ナラタージュ』(2017)
まずはあらすじと作品の紹介です。

2006年版「この恋愛小説がすごい」第1位に輝いた島本理生の同名小説を、松本潤&有村架純の共演で映画化。「世界の中心で、愛をさけぶ」などで知られる恋愛映画の名手・行定勲監督がメガホンをとり、禁断の恋に落ちる高校教師と元生徒が織り成す純愛を描く。大学2年生の泉のもとに、高校時代の演劇部の顧問・葉山から、後輩たちの卒業公演への参加を依頼する電話がかかってくる。高校時代、泉は学校になじめずにいた自分を助けてくれた葉山に思いを寄せていたが、卒業式の日に起きたある出来事を胸にしまったまま、葉山のことを忘れようとしていた。しかし1年ぶりに葉山と再会したことで、抑えていた恋心を再燃させてしまう。一方、葉山もまた泉に対して複雑な思いを抱いていた。(出典:映画.com)

この作品で描かれる恋愛は単なる「禁断」ではありません。それを表現するために細部にこだわっていることが分かります。そういった細かな表現のカギとなるのは「水」です。常に形を変え続ける、恋心のような「水」を使った表現が多くあります。その中のいくつかを紹介しましょう。まずは、泉が演劇部に入るきっかけとなるシーン。葉山は、あることをきっかけに全身ずぶ濡れになってしまった泉の姿を見かけます。それをみた葉山は彼女に対して自身が顧問を務める演劇部への入部を勧めるのです。2つ目は、泉と葉山が教師と元生徒の関係となり、再会した後のシーン。泉が葉山に抱えきれない想いをぶつけた場所は、湯気が立つほど熱いシャワーの中でした。最後は、お互いが自分の想いを初めて話すシーン。2人の心の中のように雄大で穏やかな海を横目に、2人はお互いの想いを初めて知ることになります。

『ナラタージュ」の様々な場面で使われている「水」に関する表現は、水のように変化し続ける泉と葉山の恋愛模様そのものです。ぜひ「水」の表現に注目してください。


②『劇場』(2020)

まずは、あらすじと作品の紹介です。

「火花」で芥川賞を受賞した又吉直樹の2作目となる同名小説を、主演・山崎賢人、ヒロイン・松岡茉優、行定勲監督のメガホンで映画化。中学からの友人と立ち上げた劇団で脚本家兼演出家を担う永田。しかし、永田の作り上げる前衛的な作風は酷評され、客足も伸びず、ついに劇団員たちも永田を見放し、劇団は解散状態となってしまう。厳しい現実と理想とする演劇のはざまで悩む永田は、言いようのない孤独と戦っていた。そんなある日、永田は自分と同じスニーカーを履いている沙希を見かけ、彼女に声をかける。沙希は女優になる夢を抱いて上京し、服飾の大学に通っている学生だった。こうして2人の恋ははじまり、お金のない永田が沙希の部屋に転がり込む形で2人の生活がスタートする。沙希は自分の夢を重ねるかのように永田を応援し、永田も自分を理解し支えてくれる沙希を大切に思いながら、理想と現実と間を埋めるかのようにますます演劇にのめりこんでいく。(出典:映画.com)

この作品で描かれているのは「2人の人生」ではなく「2人それぞれの人生」です。恋愛映画では、2人が同じ未来を見据えている表現が多くありますが、沙希と永田は自分の人生を見つめ続けています。それぞれに夢を追いかけている2人は、お互いに「夢を追う気持ち」に理解があります。ここで二人の間に生まれるのはお互いの理解、信頼です。信頼は、いつ崩れてもおかしくない実体のないものですが、それに縋るしかなくなっていきます。実態がないからこそ、いつそれが出来たのか、いつ修復ができないものになったのかは目で見て確認することはできません。この2人の繊細な信頼関係は、ラストシーンで目に見える形となって表現されています。

ぜひラストシーンに注目し、2人の繊細な信頼関係を見守ってください。


③『窮鼠はチーズの夢を見る』(2020年)

まずは、あらすじと作品紹介です。

恋に溺れていく2人の男性を描いた水城せとなの人気漫画「窮鼠はチーズの夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」を、行定勲監督のメガホンにより実写映画化。主人公の大伴恭一役を「関ジャニ∞」の大倉忠義、恭一に思いを寄せる今ヶ瀬渉役を成田凌が演じる。優柔不断な性格から不倫を重ねてきた広告代理店勤務の大伴恭一の前に、卒業以来会う機会のなかった大学の後輩・今ヶ瀬渉が現れる。今ヶ瀬は妻から派遣された浮気調査員として、恭一の不倫を追っていた。不倫の事実を恭一に突きつけた今ヶ瀬は、その事実を隠す条件を提示する。それは「カラダと引き換えに」という耳を疑うものだった。恭一は当然のように拒絶するが、7年間一途に恭一を思い続けてきたという今ヶ瀬のペースに乗せられてしまう。そして、恭一は今ヶ瀬との2人の時間が次第に心地よくなっていく。(出典:映画.com)

この作品で恭一と今ヶ瀬の関係が効果的に表現されているのは「照明」です。二人は日中に会うことがなく、過ごす時間のほとんどが夜の屋外や、薄暗い部屋の中、夕ご飯を食べるレストランです。そのため、この映画のほとんどの場面に自然光がなく、薄暗いのです。だからこそ、ほんの少しの光の揺らぎに目を奪われますが、それはこの二人の関係性にも言えることです。少しの揺らぎで消えてしまいそうなでもあり、その揺らぎが心地よさそうにも見える、そういった部分が印象的です。その中で、二人が自然な光の中にいるだけで、新鮮でとても明るく、楽しそうに見えます。そして、寒色と暖色の照明の使い分けまでされているため、そのシーンの暖かさや冷たさも照明から感じることができます。また、この二人が作る「影」が印象的です。二人の距離が近くない限り、影は生まれません。お互いの顔が影で覆われるほど近くなる、その瞬間がとても愛おしく感じられます。

3つの作品について、それぞれ違う恋愛の表現について紹介してきました。同じ監督の作品でも、恋愛の表現は「水」「1人ずつの人生」「照明・影」など多岐に渡ります。ここで紹介した作品の他にも、沢山の恋愛映画があります。ぜひ、それぞれに違う恋愛の表現方法に注目してみて下さい。

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