ミスiDは自分自身との闘いである。

ミスiD2021に応募して1か月、6月も晦日。
書類選考の刻限は着実に近付いている。

次のステップ「カメラテスト」に進む要件は、現時点で2つ。
1、審査員による選考で選出されること。運営発表では200人程度の予定。
2、CHEERZにおいて、番号順に切られた260人1組のブロック内で上位10人のCHEER数を獲得すること。合計100人。

CHEERZは元より人気を持っている人の為の枠。そうでない参加者にとって、公称12倍、推定10倍ほどの書類選考に通ること。これが、現状ある唯一の道。
2676人の参加者のうち、大多数はここで脱落する。
つまり、何も成せずに終わる。

ミスiDは「何かをするために必要な人を選ぶ」コンテストではない。
だから、次に進めるのは、審査員各位にとって、「書類選考を通す価値のある人間だと思われた人」。その一点に尽きる。

だからといって、私が審査員に媚を売るような真似をしたところで、そんな私の人生に意味は無い。
他の参加者は好きにしたらいいと思う。それも闘い方だ。だけど、私にとっては、実力を評価されなければ、賞を賜ったところで価値はない。

まだ書類選考すら通過してない、そして他の何をも成していない私は、まだ「ミスコンに応募しただけの一般人」でしかない。
誰かが呟いていた「何もしてないのに#ミスiD2021を付けて何かをした気になっている人たち」という趣旨の言葉が頭を離れない。
ならば、今の私にできることは何だ。

実力を底上げすること。実力を知られること。実力を認められること。書類選考期間のうちに、これらを成し遂げてみせよ。これが、ミスiD応募にあたって、終野澄歌が自ら背負った課題だ。
私よ、頭を巡らせろ。お前に選ばれる本質的価値があるならば、自ずと道は見えてくるはずだ。

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