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「死」を意識できるようになると、行動が変わる

こんにちは、ぴーです。
最近、身内が亡くなってお葬式に参加して、「死」について改めて考えるきっかけになりました。
もともと、看護師で働いていたこともあり、「死」が全く遠いものではありませんでした。
でも、どこか「私は死なない」と思っている節があり、もう一度「死」について意識してみようと思いました。

ひすいこうたろうさん著 「明日死ぬかもよ?」を読んでみた

テレビのニュースでは、有名人の誰かが亡くなったとか、事故とか、災害とかで死者が出たとか、色々な「死」に関することを見聞きします。

でも、それを聞いた時、自分にとって「死」が身近に感じられることって、そうそうないですよね。

やっぱり、自分ごととして「死」を考えるほかないなぁ、と思って、ベストセラーのひすいこうたろうさん著「明日死ぬかもよ?」を買ってみました。

本の中には、「明日死ぬことになっても、これからやろうとすることをしますか?」「あなたは何のために生きるのですか?」など、自分ごととして「死」を考えるワークがありました。
ワークの前には、戦時中の特攻隊員の方の話や、著名人の話、研究の話があり、涙が溢れそうになることもありました。

「あぁ、今生きているのは奇跡みたいなもんで、明日、いや今日死ぬかもしれないんだ」と気づき、「どうせ死ぬなら、やりたくないことではなく、やりたいことをやりたい」と思いました。

果たして、世の中には「明日死ぬかも」と本当に思って生きている人はどれくらいいるでしょうか?
本当の意味で「明日死ぬかも」と思って行動を決心している人は、少ないですよね。
私も身内のお葬式やこの本を読んで、「死」を身近に感じても、少し時間が経つと忘れてしまっていることに気が付きます。

哲学者のハイデガーは、「死への先駆」といって、人は死に先駆ける時に、本来的に生きることができる、と言います。
「死」を自分ごととしていない人は、他の人と同じように、流されるように生きていると言います。

シンプルに考えると、何か偉業を成し遂げている人って、この「死への先駆」をしている場合が多いのではないかな、と感じました。

じゃあ、どうする?

「死」を意識したところで、どうするか。
もう、後悔しないように生きるしかないんですよね。
「死」を意識するとは、「生」を意識することと同義です。

残されている時間がどんどん減っていくなら、今を気持ちよく、楽しく生きたほうが良いわけです。

だから、無駄な付き合いをしないで好きな人と一緒にいるとか、最近会っていない家族に電話するとか、仕事で会う人には笑顔で挨拶するとか、そんな些細なことでもできることはたくさんあります。

こう考えると、ことあるごとにイライラしている人って、すごくもったいないですよね。

どうせなら、最後の感情は「頑張ったな」「よくやったな」「楽しかったな」と思える方がよいはずですから。

今を頑張る、今を楽しむ

結論、「今」を大切に、精一杯頑張って楽しむことが必要ということです。
私は、「やりたくないこと」って今、そんなにやってないんですよね。幸いなことに。
もし、看護師を続けていたら、夜勤が嫌だったかもしれません。
激務が嫌だったかもしれません。
経験を積むのに必要なこともありますが、自分の感情が「嫌」と言っていることには、耳を傾けて「快」に持っていくことを意識すると良いのかもしれません。

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