今生の別れ、のつもりだった
約10年前、旅先のオーストラリアで出会った彼。
その彼と2回目に会ってから音信不通になるまではこうだった。
↓ ↓ 2回目に会ったときの話 ↓ ↓
私はまた日本へと戻り、会社勤めの毎日になった。
彼はシドニーへと移り、今度は船舶の免許をとるためのコースに出るという。
私たちは、ほぼ毎日のようにメールをし、ときには電話で話した。
一緒に過ごした4日間はとても濃いもので、お互いの距離がとても近くなった。
別に付き合っているとか、そういうわけではなかったのだが。
いつかまた別の形で詳しく書きたいのだが、私たちはお互いの身体に強く惹かれていて、性的な面で物凄く相性がよかった。
そのことも手伝って、彼も積極的に連絡をくれていた。
(当時は、もしかして、身体だけの関係!?と不安にもなったが)
私はというと、岐路に立っていた。
このまま会社に居続けるか、外の世界へ出るか。
そろそろしっかり腰を据えるためのパートナーも欲しい。
いずれにせよ、転換期だった。
彼とはまた会いたいし、もっと一緒に時間を過ごしたい。
でも、本当に彼でいいのか?
物理的距離がありすぎる。
彼は今はオーストラリアにいるが、そのうちにヨーロッパか、他の地域へ行ってしまうだろう。
そうでなくても、彼はまだ謎が多すぎて本心が分からない。
とても惹かれる一方で、私の中では危険を知らせるアラームも鳴っていた。
(そのアラームは正解だったのだが)
当時、私はとにかく「確実なもの」を手にしたかったのだ。
私が大いに迷っていたとき、さらに私を迷わせるように、別の彼(今の旦那)が私の人生の舞台に登場した。
出会ったときはピンとこなかったし、まさか、付き合うとは、そして結婚して人生を共にするようになるとは、そのときこれっぽっちも思っていなかった。
結局、どっちつかずの日々が過ぎ、私は会社を辞めて、海外の大学院へ進学することにした。
彼は結局、またヨーロッパで職を得た。
それまで10年ほどオーストラリアにいたので、大きな変化だっただろう。
私もとき同じくして、ヨーロッパの片隅にいた。
確かそのとき彼がいたのはバルセロナだったか、オフの週末に会いに来てよ!と何度も言われた。
行こうと思えば簡単だった。
格安飛行機のチケットを買って、飛行機に飛び乗れば、すぐに会いにいけた。
でも、なぜか正直イマイチ気が乗らず、いつもお茶を濁した返事しか出来なかった。
私は思いっきり、自分の気持ちにブレーキをかけていたのだと思う。
もっと近づきたいけど、でも怖い、というか。
結局、あることがきっかけで、私は心底ガッカリして、同時にカッとなって怒った。
そのあることとは、実は、彼には彼女がいたのだ。
しかも私と同じ日本人だった。
その彼女は京都に住んでいる人だったそうだ。
私は心底、自分が馬鹿だと思った。
なんて都合のいい夢をみていたんだ、と。
ただの、旅行先でのラブロマンスだっただけなのか、と。
今まで交わした会話や、彼がかけてくれた言葉。
実は誠実でななかったのか、と。
孤独な人であるがゆえか、彼は今まで本当に色々な人と経験しているということは知っていた。私には理解しきれなかったが、そういった価値観も世の中にはあるのかもしれない、と割り切っていた。
私は怒りに任せて、もう連絡しないで欲しい、と告げた。
あちらは、色々と謝ってきたが、私からは一切の連絡をやめた。
よく考えれば自分も悪い。
なぜ、初めに会ったときに確認しなかったのか?
一言、彼女はいるか?と聞けば済んだ話なのに。
(きっと、聞いたら正直に答えてくれたと思う)
あの当時は、本当に腹立たしくて、悲しくて、情けなくて、どん底だった。
月日が流れるうちに、感情もおさまり、水に流せるようになったが。
そして、そのどん底のときに支えてくれた彼が、のちに私の旦那になった。
客観的にみていると、私はただのひっかけられた女だ。
実際、私もこれまでの10年間、そう思ってきた。
しかし、その裏に隠された本当の意味、実は魂を分かち合った人だったと知ってしまい、逆に納得できる部分もある。
当時の私は、確実な何かを求めすぎていた。
今ならこう思える。
別にいいじゃないか、彼に出会えただけで。
それ以上でも、それ以下でもない。
そんなに相手を憎むことをしなくてもよかったし、
自分を卑下しなくてもよかった。
学びとは、時として残酷なものなんだ、ということを改めて思い知った出来事だった。
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