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どのような形で再会するか

私が住むヨーロッパの都市では、大幅な規制解除が進んでいる。

ずっと閉鎖されていた公園や動物園は先々週から、そして今週からは2ヶ月半に及び休業していたレストランやカフェの営業が再開した。

6月末からはヨーロッパ内の小規模旅行を認める、との発表もあった。


これまで自宅を中心とするごく狭い範囲だった私たちの生活圏は、少しずつ、広がりを見せつつある。


今は閉ざされた国境のあちらとこちらにいるツインレイ彼と、私。

おそらく、この国境閉鎖も、来月には解除されるのではないか、と見られる。


10年間、全く連絡もしていなければ、もちろん会ってもいない私たち。

もし、私が彼がツインレイであることに気づかなければ(思い出さなければ)、こんなに頻繁に彼のことを考えることもなかったと思うが、なにがどうなったのか、私はそれに気がついてしまったので、しょうがない。


もし、その約束をしてきたのであれば、私たちはまた、再会するだろう。

きっと、一寸の狂いもない、完璧な形であるとき、再会するだろう。


今、私たちは、今までにないくらい物理的に近いところにいる。

でも、距離が近いだけでは、再会は叶わないのだ。


正直、本当にまた会いたいのかは分からない。

それによって、今あるものが変わってしまうのであれば、現時点ではそれは私の望むところではない、とも思っている。


そして、会ったらどうなるのか、それもまったく想像がつかない。

どうしたいのかも、分からない。


分からないことだらけだけど、それでも、また会いたい、と心のどこかで思っていることも、こっそり、白状もしておく。


いずれにせよ、私には、延ばし延ばしにしていた「こと」があるため、それにまずは取り組んでいる最中だ。


どんな形であるのかは、これからのお楽しみだ。


「どうやって再会したか」を、ここで、書ける日がきたら、それはツインレイのことを書こうと思った私の本望であるかもしれない。










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