現実世界と精神世界


どこかで書いたように僕は生まれ付き霊力(所謂、霊感の事)があって、その力を継続、維持、向上させているので通常じゃない感性で様々な事を思う時がある。例えばそれは、毎日会ってる人が普段は温厚なのに突然、荒々しい態度に変わったりした時、僕は医療系の知識もあるので、精神疾患や精神的ダメージなどではないと判断出来た時にその人を霊力で観察してみると…「この人、今憑依されてるなぁ。これは自業自得だなぁ。」とか「この人メンタルがやられて隙をつかれて憑依されたな。」とか感じる事がある。

この霊力は強ければ強い程、人生が修羅の道になるようで、過去、キツイ事と楽しい事に記憶の比率がキツさ8,5;楽しさ1,5と感じるくらいです。このキツさってのは、虐待、育児放棄、発話障害、対人恐怖症、コミュニケーション障害、発達障害、鬱…こういうものの影響もあり、「自分は楽しい学生生活を送った!」とは到底思えないけど、そんな気持ちに楽しさをくれたのが友達。その恵まれた交友関係もあって霊力も「良い方に使おう!」と思おう事が出来た。もしもこの交友関係がなかったら「僕は絶対にダークサイドに落ちていた。」と断言出来る。これを読んでる貴方が経験した事のある『憎悪』ってどのくらいでしょうか?
僕は多くの人の知ってる恨みや憎しみの程度を遥かに超えた憎悪を抱いた時期が幼少期にありました。その為、思春期を迎える頃までは憎しみ恨み嫉妬、そういうもので気持ちが覆われていました。そのままの状態で大人になっていたら、殺人鬼になっていたと言って過言じゃない状態になっていたでしょう。
そんな状態も現在の霊力的に良い状態も「精神面一つで感覚が裏帰るんです。ダークサイドに落ちた状態の霊力は「人を呪う事に特化した力」になってしまい、「人を呪わば穴二つ」の通り自分まで過去以上にキツイ思いをする事になりますが、尋常の良い状態の霊力は「周りにいる人を幸せに出来る力」になります。厨二病みたいな事に感じると思いますが、ある意味これも現実にある話です。

そしてこの霊力と現実を繋げた話をしようと思います。
貴方は未来予知と聞いてどんな感情を抱きますか?きっと「何それ怪しい。」と思われている事でしょう。まぁ当たり前な反応です。その原因は兎も角として、能力としては存在します。ただし、それは僕らが個人の力でそれをしている訳ではありません。目には見えなくなった存在がおしえてくれるんです。なので何でもかんでもわかたり、知れたりする訳じゃないんです!


んで、こんな話と現実話がシンクするのかと言うと…みーんな、目に見える事でしか判断してなさ過ぎて、本当に見なきゃいけない物事が見えていない、見ようともしていない。そのせいで起きなくて良い災害が起きている事も僕は知るべきだと思います。昔の人は情報や知識がなく、神頼みの面もあったが、現代化する事によって日本は、信仰心の大切さ(宗教とは限らない自信が信じる存在)を見失っているように思えて仕方がない。

確かに化学があっての現代的な生活だけど、それまで土地を守ってきてくれた存在に挨拶も断りもなく、土足で土地を踏み荒らす。そりゃ怒られますよね(苦笑)何回でも書きますけど、宗教の勧誘とかそんなものにきょうみはありませんが、知りたくても知れない人達が増えているのも事実だと思ったのでこうして書いています。

神仏に祈れば物事が解決する事なんて殆どありません。何故なら「一度、犯した罪は帳消しにはならなず、ずっと残るからです。ただし、それに対してしっかりと真正面からずっと向き合ってさえいれば積み上げたものが過去となり、新たに信用されたり、仲間が出来たりする。現実的に考えた理窟にしても、そういう事を知らずにいる人があまりに多すぎるから、こうやって書いてます。

(ちなみに作成が何日かに渡っているので、文章構成が途中で変わっているのはそのせいですww)


さてさてさぁてとパクってみて、話の軸を少し変えますね?

例えば、自分に誰よりも大切に思える配偶者がいて、更に子供まで授かって、元気な元気な5歳児だとしましょう。可哀想ですがその子が「不慮の交通事故」でトラックに撥ねられ、亡くなってしまったとします。でもこれって本当に「不慮」だったと思いますか?Google先生曰く「不慮とは、思いがけない事、意外な事不幸な事」などfらしいです。でも本当にそう思いますか?

現実的に考えて事故とはヒューマンエラーが9割。それは事故の加害者被害者って意味じゃなくて、この交通事故ならトラック運転手に被があるかもしれませんが、それだけには思えません。その子の親はどうしていたんでしょうか?周りの通行人は?他の運転手はどうしていたのでしょう?

確かになってしまったものは取り消す事が出来ませんが、何もやらないのも違いますよ?そうではなくて失った家族が当然後悔して思う事でしょうが、親が「もっとしっかりとその子供の事や周りの状況の事を監視しているべき事。」それが出来たなら少なくともその場の事故死はあり得ずに済んだかも知れない。

これを例的に見るとよく言うのが「これがその子の運命だった」という事。これはこれで認めたくない事になりますよね…だから僕は思うんです。確かに「その子の運命はその歳での事故死だったかもしれない」し「ヒューマンエラーを一つでも避ければ助かったのかもしれない」

これらのうち、後者の話は確かに避けれたのかもしれませんが、前者の「運命だった」というのはなかなか変更するのが大変です。なぜなら、一度神様(現代で言う地獄の門番みたいな神様)と話をして寿命の延長をしてもらわないといけないからです。


そんな話をしたくて子供の例題を出しちゃいました(汗)

この神様たちの事を知っている理由は簡単です。僕自信が会った事があり、且つそこで迎えに来ていただいた人(当時生死の境を彷徨っていた)と現代で初対面で会ったのが、24歳くらいの事でした!

現実的にはその年になるまで、その人の存在は知らず、仕事の関係者として偶然先方にいて、お互い初対面なのに「あっ。久しぶり…」みたいな感じになって、周囲にいた人達が驚愕していましたww

こんな話をするのは、僕が霊力に対して本気で向き合い始めたきっかけがそれだからです。そしてそれが理由で「現代と霊界の関係性」について真面目に色々な角度から考え、観察するようになったんです。

そして、こんだけタラタラと長々描いて伝えたい事がもう一つ。


運命や宿命も確かに存在するけれども、同じ様に奇跡や努力による導かれた結果も確実に存在する。そして、心の底から本気で願って行動すれば殆どの事は現実になる。という事を今の子供達に言いたい!今の子達やその親達の多くが現実的になり過ぎていて希望をすぐに無くすし捨てるし諦めるけど、それじゃ本当に苦しい状況になった時に子どもが人を信用出来なくて可哀想だと思います。



今回は長文で挑もうと思いましたが、中身がグダグダになってしまったにでこれで終わります(笑)もしかしたら再編集して出し直すかも知れませんww

こんな読みにくいものを最後まで読んで頂いて有り難うございました!!!それでは♪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?