題目『めざすところ』
今宵のTwilloの冒険の題目は『めざすところ』。
「目指すところ」は。。どこだろう。なんだろう。。
立ち止まって。
考えてみたことは。。
あるかね?。
目的地がすでに決まっている場合はいいんだ。。遠足みたいにね。
でも決められた「目指すところ」がない場合は。
どうしようか。。
しかも。出発することは、もう決まっている。。
どうしようか。
こんな場面には出くわしたことがない。と言う人は多いでしょう。。
ワタクシは結構、"大きな意味"での話をしていますから。
大抵はピンとこないのではないかと。。
しかし、ピンとはこないとしても。
おそらくほとんどの人は意識しないまでも。。
この場面にでくわしているのです。少なくとも一度はね。。
「ちょっと遠足に出かけてみよう。」という話ではなく。。
もっと"大きな意味"での話。
いよいよ。。
「人生というものに。出航してみよう。。」
それくらい"大きな意味"での。ひと場面の話です。
人生を自分の意志で舵を切るようになるのは。
人によってバラツキはあるにしても。。
きっと物心がつく位からなんだろうな。遡って考えてみると。。
現代の日本では、自由が認められていますからね。
国が違ったり。。時代が違ったりしたら。
自分ではなんとも出来ないということもあるでしょう。。
でも今、ここ、では自由だ。
みんな。。
思い思いのところに向かって進んでいく。。そうしてきたはずです。
自分で舵を切ってきた。自分の人生においては、この船の船長は自分だ。。
そんなの当たり前のことでしょう。でも。。
それは、ほんとうのことかね?。よく。。
考えてみよう。
『めざすところ』を突き詰めて考えたのは。いつだったか。。
知らず知らずのうちに。"決まった型"にはまり込んではいなかった?。。
"レールに乗った"でもいいけど。
その"型"または"レール"の中で、行き先を選択しただけのことなのでは?。。
自分で「目指すところ」を決めた。というのは。。
そう錯覚しているだけなのかもしれない。そうとは言えないだろうか。。
日本の教育のせいだ、ともよく言われますが。確かに。。
『めざすところ』を徹底的に突き詰めて考える。そのような時間は。。
学校教育の中では、おそらく十分にとられていない。
"型"にはめるための授業時間は十分に取られているけどね。。
就職活動の時にあることを痛感しました。
バブル崩壊直後の就職氷河期で。。とにかく厳しかったんだよね。
みんな一斉に全力で走っている。。
そして「お前も走れ」と言われるわけです。
マスメディアを含めた社会全体の風潮だったり。。周りの仲間だったり。
みんなから「全力で走れ」と言われる。
《走らなければ。置いていかれてしまう。。置いていかれては。困る。。》
これが《罠》だった。
"型"にはめるための、ね。。
みんな全力で走っているけど。どこに向かっているのか知っているヤツは。。
誰もいなかった。
それで。痛感したのでした。。
それまで、つまり大学を卒業する段階に入るところまで。
『めざすところ』を突き詰めて考える時間がなかった、ということを。。
そのことから。。
もっとよく考えてみると。
ずっと前から《罠》にはまってたんだ。。
就職のときは《置いていかれては困る》。
いいところに入れなくては困るから、ということ。。
さらにその前もそう。
受験のときは《学歴がないと困る》だった。。
就職活動の時に、断然有利だから。
知らないうちに。。もうこの囲いのなかに閉じ込められてたのですよ。
《罠》の囲いのなかをいかに上手に進んでいくか。。
それが目標になってしまっていた。
《罠》の狙い通りに。。ね。
「目指すところ」は。。この囲われた線の延長線上にしかなかった。
もちろんそれは。。
自分で突き詰めたものではない。
そこは。。
誰かに"造り出された"ところ。《罠》に誘導されたところだった。
『めざすところ』を。。自分で徹底的に突き詰めてみよう。
今からじゃもう手遅れ?。。
そんなことは決してない。
"常識的"な意見なんか聞いてるから《罠》に捕らわれちゃったんでしょ?。。
同じことしてたら。
また《罠》の中だよ。。
せっかく飛び出そうとするんだ。今度は。。
自分の人生を進む船。
船長である自分がしっかりと。。
舵を取り、堂々といきたいものですな(ニヤリ)。。。
Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。
「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ
幸いです。。。
いつものTwilloでの最後のセリフ。。 「ワタクシは自分では値段を設定していないのですよ。。。」 適当なものをここに置いていただければ。 幸いです。。。