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題目『わきまえる』

 今宵のTwilloの冒険の題目は『わきまえる』。

これを漢字で書くと。
  「弁える」となります。。
 なかなか、に。
読めない文字だな。。
 『わきまえる』という言葉そのものは、よく耳にするんだけどね。


なんとなく、ですが。
 『わきまえる』と聞くと。。
"身の程を知る" と言われているような感触があります。

 もちろん。

 そんなニュアンスもある言葉なんだけど。
そもそもの意味としては。。
  "物事の道理を知る" とか。
 "善悪を知る" とか。。そういうコトなんだよね。

"立場を「弁える」" や、 "礼儀を「弁える」" みたいに使われると。
  先程の "身の程を知る" というようなニュアンスが強くなる。。

ちょっとだけ身が縮こまるような気分ですな。




 入院生活からは戻って来れましたが。
これまで通りの生活、という訳にはいきません。。
 まずもって身体が今まで通りではないからね。

  で。

 そのことを『わきまえる』のですよ。

 思ったように動けない事を気に病んでみたり。
痛みばかり気を取られたり。。
  そんな事してみても仕方がない。

かと言って。

 無理して今までと同じ様に何かをやろうとするのも。
まったく意味がない。。


 もう "これはこういうモノだ" と『わきまえる』のです。

いわゆる "開き直り" や、”あきらめ” とは違うからね。
  それが。。
 『わきまえる』と言う事。



 馬や羊のような草食の生き物は。
"毎日、草ばっかり" とは思わない。。
  ましてや。
 "肉を食べているライオンが羨ましい" とも思わない。。

 それは、そういうモノ。

 "開き直る" でも "あきらめる" でもなくて。

 それは、そういうモノ。
  なのです。。



『わきまえる』とは。
  "理解する" 、 "了解する" というのと同じ事だね。
 もしくは。
"悟る" という事。。




己を『わきまえる』。

 自分の姿を、声を、捉える光を、動きを、感触を、すべて。
  すっかり受け入れる。。

 それは、そういうモノ。

それ以上でも、それ以下でもないのです。

  だから。

『わきまえる』とは。
  "感謝する" にも近い意味があるな。。


 己を『わきまえる』事で。
  ようやく。。

  前に進んでいくのが。
     たのしみになってまいりましたぞ(ニヤリ)。。。



 Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。
「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
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幸いです。。。


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神条昭太郎
いつものTwilloでの最後のセリフ。。 「ワタクシは自分では値段を設定していないのですよ。。。」 適当なものをここに置いていただければ。 幸いです。。。