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題目『ぼんさい』

 今宵のTwilloの冒険の題目は『ぼんさい』。
「盆栽」でも。。
  「凡才」でもいいのですが。

 今宵の題目に決めたのは。。
「盆栽」です。

 「盆栽」には興味はありますが。
実際に育てたこともないし。。
 「盆栽」に精通しているわけでもない。
まったくの "素人" です。。


 だいぶ以前のことですが。
花屋さん(植木が沢山置いてあるところ)に立ち寄った時。。
  「盆栽」 が幾つか並べられていたんだよね。
 なんだか小さくて可愛かったので。。
店員さんに色々と質問してみた。

 面白いな、と感じ入ったのは。

 普通の植木であれば、大きく育ってきたら。
  大きな鉢に植え替えてあげるんだけど。。
 「盆栽」の場合は。
そんなに頻繁には植え替えることはしない、ということ。。
 なぜなら。
大きくは育たないようにする為だという。。

 小さくて浅い鉢だと。
それ以上 "根っこ" が育たないんだよね。。
  "根っこ" が伸びていかないと。
 樹木そのものも大きくはなれない。。
 わざとそうして。
こじんまりと鉢の中に収まるようにするんだって。。

なるほど。

 あくまでも人間が人工的に造った。
"疑似の自然" であり続けるようにするんだな。。
  だから。
 どことなく "ミニチュアの模型" のような感触があるんだ。。
鉄道や車の模型なんかでも。
  ものすごく精巧で。。
 実際に動き回るものもあるもんね。
それと似たような感触を覚えます。。



 「盆栽」が、他の "ミニチュアの模型" と違うのは。
本物の自然の一部であるということ。。
  ちゃんと樹木として生きている。

 鉢の上にあるのに。
樹齢が100年を超えるものもある。。
  もっと凄いのになると。
 樹齢500年、800年なんてのも。。
いちばん古いとされるものは。
 樹齢1000年を超えているという。。

 ミニチュアの "疑似の自然" なのに。
ちゃんとした大自然だ。。
  下手をするとそれ以上。
 樹齢1000年を超える木なんて。。
山や森の中でも、そうそう出会うことは出来ないからね。



 そんな大自然を。
あんな小さな鉢の上で。。
  人工的に造り出してしまうんだ。
 長いこと、長いこと。。
手を加え続ける。
  樹齢が何百年なんて 「盆栽」 は。。
 きっと何代にも渡って、手をかけて育てているんだろうな。


 なんだか愛好家が世界中にいる、というのも解る気がする。
"年配の方の地味な趣味" なんて考えていたら。。
  とんでもないことだね。


 「盆栽」 を始めてみるのも、おもしろいかも知れないな。

 本当は庭園の中で樹木や石なんかを並べて。。
  人工的に "疑似の自然" を。
 ひとつの宇宙を。。
創ってみたら愉しいのだろうけど。

 なかなか実現は難しいですからね。
「盆栽」なら、それが出来る。。
  きっと愉しい。


 『ぼんさい』は人工的なものであり。
自然のものでもある。。

もしかしたら。

 「凡才」も。

人工的に造り出されるものなのかも。。
  才能が開き過ぎないように。
 わざと、こじんまりとした枠の中に閉じ込める。。
きっとその方が。
  管理、統制する側からしたら都合がいいもんね。。

 もしくは。

 自分で枠を作ってしまっているとかね。



 『ぼんさい』は。
人工的であり、自然でもある。。

  「盆栽」も。
 大地に植えれば巨大な木になるという。。

「凡才」も。
枠から飛び出すことができれば。。



   大きな才能を開花させることに。
             なるのかも知れませんぞ(ニヤリ)。。。
  




 Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。
「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ
幸いです。。。

いつものTwilloでの最後のセリフ。。 「ワタクシは自分では値段を設定していないのですよ。。。」 適当なものをここに置いていただければ。 幸いです。。。