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題目『ま』

 今宵のTwilloの冒険の題目は『ま』。

 『ま』かぁ。。難しいな。これは実に深いからね。。

 ちなみにワタクシは漢字では「間」と書く『ま』を思い浮かべています。この言葉を題目に選んだのは、ワタクシの文章(Twitterでのつぶやきも含めて)で、句点(。)を連打するのはどういう訳なのですか、というコメントを頂いたから。。これはいつの頃からかTwitterでのつぶやきでやりはじめたものです。

 深く考えてのことではないのですが、ワタクシの文章では必ずそうするようになっていて。。はじめた理由もあったような。なかったような。。
 
 深く考えずにやっていることを。。深く考えてみた。そしたら。。ああ「間」だな、と思い至ったのですよ。さらに、句点が1つの時と、2つの時と、3つの時と。。これは"拍子"ですね。

 しゃべる時であれば、「間」も"拍子"も相手に伝わる。ところが文章の場合、「間」の伝え方には何かしらの工夫が必要で、それで句点を連打するようになったのでした。。
 句点をいくつも重ねるというのは、おそらく正しい日本語表記ではないと考えられますが。ワタクシはルール無視で多用してます。。新しいルールにしちゃえばいいのにね。

 実際にワタクシとしゃべったことがある方だったら、おわかりのことと思いますが。結構「間」がありますよね。。しゃべり方がたどたどしいというか。言葉につまりながらしゃべる感じです。


 この「間」は、持って生まれた性格から自然とでる場合と、ある程度意識的に「間」をもたせる場合とあります。幼少期に剣道をやっていたので「間」とか"間合い"とかを意識するようになったのかも知れない。。
 「間」は空間的にも、時間的にも、さらには心理的にもあって。とても深いものなのですよ。これが。。

 「間」のとり方というのは、ほとんどの人はほぼ自然にできちゃってる。考えて、敢えて「間」をとるということはなかなか少ないかもしれませんが、意識的にやってみるというのもおもしろい。。
 ワタクシは剣道をやっていたせいか"間合い"のとりかた、つまり普段の"立ち位置"にやたらうるさいところがありますね。近すぎたり、遠すぎたり。。気になる。
 そして、うまく説明できないけど、時間的な「間」のとり方というのも同じ要領で出来たりする。。なに、時間を立体的に捉えればいいだけのことですよ。この話は訳がわからなくなるといけないので、ここで止めておきましょう。。

 
 どこかで聞いた話(うろ覚え)ですが、能だったか、歌舞伎だったか、落語だったか、とにかく日本の伝統芸能に携わる方が言ったという言葉で、「間」は「魔」だ。というものがあったそうです。。確かに。伝統芸能での「間」は我々の日常生活でのそれと違って、より真剣なものであろうと、素人ながらに感じます。。
 なにしろそれが"芸"なのですからね。「間」のとり方ひとつで素晴らしいものにもなり、その逆となることもある。。そんな真剣勝負の世界では「間」は「魔」なんでしょう。なかなか。。すごい。


 「間」を使いこなす技は。「魔」を使いこなす技。そんな技を。。身につけてみてはどうかね?(ニヤリ)。。。


 Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
 適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ幸いです。。。

いつものTwilloでの最後のセリフ。。 「ワタクシは自分では値段を設定していないのですよ。。。」 適当なものをここに置いていただければ。 幸いです。。。