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題目『ささげもの』

 今宵のTwilloの冒険の題目は『ささげもの』。
「捧げ物」というと。。
  現代では、もっぱら。
 "神仏へのお供え物" という意味です。。

でも。

 歴史を遡ってみると。
もっと "おどろおどろしい" 「捧げ物」もありました。。

 その中でもいちばん "おどろおどろしい" のは。
  "人身御供" でしょうね。。

 もちろん、現代にはこのような風習はありませんが。
昔はいくらでもあった(らしい)。。

  しかも。

世界のどこに行っても、その手の伝説やら歴史やらがあるのです。
 日本にも、ありました。。


 世界中に、かつてあった、という事は。
もう太古の昔からの。。
  人間の "性(さが)" の現れなんだろうな。
 人種にかかわらず人間みんなの、です。。


 崇め奉る "神" は、世界の人々では。
それぞれ違う。。
  それなのに。
 "神" という人智を超えたモノに対する "畏れ" から。。
どの世界でも様々な「捧げ物」を捧げてきた。

 "神" は違っても。
それに対して人々がやったことは。。
  みんな一緒だった。



そんな "おどろおどろしい" 話は、歴史と伝説の中のものとして。
  「捧げ物」というのは。。
 もっとシンプルに言うと。
災厄を逃れる為の、もしくは望みを叶える為の。。
 "代償" という発想ですよね。

 それを叶える為には。
"心" だけではなく。。
  大切な物も。
 さらには "命" さえも「捧げ物」となる。。

 ある意味、大変にわかり易い話だ。
願いを叶える為の "代償" 。。
  それは。
今でも、まったく同じ全人類の "性(さが)" だね。。きっと。



 何であれ。
"望み" を叶える為には。。
  『ささげもの』が必要なんだよ。
 人類にとっては。。

 それは。
"性(さが)" だ。。無駄に逆らえるものではない。


  何かを心の底から求めるのであれば。

『ささげもの』を差し出そう。

 それを差し出して、誓うのは。
"神" に対して、ではない。。

 "じぶんじしん" に誓うのですよ。
相応の『ささげもの』を差し出して。。ね。


 『ささげもの』は。

大切なものであれば。。
  大切なものであるほどいい。

手放したくはない大切なものを差し出す事で。

  もう。

 後戻りはできない。
"望み" を叶える他はないよ。。


 『ささげもの』を差し出して。
  "じぶんじしん" に誓おう。。

それより強い "力" はない。
  "じぶんじしん" を味方にすれば。。

     もう "願い" は。
          叶ったようなものですぞ(ニヤリ)。。。

 



 Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。
「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ
幸いです。。。  

いつものTwilloでの最後のセリフ。。 「ワタクシは自分では値段を設定していないのですよ。。。」 適当なものをここに置いていただければ。 幸いです。。。