母の退院悲喜こもごも
今朝大真面目にラップを冷蔵庫に入れようとしていて自分でびっくりした。
疲れてる。延々と真夏のまんまだし、身体と心と頭が忙しくて今の私はなんだかテンションが変である。
母、帰ってきた!
さて母が退院した。さよならだと思っていたのだが、ニジリニジリと回復し母は施設へと戻ってきた。姉とついヒソヒソしてしまう。母、思い残すところがあるんだろうか…なんて。
もちろん母が帰ってきてくれたことは素直に嬉しい。戻ってくるだなんて思わなかったから、テンパっている父に火を吹き「全部この人のせい!!」などと思ったりした。しかし私が落ち着いてみるとテンパってたじーさんも落ち着いてきた。迷惑をかけているかいないかの違いはあるが、お互い同じだったと思うとなんか嫌だ。ちなみに父も今脱け殻なんだそうだ。
転んでたじゃなくて倒れてた
さて結論から言うと母が病院行きとなった当時の状態は"転んでいたのではなくて倒れていた"ということだ。
当時施設からは「転んでいるのが発見された」という連絡を受けたのだ。しかし病院で診てくれた整形外科を含むすべて診療科の先生は「倒れていたという見方が自然」と言った。しかしこれは単に当時の状態の話だ。おそらく脳梗塞で倒れていたという可能性が高いのだろうと先生方との面談から私達家族は推測している。
繰り返し顔を出す私の中の闇
戻ってはきたものの、前の母とは別人だ。そんな母を見ていると、誰かのせいにしたくなる私の闇がうっかり顔を出してしまう。でもそれは違う。最初に駆けつけた時に私は確かに母の異変に気がついている。先に投稿した自分のnoteを読んでもそう感じる。だったら「母が変だ」と私が言えばよかった。だというのにその場にいた母を知る人間は私を含め、その違和感を医者に伝えてもいない。
先生にとっては、アルツハイマーの88歳、施設に入っていて意思の疎通がクリアじゃない患者だ。普段の母を知らない人が母の異変などわかるわけもない。微妙な異変なのだ。
あの時何ができた?薬で早く処置できていたらまた違ったかもしれない。でも肺炎で心不全だったんだよ。では折れた足は?せめて救急車だったなら…
最善の策をとれていたらよかった。でもそれは私にとってのよかっただ。少し心が軽くなったから。母にとっては良いことなのかどうか、88歳認知症の母の尊厳を考えるともう私には判断できない。
あーやめたやめた!私の頭の中は堂々巡りだ。今の母が全てで、少なくとも私がまさか自分(母)のために頭を悩ますことを母という人は望まない。
父もすっかり疲れたようで、あれだけマメに通っていた母の面会が4日おきになった。それで良いじゃないか。
看とりのはなし
数日前看取りについて施設の訪問医と話してきた。母は戻ってはきたが間質性肺炎が出てきているので、いつどうなるかわからない。元々膠原病を持っている。
間質性肺炎の件は整形外科医と連携室の相談員さんとの面談で私達は詳しく説明を受けており、さらにそれは施設のケアマネさんとの間ですでに共有されている情報である。今回母は整形外科に入院しながら内科や脳外科の治療を受けていた。
訪問医師は「私のところには整形外科からのカルテしかきてないからわからないけど。でもまあ、結果論だから」と言った。
うーん…私がある程度の時間悩んでいたことをえらくサクッとカジュアルな感じで言ったわね。いやいいのよ母はone of themなんだもの。
マスクの中だが私がどうにも訝しい雰囲気を漂わせてしまったようで、先生が帰ったあと施設の看護師さんが補足の話として倍の時間を使って丁寧に解説してくれた。
ああ、だから誰のせいでもないってわかってるのにどうにも闇が出てきちゃう。
私のブラック家族的な空気が父をも包み込んだのか、あの父がえらく静かだった。だからほんとに誰のせいでもないって言うのに。
私はまた定期的に施設に通う日々です。しかし母は看とりの話の後、かなり回復してきました。最初は全介助だった食事も自ら手を伸ばして食べるようになってきました。驚き!
少々の不信感はあるものの、入院した病院に紹介してくれた訪問医師、もちろん施設の方に感謝もしています。そして父が迷惑をかけたのにも関わらず、丁寧に可能性も含めてはっきりとお話ししてくれた各科の先生が有り難かった。
さいごに。お洒落な母を綺麗な姿で送りたい…と喪服を新調したことは母には内緒。ははは