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残された時間

母とのわかれが近づいているのかもしれない。


こんな事を書いたら驚かれるかと思うが、私は今とても落ち着いている。
いや、もしかしたらまだ残された時間は少なくないのかもしれない。とにかく母のみぞ知る、なのだ。


さて半月ほど前に遡る。
母の施設より
「居室内で転倒しているのが見つかった」という連絡を受けた。

近い街の病院か、もしくは待って大規模病院かどちらに行くかと問われ私は可能であれば母が以前入院したことのある大規模病院の方へとお願いした。

どこで診てもらえるか決まってはいなかったが、私はとりあえず施設の方面へと向かった。

移動中に大規模病院へ受け入れてもらえるとの連絡を受けた。


私が病院についた時、母の順番はまだまわってきておらず、先に到着していた父は待ち時間が長いと激昂していた。


しかし部屋で転倒して救急車でもなく、施設の方が運転する車で病院に入った高齢者である母は待たされていても不思議ではないとその時の私は思った。

しかもその事が起きる数時間前に施設の訪問医師が母を診察してくれており、その医師からの紹介でこの大規模病院は受け入れを許可してくれているという状況だった。



現在母は大腿骨骨折、肺炎、心不全、脳梗塞により入院しています。

ただ穏やかに寝息を立てて眠っています。ずーっと目を閉じたまま。しかし耳元で「おかあさん」と呼ぶと「はあい」とか細い返事をします。

驚いたのは手が暖かいこと。こんな暖かい母の手は何十年ぶりです。

私はそんな母を前にして、少し家族について踏み込んでみようと思い始めています。自分や家族をより客観的に見つめたいので、自分が許せる範囲でプライバシーを少々削りつつ書いていこうと思います。どこの誰かもよくわからない一家族の話しです。

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