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ロレックスの歴史

こんにちは!

 今回は誰もが知っているような知名度No.1
腕時計メーカー ロレックスについて書いていこうと思います!
 ロレックス=高級、お金持ちや偉い人がつけているなど、思われる方が多いかと思いますが、
なぜそういった方たちから絶大な信頼を持たれているのか、その理由を歴史と共に見ていきましょう!


はじまりと未来予知

 1881年ドイツ・バイエルンで生まれたロレックス創業者ハンス・ウィンドルフが時計と出会ったのは、1900年にスイス・ラ・ショー・ド・フォンにあった時計の輸出会社に就職したことがきっかけでした。

 1905年にハンスはロンドンへ渡り、義弟の
デイビスと共にロレックスの前身にあたる
「ウィルスドルフ&デイビス」を創業します。
 当初はスイスから時計の部品を輸入して、それらを組み立てて販売する時計商社でした。
創業まもない頃は懐中時計や、旅行用の置き時計(トラベルウォッチ)など上品な時計を販売していました。 

 20代半ばで当時世界の中心だったロンドンで起業して「成り上がってやる!」と野望を抱いていた(26歳の筆者が同じ立場だったら)であろう
ハンス氏はある日、20世紀となった時代の流れからあるひらめきをします。

 イギリスから始まった産業革命により女性の社会進出が進み、20世紀初めに女性の参政権を得るための運動や労働組織内での組織運動への参加などが、イギリスで始まって女性が活発に活動していた事と、フランスで起きた市民革命による市民が仕事以外に遊びを楽しむゆとりができたことにことによって、19世紀末ごろには今あるスポーツが生まれていきました。

 これらの動きがヨーロッパの中でもイギリスが特に活発で、今まで以上に人々が活発に活動する様になる未来を想像して、ポケットにしまう懐中時計ではなく、手首に付けられて手軽に時間を確認できる腕時計が普及していくだろうとハンス氏は思ったのだと思います。

 そこで、取引のあったスイスの時計職人に腕時計用に小さな時計の製作を依頼して、腕時計の
販売を開始します! この予見が功を奏して、
売り上げは上々。
 1907年にはラ・ショー・ド・フォンに事務所を設立して、時計職人たちと密接にやりとりする事でさらなる品質向上を目指しました。 
 1908年にはブランド名とし「ROLEX」を商標登録して腕時計ブランドとして確立していきました。


正確さへの挑戦

 売れ行き上々だったロレックスですが、この頃の男性の腕時計への印象はあまり良くありませんでした。
 腕時計は、「時間を確認できる時計としての役割はあくまで飾りで、アクセサリーのようなもの」という印象が多かれ少なかれあったのです。

この腕時計に対する世論の印象を変えるべく
ロレックスは、1910年にスイス公認の時計の検定を行うところ(スイスクロノメーター歩度公認検定局)に自社の腕時計を提出して、見事腕時計初の公認証明書を授与されました。 
 さらにイギリス内での評価を高めるために、1914年にイギリスの国立物理学研究所に検定を依頼して、腕時計として初の船で航海へ出る時に必要な経度測定時計(マリンクロノメーター)の公認証明書を授与されました。
 これにより腕時計のような小さい時計でも、
十分な精度を実現出来ることを証明しました。

 こうして時計としての機能も十分に持つロレックスの腕時計は、順調に売り上げを伸ばして
いったのですが、1914年7月〜1918年11月まで続く第一次世界大戦がこの先の運命を決める
大きなターニングポイントとなります。

 第一次世界大戦前後のヨーロッパの生活様式の変化は凄まじく、男性が戦地へと出兵したことにより、自国産業への女性の参加が大きく増した事によって、より女性の社会進出が進んだことで、大戦終了後も活発に活動する女性の社会的地位が向上しました。
 これによって腕時計の使用の多くが女性だったことによってさらに、腕時計の需要は増加。

 極めつけは、戦地で活動した男性たちがポケットにしまう懐中時計より、圧倒的に腕時計の方が利便性が良いことを知ったことで、大戦後ヨーロッパ中の男性からの腕時計需要が高まりました。

 これによって腕時計の将来性を見越して腕時計作りに全力を出していたロレックスの売り上げは爆上がり!
 さらに、腕時計としての精度も申し分ないレベルなのも功を奏してロレックスは一大時計メーカーへ成長しました。

 戦後さらなら事業拡大を目指して本社をロンドンからスイス・ジュネーブに新たに設立し、
社名を「モントル・ロレックス・S.A」
(現ロレックス)としました。 

弱みを強みに

 ロレックスが次なる一手として着手したのが
時計の弱点であった水への対策でした。
 腕時計は腕につける関係で雨や汗、仕事などで水に濡れることが多く、この水による故障の可能性が高かったのです。
 こうなってしまうとロレックスの売りであった時計の精度も今を為さなくなってしまいます。

 これらをクリアするために、1925年にねじ込み式(ケースやガラス、リューズを固定させる仕組み)ケースを開発したロンドンの「オイスター社」を買収して傘下に加えて、技術の特許を取得して、1926年に丈夫さと防水性を備えた腕時計「オイスター」を発表しました。

 1927年には遠泳でイギリス海峡横断チャレンジに参加して、イギリス人女性スイマーのメルセデス・グライツ氏にオイスターを着用してもらって防水性の証明に挑みました。
 このチャレンジは見事成功して、防水性を証明してみせたオイスターは新聞に取り上げられて
一躍話題を呼んだと同時に、スポーツ選手や
文化人との交流が生まれていくことに繋がりました。 
 この繋がりから、「デイトナ」や「サブマリーナ」など人々の活動をアシストしてくれるスポーツウォッチや、「エクスプローラー」や「ミルガウス」など過酷な環境下でも信頼できる耐久性を持った腕時計が後に生まれます。
 この海峡横断チャレンジの経験があったからこそ、ロレックスの作る腕時計は、付ける人の環境問わず、人々の生活に寄り添って信頼して使用できる腕時計が開発されていくのです。

そして、頂点へ

 ここまで時計としての高い精度という信頼と、防水性というアイデンティティを生み出した
ロレックスは、時計業界で確固たる地位を築くために腕時計の自動巻き機構の開発に乗り出します。 
 この開発の意図としては、手巻き時計の場合ゼンマイの動力が弱くなると時間の精度に問題が生まれることと、ゼンマイを巻く時に水が入ることを防ぐために固定されたリューズを緩めて、巻いた後固定し忘れて水が入ってしまうことを防ぐためには腕の動きで自動的にゼンマイを巻くことが理想的であるとハンス氏は思いました。

 数年かけて開発は進められて、1931年にロレックスの技術部長が開発に成功させたのが、
全回転型自動巻き機構「パーペチュアル」です。
 この自動巻き機構もまた特許を取得したことによって、他のメーカーへの技術的普及はされることがなかったこともあり、ロレックスのブランド力は、時計メーカーの中で確固たる地位を築くことになりました。
 そして、これから先の腕時計の基礎となる技術であったため、今なお、他の追随を許さない時計メーカーとなっていったのです。

 こうしてデザイン性や、流行を取り入れた時計作りではなく、精度や耐久性で信頼される完璧なまでの実用的で、使用者に寄り添った腕時計を世に生み出したロレックスは今日においても絶大な知名度と信頼、社会的地位を持つに至ったのでした。

まとめ

 以上!ロレックスがいかにして時計界で地位を確立していったかの歴史でした!
 歴史的背景など交えながらお話しさせていただいたので、ボリューミーな内容となりましたが、いかがだったでしょうか?

 完璧な腕時計を作ることを目指し、いくつもの障害を技術を磨いて挑戦し続けることで乗り越えて、目標を実現させていった歴史と、創業者の将来を見越したビジネスマンとしての素養、この2つが合わさたことによる信頼と実績が今日のロレックスの形作っているのだと思います。

 筆者もハンス氏を見習って先の未来を見据えて
仕事と向き合っていこうと思う所存です!



ここまで読んでいただきありがとうございました!
読んでいただいて面白かった!、さらにロレックスの時計欲しくなったなど思っていただけましたら、フォローやスキをしていただけると
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