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自分が自分として居られた日

先日、友人と日帰りの小旅行に行ってきた。

親兄弟、友人の前など、職場以外のコミュニティでは「レッテル」という仮面を被って生きてきた私。
今までなら、どんなに仲の良い友人との旅行だったとしても億劫で仕方なかった。

「自分を良く見せるため」
「順調である様に見せるため」
「本当の自分がバレないように」

いつも気を張って怯えて人と関わっていた。
仮面を被った状態での会話。
楽しいはずもなく、いつも気疲れした。
信頼関係という感覚も得られなかった。

「人生の軸足」を探すため、自分と向き合う最中での友人との小旅行。
不思議なことに私に仮面は無かった。

実家のことや生い立ちのことで長年苦しんでいること。
我慢しすぎて体調を崩してしまったこと。
自分という人間に行き詰まっていること。
立ち直り方が分からないこと。
未来への不安があること。

あんなに頑なに仮面で隠していた自分のトラウマや弱音を話すことが出来た。
正直、どんな反応が返ってくるか怖かった。
しかし、友人は温かく聴いてくれた。
そのお返しという訳でも無かったのだろうが、人には言い辛い過去の苦しい体験、今も悩んでいることを話してくれた。
友人の人間力、聴く力、配慮も少なからずあったには違いない。

自分が変われば見える世界も変わる。
世界がとても優しくて温かいものに感じた。
この優しい世界は、職場や友人に限らないことなのかな。
今まで私が見ようとしていなかっただけなのかな。
だったら、「もう自分を自分として生きて良いんだよ」「怖がらなくて大丈夫」と、自分に言ってあげたい。

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