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笑顔の裏にある涙。

最近、すぐに心が堕ちてしまう。
目が覚めてから、今日はあれとあれとあれをやろう!
そう心に決めて、野菜たっぷりの朝ごはんを食べたのにふとあるものを目にした途端、一気に心が沈んでしまうのです。

最近、とても笑顔の素敵な俳優さんが若くして亡くなりました。
真実はわからないですが、報道によると自ら命を絶ってしまったと。
彼が何故その道を選んでしまったのかはわからないけど、飛び交う情報の中
とても気がかりなことがあって、それを考える度に自分の中の辛い過去が蘇って気持ちがどんと堕ちてしまいます。あの日以来そんな日が何度も私の中に訪れて来て、その報道が真実かどうかもわからないのに自分の過去は事実だからなのか、勝手に思いがリンクしてしまうのです。


子供の頃からよく「笑顔がとてもいいね。」って言われることが多くて、いつの間にか自分では笑っているつもりも無いのに「いつも笑ってるね。」と言われるようになっていました。それから30年経った最近もある研修の講評で最初に書かれたのはやっぱり「笑顔がGOOD!」でした。
褒め言葉なのでしょうが、私がこの言葉を言われるようになったのはある時期からだと自分でわかっているので、彼の死の後にこの言葉を見た時にそれを思い出してなんだか悲しくなりました。

話すと長くなるのでここではだいぶ割愛しますが、私の家は比較的家庭環境が複雑で、特に父親がトラブルメーカーだったので色々な問題を家族や親族にもたらしました。仕事も次々と変わり、家にもたまにしか帰ってきませんでしたが私が中学に入る頃にはたまに両親が揃うと本当に喧嘩ばかり。口論だけでなく時折物も飛び交っていました。私はそれを見て泣くことしかできなかったのです。生まれた時から父親のことがとにかく苦手でしたが、どんどん嫌いになっていきました。


私が高校に入ると同時に5才離れた兄は千葉にある会社の寮に入り、家を空けることが増えてきた母親もその直後「ごめんね。」と家を出ていきました。私は一人その家に取り残されました。出て行く母親を止めることは出来なかったのです。いつか私も家を出る時が来る。母親には母親の人生があるからとその時悟ったからです。
私は無言で母親を送り出し、そして私から笑顔が消えました。

父親は相変わらずたまにしか帰ってこなくて生活費は銀行口座に振り込まれるようになりました。自分でお弁当を作って、生活費のほとんどを好きなアーティストの音楽に費やしていました。CDを買ったりライブに行ったり。
学校は私立の女子校に通い、友達にも恵まれました。勉強はそんなに好きでは無かったですが、友達といる時間はとても楽しくて学校は好きでした。
その当時家で私がどんな生活をしていたのか、それ以外にほとんど覚えていません。これは自分でもすごく不思議なのですが記憶がごっそり抜けているのです。ただ、よく風邪を引いて熱が出ることが多くてそれでも家にいるより学校にいたくて頑張って行っていたけど結局すぐに熱が高くなって家に返されて、ふらふらになりながら家に帰って一人で寝込んでる時はとても寂しかった。そんな記憶が残っています。


母親が出ていってしばらくすると夏休みに入り、私は一人で千葉にいる兄のを訪ねました。フェリーと単線の電車を乗り継いで着いたら暗くなってました。そこは海の近くでした。私は寂しくなると海を見ていたら気が紛れたので、当時から海を見るのが好きでした。

何日かそこで過ごした後、「パパとママとどっちと一緒に暮らしたい?」と兄から聞かれました。本当は母親と一緒に居たかったけど、その時母親にはすでに別の相手がいました。当時はあまり状況がよくわからなかったのですが、とにかく私はそこに行けないと思ったから「一人で暮らしたい。」と言いましたが現実問題、高校生になったばかりの私が一人暮らしをするのは難しくてそのまま父親と暮らすようになりました。すでに実質は一人暮らしのようなものでしたがいっそのこと親から離れたかったのです。
それでも経済面では父親に頼るしかなくて、私はどこかで心を閉ざしながら普通に学校生活を送っていきました。


当時はまだ今みたいに離婚がよくある話では無かったのもあり、どちらかというと世間でも「可哀想な子」という印象がとても強かった感じがします。中学生の時にいわゆる不良と言われる子は「あの子の親は離婚してるから。」なんて言われていて、親がいないと不良になるみたいな風潮がどこかであった気がします。私は強がりなのか同情されたくなくて母親が出ていったことを親友にも誰にも言えずに一人でしまい込んでいました。小・中学生から仲の良かった友達が家に遊びに来た時も「今日、母親いないんだ。」ってあくまでもその時だけいない事にしました。それ以前は母親が家にいることもあったので、前からよく遊びに来ていた友達は「今日もおばさんいないの?」と少し不思議がっていました。それでも私は高校に通う3年間嘘を突き通しました。その裏で悟られないように鏡の前で何度も「笑顔」の練習をしました。どんなに悲しくても笑顔でいれば人にはわからない。そう思っていたからです。寂しくて一人で家で泣いている時も泣きながら笑顔を作りました。それは自分に暗示をかけるように。笑顔でいればきっといいことが起きると。
それからどんどん大人から笑顔を褒められるようになっていきました。ある日、友達と英語を習いに通っていた教会では「天使のような笑顔」だと言われました。私は笑顔を手に入れて、何かあっても笑っていれば大丈夫。そして「笑顔は生きる為の術になるんだ。」と思うようになりました。

高校卒業するのと同時に、初めて親友に母親が出て行ってしまっていた事を打ち明けました。彼女は「なんでもっと早く言ってくれなかったんだ。」と怒りながら泣いてくれました。彼女は今でも一番の親友です。

少しずつ大人になっていく中で父親と過ごす時間も環境も色々と変わっていきました。しかし、私はある日、とあることが原因で家を出ました。
当時、父親はリフォーム会社を友人と立ち上げていましたが何年かすると途中で資金繰りが悪化し、会社は倒産しました。私は一時期そこで事務を手伝うように言われて働いていましたが、もちろん最後の方はお給料なんて貰えませんでした。父親は昔から自分の親族にも母親の親族にも金銭面で多大な迷惑をかけていたのに状況は悪化するばかり。その時は闇金からもたくさん借りてもう手に負えない状態になっていました。危険を感じた兄は私に「家を出た方が良い」と言い、すぐに私は家を出ました。その後家はその人達に占領されました。
 
私が外で働くようになると父親は金銭的な支援を求めて来ました。私自身もいくつか職を変えながら20代後半には奇しくもリフォーム会社に就職し、その年代の割にはお給料もたくさん貰えていました。高校を卒業した後、短大にも行かせて貰い、専門学校にも1年間行かせてもらったことに感謝もしていたので少しは返そうと思って、少しずつ渡していましたが電話が来るのは毎回お金の事ばかり。電話が鳴る度にうんざりして「もう父親からの電話は出たくない。」そう思うようになりました。
父親はもちろん兄にも多大な迷惑をかけており、兄は本当に私の何倍も辛い思いと経験をしてきました。私たち兄妹は話し合って父親と縁を切ることにしました。父親を故郷の九州に帰して、連絡を閉ざすようにしました。
それでも、親子の縁なんてなかなか切れるものでも無いのです。私は父親からの電話を恐怖に感じるようになりました。親でも子でもお金の為になら利用する人。母親は母親で当時はかなり浪費癖があり、時々支援を求めてきました。自分の生まれてきた意味を何度も考えるようになりました。母親からも距離を置いていました。それから何年かすると父親は糖尿病を患い、片足を切断した後、治療にも耐えられず故郷で亡くなりました。縁を切ったと言っても病院からの連絡は来ます。酷いことに私は正直ホッとしました。もう電話が来なくなるんだと。

今回、真実がどこまでかはわからないけど彼が死を選んだ原因の中に家庭環境の事とかも書かれていたりして、もしそれが本当だったとしてもあくまでも要因の一つに過ぎないでしょうが、彼の生前の写真や映像を見る度に
「あんなに素敵な笑顔だったのに。」というのを自分でも思うし、誰かが書いているのを見ると、もしかしたら彼も私と同じように苦しみながら子供の頃から「笑顔の練習」をしていたのではないかなって思ってしまいます。
そんな勝手な推測に、本当に勝手に想いを馳せながらどこかで勝手に共感して、そう思っても変わらなかったかもしれない現実にもっと早く気づいて応援出来たのではないかという反省と、その一方で自分の中でしまっていた思いや経験がこじ開けられた感覚もして、気分が堕ちて自然と涙が出てしまうのです。これは私の中のトラウマで何十年経っても環境が変わっても、その時の想いはなかなか消えないんだと思いしらされています。


そんな時間を乗り越えながら自分の中で消化していこうと思っていましたが、こんな経験を少しでも伝える事で、時には表面上にある笑顔の裏には実はそんなこともあるんだという事を知って欲しいなと思いました。
だからもし「笑顔をたくさんしている人」がいたら、少しだけ気にかけてみて欲しいのです。その笑顔の裏側にあるかもしれない悲しみに。
もちろん、その中にたくさん本当の笑顔もあると思いますし、笑顔でいればいいことがあると私は今でも信じていますが。その対象が若い程、何かに気づいて出来ることがあるかもしれません。孤独に命を失くす人が少しでも減りますように。そして理由や原因はどうであれ亡くなられてしまった方に心よりご冥福をお祈り致します。

(TWFF :  Megumi  Johjima)



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