エヴァは「葦」かもしれない。
こんばんは。
けいです。
さっき、お風呂の中で考えていたことが、個人的に
エウレーカ!
となったのでnoteにしたためています。
パルカルとデカルト
まず、この議論を進めるためには、前提知識となる「パスカル的思想」と「デカルト的思想」を説明しなければなりません。
なお、どちらの思想も本格的に学んだわけではなく、NHKの100分de名著にてみたことがあるくらいなので、正確でない部分は多々あると思います。
パルカルとデカルトは、聞いたこともあると思いますが、どちらも哲学者(?)です。(この辺りから既に怪しい)
ただ、お互いに思想が対立しており、パルカルはデカルトのことを忌避していたとも言われているよう。
僕が理解している二人の思想の違いは以下です。
パスカル
→世の中には、理解不能な現象が存在している。しかし、考えても意味がないからと絶望するのではなく、少しでも自分にとって良い方向に導かれるように考えることが重要である。
デカルト
→因果論。全ての物事には原因と結果がある。つまり、原因を理解してしまえば、結果は自ずと導かれる。
つまり、パルカルは、世の中は考えてもわからないこともあるけど、できるだけ考えようぜ、という思想で、デカルトは、全ての物事には因果があるという思想です。
真っ向から対立していますよね。
もうお気づきかもしれませんが、僕はパスカル派です。
理由は、デカルト的な思想は「人間から見た世界」だと考えているからです。
私たちの脳みそは、勝手に因果律を理解するように作られています。なぜなら、そのほうが外敵や危険から身を守れるからです。
例えば、目の前に大きな岩があるとします。その岩の右側から左側に向かってライオンが歩いて行ったとします。
この時、大抵、左からライオンが出てくると予想しますよね。
なぜなら、ライオンが右から左に歩いているからです。
こういうふうに、身の回りの危険を察知するという点において、因果律は非常に有効な手段と言えます。
逆に、これを取得していることが、人間がここまで反映できた理由かもしれません。
しかし、これは、世界の真理ではありません。
あくまで、人間の生存戦略の一部に過ぎないわけです。
こういった理由から、僕はパスカル的な考えが好きです。
エヴァが面白いと言われているワケ
知らないおじさんの話をされて飽きてしまった人もいるでしょう。
良いでしょう。そろそろエヴァの話をします。
エヴァとは、みなさん知っているように、庵野監督が作ったロボットアニメです。
エヴァの魅力はなんといっても、その深すぎるストーリーでしょう。
聖書であったり、いろいろな分野からオマージュをして作品が作り込まれているため、知識があればあるほど面白い作品です。
エヴァの魅力を語っているととてもこのnoteが書き終わらなさそうなので、エヴァが気になった皆さんはこれを見てください。
エヴァが「葦」である理由
さて、やっと僕が語りたいことに入れます。
ここにくるまで約1200文字くらい書きました。
結論:エヴァはパスカル的に、つまり、よくわからない部分を包括した状態で作られている。視聴者は、その作品をデカルト的視点、つまり、きっと何かしらの文脈がつながっているのではないかを妄想することで面白さを実感しているのではないか。
これが言いたかったんですね〜
我々、人間というものは「因果律」に縛られている。現実の人間関係や、見ているドラマのワンシーンであっても、そこに勝手に因果関係を見出してしまうように遺伝子上にインプットされているのです。
一方、エヴァは、パスカル的、つまり、よくわからない、超常的な部分も含んで作成されていると仮定します。
この状態でエヴァを人間が見た時、人間は、エヴァというパスカル的な世界観を、自らのデカルト的な世界観に落とし込もうとします。この過程が楽しいから、エヴァという作品にハマってしまう。
そういうことが言いたかったのです。
ここまで書いて初めて、デカルト的な人間はが、パスカル的なエヴァを見て、それをデカルト的な因果律に落とし込むときに、なぜ面白いと感じるのか?という部分を見落としていたのに気が付きました。
この部分にも気がついたことがあれば、またnoteを更新しようと思います。
では。
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