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地下アイドルというコンテンツ

こんばんは、そしてはじめまして
普段はnoteにマジック・ザ・ギャザリングのパウパーというコモンのみを使用したフォーマットの記事を書いているのですが、私自身がメインの趣味としているアイドル現場の事を一度自分自身も振り返りたいと思い書かせていただきます。
学歴が無く、だいぶ陳腐な文書になるかと思われますが目を通して頂けたら嬉しいです。

1章 地下アイドルとの出会い

まず私こりたは小学生の高学年から、今に至るまで色々な三次元の異性のオタクをしてきています。
コンカフェ(メイド喫茶)、声優、コスプレイヤー、フェチ系の活動者さん、グラドルさん、ジュニアアイドル、今で言うところのインフルエンサーと本当に色々と見てきて今は地下アイドルというコンテンツに落ち着きました。
最初に地下アイドルを知るきっかけは声優さんでした。
当時、けものフレンズというコンテンツにドハマりしていた私は特にその声優さんにハマっていて、リリイベやお渡し会、舞台やライブ等リアルに会えて話せる現場はほぼ顔を出していました。
この時、ガチ恋していた声優さんが飼っているペットしかX(旧Twitter)に写真を上げずに『お前声優として売れる気ないの?』とお渡ししたお手紙に書いたのは懐かしい思い出です()
脱線しましたが、その声優さん達の中で一人地下アイドルのグループに所属しており、その現場に顔を出したのが私の地下アイドルオタクデビューでした。
"アイドル♪オーケストラRY's"というグループ(現在アイオケというグループ名)に所属しており、秋葉原のゲーマーズのイベントスペースで定期イベントをしており、無銭という事もあり私はその現場に行ってみる事に。
      な ん だ こ れ は
凄いカルチャーショックを覚えた事を今でも思い出す。
私は声優さんをずっと推して居たので、俗に言うMIXという存在を何も知らずにオタクをしていました。
ライブ中にいい歳の自分より歳上のオッさん達が、なんか呪文めいたもんを唱えてる訳ですよ。
『なんやねん、、ジャージャーってwwwwきっしょ、、こいつらこんな必死になって声出して何してんの』
それが当時の私の感想。
ライブ自体は小さいスペースでしたが、声優さんのミニライブなどの距離感を知っていた私はそこに関してはあまり違和感なく溶け込めました。
曲は良くも悪くもという感じだったのを覚えています。
そしてライブが終わった後はチェキ会という物をやっていました。
ただ私は当時今以上に斜構で典型的な"俺はお前らと違う"という確固たる自身に満ち溢れてたので、何もせずに帰宅。
しかし帰宅した後、私はネトスト体質であり同担などのTwitter監視、どんなリプしてるとかもめちゃくちゃ気にしていました。(きしょすぎて笑えない)
そしたらその子とのチェキを上げてるのを見て心の中で『俺は負けた、、接近イベントを干して帰ったんだ、、CD一枚より安いお金で話せるのにそれをしなかった雑魚、、次のイベントでは絶対にチェキを撮る』
そして気づいたら私はその現場にまた行っており、またタイガーファイヤーなどと叫んでる俺とは違うキモヲタに紛れて完全に後方で腕を組み、ライブを鑑賞。
そして遂に私は声優さんとチェキを撮る機会が来たぞと胸を踊らせ、チェキ券を買い並ぶ事に
   か   わ    い    い
もうそれはそれはキモヲタだったと思う。
気になって推すか悩んでいた根本流風さんとチェキを撮ったのだ
流『前回は来てくれてたけど、そのまま帰っちゃったけど今日は来てくれて本当嬉しい。これからもRY'sの応援もして欲しいな』
こんなありきたりな営業トークにまんまとこりた氏は勘違いをしたのである。
それはもう脳内では根本と付き合っている設定である。
私は小倉唯を推して居た時風俗で地雷を踏んだら、脳内で小倉唯と俺はSEXをしていると思い込む事ができる程のキチガイである。
そんな営業トーク一つでもうそれはありがちな"根本は俺の事が好き"だと勘違いしているのである。
本当に男という生き物は滑稽である。
貢ぎ物り◯ちゃんに騙されて文句を言っているオッさんと何も変わらない。
そんなこんなで私の地下アイドルヲタデビューは幕を開けたのである。

2章ガチ恋 

そんな勘違いをしたこりたであったが、私は同担スカウターを持っている。
何を言っているんだ、こいつと思うかもしれないが、これはあくまでも私個人の考えだが、やはり活動者としても好きなファンか大切なファンなのかの強弱はあると考えていた。
そりゃ文句を言わず、現場に全通の勢いで通い、金を使う奴が一番最強である。(繋がるのを目的としている場合はこれではダメである)
私は通いだし、早々根本ではTOになれないと確信していたのである。
私は当時、本当に群れるのが嫌いで単独でイベントなども最初は通っていた。
今のように一緒にお酒を飲んだり、ラーメン食べたりできる仲の人は一人も居なかった。
そんな中声優現場にも全通しており圧倒的なTOが居るという確信はあり、私は勝てない試合は逃げる姑息な人間なので早々に推し変をしたのだが、当然グループはもっと前から通っている古参がおり、私が出る幕はなかった。
そしてその時一度心が折れて、グループを通うことをやめ声優現場をメインに通うことをしていた。
少し月日は流れて、声優現場では仲良くしてくれる人も少しずつできて、そのTOとも仲良くなれた。
そんな時にまねきの湯という温泉施設でイベントがあるとなり、私はそのイベントに久しぶりに参加を決意。
そこである意味地下アイドルの始まりをそこで経験したのかも知らない。
イベントは他愛のないチェキイベやトークイベント
そんな中、追加になるメンバーが紹介されたのだが、これが私の人生を本当に変えたと思っている。
高橋紫微というフルート奏者だったのだが、あまりにも綺麗な子で本当に恋に落ちた、、
恥ずかしい話だが、私は女性経験が無いわけではなかったが、一目惚れしやすい体質で本当にチョロい。
そして私はこの時浅い考えでもあるが、なりたかったTOになるチャンスだと感じていた。
新メンという事、そして前世もほぼオタクが関与できる事のない演奏者、よーいどんだとも思い私は絶対にこの子のTOになりこの子を支えたいという気持ちになっていた。
今33歳になった私から見たら本当に青二歳な考えだし、何よりそんな事をしても何もならないぞーと伝えてあげたい。
まぁそんな訳で私なりのTO計画がここから始まるのであった。

3章その道のり

紫微のオタクとなろうと決めていた私に訪れたのは古参からの挑戦状であった。
今数年地下アイドルというコンテンツに通っている私からしたらこのグループは本当に異質だったと感じる。
これは後々の事にも関わってくるが、当時は各メンバーのTOがこいつは新メンのTOにふさわしいか試すような事をしたり、DDだが歴が長い古参のオタクが、私がチェキをぶん回さない事を見て鍵閉めを狙ったりと色々された。
本人達はそういう自覚はなかったのかもしれないが、私と今も交流する友人はここからの付き合いの人間もいる。
そんな人と話してもやはり異質で色々大変なグループだったと今は思う。※今グループはそんな事ないと思われる
まず試されたのはランチタイムコンサートというイベントである。
名前の通りなのだが、日本の銀行を回り、お昼の時間にそこの社員さんに向けたちょっとした演奏会をやるイベントなのだが、当時これを私は全通した。
仕事も休み、意味も分からず全て通った。
それが周りに認められる一つの条件であった。
本当に狂っていたと思う。ただ私はその子と本気で付き合いたいと当時は思っていたし、飛行機を使ったり新幹線でたかだか数十分の演奏を聞く事がその子に認められる、そして周りから評価される為の条件と思っていた。
その演奏会で、始めて同性の演者が絡んでいるのを見て吐き気が止まらず毎日毎日病みながらもそのコンサートの日にはそのコンサートいく日々だった。
そして全部通った私は現場のオタクにも認められてその子のTOとして認められたのである。
正直この時の俺はもう他の同担は雑魚、俺以外勝たない、お前ら俺程の情熱ねぇんだから消え失せろくらいには思っていた。

こんなイメージ

そしてそんなこんなでTOになったこりたくんであったが、決定的に天狗になるエピソードもあった。
同じ事務所の演奏家の人達が、組んでいたバンドグループのイベントの見学にその推しが見に来ると当時のマネージャーから教えてもらい、当然私はその場に足を運んでいた。
今考えればプライベートなのだが、本人もいいよーと言っていたのもあり、私は大いに勘違いしたのである。
そしてその場には同じ同担の方も来ていたのだか、私からしたら眼中にない。何故なら俺が最強と思い、信じ込んでいる。
そんな中別のメンバーのTOだった方二人もその場に来ていたのだが、その場に私の推しもきて無銭で色々談笑をしていた。
そんな中そのオタクの方がこう言ったのである『紫微のオタクで一番なのって誰?』
正直胃がクソほど痛くなった。私は自身はあれど、小学生の時から醜形恐怖性であり、本当に容姿に関しては今も鏡を見ては吐き気が出てくる時があるレベルである。
そんな中推しから出てきたセリフは『やっぱり一番最初に私に好きをいっぱい伝えてくれたのはこりただから私はこりたが一番応援してくれてると思ってるよ。』
この言葉に本当に心が救われた。
今まで私は怖くて本人に聞く事はできなかったし、何より容姿も私はゴブリンで相手はお姫様くらいの差だと思っていたので(これは今通っているアイドルさんや活動者さんみんなに感じている)本当に嬉しかった。
ただ今思えばその場にはその子を推してる人はもう一人来ていた。
その時の私はザマーーーーーーーーwwww雑魚は大人しくしとけ位に思っていたが、非情な話だと思う。
私が仮に逆の立場なら多分泣いてその場から去っていたと思う。
そんな事件もありながら私は本人からもTOという名称を獲得してテンション上がったのである。

4章生誕祭

そして私こりたはこのままそのTOという地位を獲得して、ふんぞり返っていた。
そんな中とうとう来たのが推しの生誕である。
私は各メンバーのTOからも生誕の準備だけは早くしろと言われており、自分なりに準備していた。
そんな中一つの壁にぶち当たる。
それは通っているヲタクのみんなにメセカの声かけ、並びに同担にカンパなどの声かけであった。
私は本当に同担敵視で、そのTOとやらになった後に私くらい熱心に推しを推している人が出てきた。
私より歳上の方だったが、社長であり当然私より財力はある。
勝てる所と言えば私は現場数という感じ。
ヲタクの中の暗黙のルールでフラスタのボードにはファンの名称で一同と書いて、アルバムなどで色々推しオタクなんかで分けるのが普通だとされていた。
そう私が同担に話しかけ、お願いしないといけないのである。
本当に嫌だった。私はその子の絶対的1番でありたかった。
そんな私に勝ちうるオタクと協力して何かをやるなんてのは本当に心の底から嫌だった。
私は負けるのが嫌いだ。それはオタクとしてもである。そんな他人に力を借りるなんて事は絶対したくなかったのである。
そんな中月日が経ち、そろそろ声をかけないのならその人からは何も協力はしてもらえないような状況だった。
そんな時推しに私は物販でこう聞いた
『あの〜さんって人も推してると思うんだけど、やっぱりみんなでお祝いされた方が嬉しいですか?』
これが精一杯の私が出せた言葉だった。
本当に取られたくない、あの頑張りを無駄にしたくない。そんなことしか私の頭にはなかった。
そして推しはこう答えた。
『こりたが、あんまり私を応援してくれる人と仲良くしたくない気持ちはわかってあげれるよ。ただ私はできればみんなから応援してもらえるようになりたいし、無理が無いならみんなでやって欲しいなって思う。それでこりたが他の人とやったからどうなるとかはないよ。』

恥ずかしい話である。
推しに分からされた瞬間だった、、俺は周りからの評価や自分の見え方だけ気にして本来のその子の誕生日をお祝いする。これをできない所だったのである。
トークが終わった後私はその同担に声をかけたらその人から声かけてもらえて嬉しいと言われた時本当によかったと心の底から思った。
そして無事に生誕祭は推しに渡すプレゼントは他の同担の人とも渡せて本当に素敵な生誕祭だった。
推しも私が考えて、イラストを書いてもらった物をパネルにして喜んでくれたり、チェキ撮った後のトークは持っていたトーク券も全てそのイベントで使い切り、楽しい最高の時間を過ごせた。
ある意味人としても成長できた時かなとも思う。

その時頼んだイラストボード

5章違和感

そんなこんなで私はずっとこのグループ一本で地下ドルのオタクをしていたのだが、そんな中で一つ違和感を感じだしていた。
当時のこのグループを通っているオタクはこのグループしか見ない人しか居なかった。
まぁ当時は対バンなどにもほとんど出てなく、自グループのイベントばかりだったのもあるのだが、対バンになってもそのグルしか見ないで見たらフロアから出る人がほとんどだった。
今の俺ではあまり考えられない事である。
そんな中私はこれも運命的な出会いをする。
Zeppで行われたイベントでそれはほぼ身内の方が行ったフェスのようなイベントだったのだが、その中に"SUMMER ROCKET"というグループがあった。
このグループもそのフェスの主催した活動者と関係が深く、当時対バンでは多少被っていて私はなんとなくそのグループのパフォーマンスは見たことがあった。
そんな中でZeppで新メン二人を加えたサマロケのライブは本当に心動かされる物があった。
グループのイメージは簡単に言えば"楽曲派"という括りになるグループなのだが、その曲が本当に素晴らしいの一言だった。
そして私はこのサマロケにそのイベント以降、通っていたグループがライブない時などに顔を出していたのだが、本当に日々のライブが楽しかった。
ほんわかしたプロデューサーのよしPの元で活動しているメンバーの四人もほんわかした独特の空気感を持っている子が多く、通っているオタクさんも交友的な方が多くて楽しかった。
そして私は通いながら気づいてしまうのである。
俺が大事に全通していた、RY'sという現場は良くも悪くも井の中の蛙というか、隔離されていたからこそ周りの地下アイドルとは何かが違うんだなぁと感じだしたのである。
この不信感はどんどん広がっていって、私が積み上げてきたTO()なんて称号はなにも役に立たないし、1ファンでしかないと感じさせてくれたのもサマロケであった気がする。
ただこのグループで出会えた物は本当に多かった。


その時衝撃だった対バン

私はこの対バンで多くの衝撃を受けた。
私は元々メタルやV系などの楽曲を好んでいた。
当日勿論そういうバンドサウンドの楽曲をやっているグループがあるのは知っていたが行かないでいた。
それは大事に全通しているグループが合ったからである。
ただこのライブを行って私の人生は変わったと言っていいと思う。
やはり聴いていた音楽というのは偉大だし、メイクもゴリゴリの激しいライブをするアイドルさん達に私は心を奪われた。
それはもう早かったと思う。フロアでのモッシュやサーフ、そして最高に熱くなれる音楽。
私が求めていた地下アイドルのライブはそこにあったのだ。
当然サマロケはこの後も顔を出していたが、次のnoteに書くがこの中で通い出すグループが出てきた訳である。
そして、私は後々にRY'sは他界した。
始めてTOとなった、推しとも色々話して離れる決意をして今にいたる。

とりあえず1回目はここで終わろうと思う。
書きながら私はこんな長くこの地下ドルの世界に浸かっているんだなぁとしみじみ思った。
そしてこの後、通っている主現場を8回くらい変えてると思うとこのnote何回書くんだよwとも思っている。
ただ色んな出会い、経験をしてきたが、一つ言える事は地下ドルって最高なんだよ!
本当に良くも悪くも人の人生変えるパワーがあるコンテンツだと思う。
最後にこのnoteをまとめるとするなら、今の若いオタクのみんなに向けて言える事は本当に自分のペース、そして他人と比べるって事を辞めて欲しいなぁって事。
俺もいまだに同担は苦手だったりする側面もあるけど、例えばチェキ列の札を無言で渡すとかしてもなんにもならない。
その場だけでいいから、どうぞって優しく渡してあげてほしい。それだけで推しからの君の評価は変わってくる。
そして最近はコンカフェで働いてたり、夜職してたりでいっぱいチェキ撮る同担が気になる気持ちもわかる。
ただ本当当時は俺も枚数が正義だと思ってたけど、それだけじゃないから。
病まないで、自分のペースで通って自分ができる範囲でチェキ撮るだけで推しは嬉しいはず。
それで嬉しくないってしてるアイドルは俺から言わせたらカスだからもっといい子見つけてくれ‼︎
TOなんて称号はただの飾りでしかないし、それを最終的に決めるのはファンのみんなじゃなくて、アイドル本人だし、その子の事を考えてあげれる奴ならどんな奴でもTOだよ。
最後にカッコ良さそうな事を書いて今回は終わりにしたいと思う。
次回もまた時間見つけて書くのでみんなよろしくお願いします。

地下アイドル最高‼︎

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