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追悼・神谷浩夫先生

2019年12月1日に師匠逝去の報を受け、12月2日に金沢でお通夜に参列してきました。4月に学部1年の時に合格した宅建の資格登録のために石川県庁を訪れ、その足で闘病中の師匠に会ったとき、もう既に私の記憶はありませんでした。

師匠の名は神谷浩夫(かみやひろお)先生。金沢大学人間社会学域地域創造学類教授でした。専門は人文地理学の中の都市社会地理学でした。

そもそも私は学部当時、法学部公共システム学科に所属しており、神谷先生は文学部史学科地理学教室に所属しておられ、私と交わる部分は全くなかったのですが、決定的な出会いは学部2年の2003年12月のことでした。

白山市で行われた「金大タウンミーティング」でなぜか一番前に座らされた私。目の前にいる先生に目をつけられ、「あんた、ここにメールアドレス書きゃー」(神谷先生は愛知県愛西市(旧:佐織町)出身です)とメールアドレスを教えることに。

「連絡するって言ってたのにメール来ないな」と言っていたところ、年明け一通のメールが。それが神谷先生からでした。そして私が「政治や行政に興味がある」とメールすると、それから神谷先生のネットワークを紹介していただきました。

例えば、当時石川県議会議員をされていた方に学生政策スタッフとして使ってやってくれと頼み込んでくださり、産業廃棄物の不法投棄現場などの視察を議員と一緒に行ったり、議員の質問案を考える経験もさせてもらいました。

その他いろいろな現場に連れて行って頂き、現場指向のものの見方を学びました。インタビュー系で思い出深かったのはエコミュージアムという地域を博物館に見立てる地域づくり活動(三重県宮川流域など)と建設業から福祉業への転換事例として福島県や建設業協会が当時先進的な取組をしていた事例を視察したことでしょうか。

金沢市との共同研究で学生参加のまちづくりというテーマで石川県内大学(金沢工業大学や金沢星稜大学)、県外先進事例(岐阜大学や高崎経済大学、横須賀市にあるまちづくり団体ヨコスカン)などにもインタビューに行きました。そのときに出会った高崎経済大学の渡辺大輔さん(現在、福田達夫衆議院議員秘書)やヨコスカンの松井創さん(現在、ロフトワークCLO)とはそのとき以来ずっとゆるくつながらせて頂いております。

韓国での科研研究(金融危機後の韓国における地方都市および農村の社会変動)にも同行させてもらいました(ヘッダーの写真です。2005年8月東大邱駅にて)。

卒論にもつながったのは学部3年時から取り組んだ金沢まちづくり市民研究機構。私は2期メンバーの市民研究員で神谷先生と同じグループで「まちなか定住のためのまちづくり」という研究テーマでした。研究会が終わると、必ず笠舞のバーミヤン(いまはもうないですが)でごはんを食べながら反省会という流れ。

ここで得た参与観察結果と仙台市・宇都宮市・上越市の自治体シンクタンクの市民研究員制度と比較して卒論にまとめました。学部ゼミの後輩と金沢大学学長研究奨励費も頂きました。学部ゼミと並行して神谷先生の院ゼミ(地理学)に参加させてもらい、徹底的に指導を受けました。

学部4年の春には金沢駅前の空きオフィスを自由に使って良いと学生参加のまちづくりに協力してくださる建築士の方を神谷先生から紹介され、学生まちづくり団体を立ち上げようとしました。そのときにかけがえのない出会いがありました。現在富山市役所で勤務する宇津徳浩さんです(いまでも積み上げ感のある議論のできる親友であり先輩です)。

その後以下図表のような「空きオフィスから元気な県都 まちづくりに金大生パワー」北陸中日新聞2005年4月25日付朝刊も出ましたがメンバー間の内紛でうまくいかなくなり、何度か活動したのちに結局立ち消えてしまうのですが…。

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学部4年の夏には地域創造学類目玉のカリキュラムを作るための前段として、地域づくりインターンシップの試行のため、加賀市山代温泉にある山代温泉活性化NPO法人であるはづちをに1ヶ月間インターンシップに行きました。ここでは組織体制と事業分野における内部評価を行いました(「NPOと地域のかかわり 金大生らが意見交換」北陸中日新聞2006年3月5日付朝刊:以下図表)。

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神谷先生のおかげで石川県内にいらっしゃるまちづくり関係の枢要な方とは当時お知り合いになることができました。でもそれは自分の力ではない、自分の力でどこまでいけるか試してみようと大学院は別の大学(東北大学公共政策大学院)に進むことにしました。

学部時代は学部学生でもない私を現場に連れ出してもらい、ネットワークを広げてもらいました。そして卒論指導まで。私が羽ばたく滑走路を作ってくださりました。

本当に未来を見通していた人でした。未来を見通す力で未だかつて神谷先生を超えた人はいないと思っています。神谷先生の見ていた建設業の転換事例も外国人花嫁の問題も何もかも、神谷先生が目を付けた2年後には必ずメディアに取り上げられる問題でした。とにかく「鼻が利く」先生でした。当然ながら科研もバンバン採択されていました。

自分が2011年から2013年まで北海道大学で教員していたときも常にモデルは神谷先生でした。教えられたように教えよう、でも神谷先生のレベルには到底達していませんでした。講義ノートを以前見せてもらったときにとんでもないレベルの努力を積み重ねておられる姿を垣間見ました。

お通夜だけで滞在時間2時間でしたが、「自分も次に続く人を育てなきゃな」と思いながら金沢を後にしました。私の中に小さな神谷先生が宿ったように。

学術面では地理学界一線級のスターだったと思いますが(地理学界の先生によくそう教えられました)、人間味あふれる?ところも私にとっては魅力的でした。神谷先生の言葉を借りれば、

みんな論文でわしのこと批判できんから、行動で批判するんや。

とおっしゃっていました(笑)

よく某先生とはお酒を飲むと口論になっていました。その先生が帰った後、神谷先生と2人で話していると、

わしは本当の恋愛をしたことがないのかもしれん。

とおっしゃっていたのも印象的でした。神谷先生は生涯独身。都市社会地理学を改めて考えさせられます。

金沢大学着任が1993年。着任1年目に東大、着任2年目に京大からお誘いがあったそうですが、「まだ金沢で何もなしていないから」と断ったそうです。

着任10年後の2003年に私と出会ってよほどうれしかったのか、

本当に神谷と若生くんは年齢は離れていても親友になれるかもしれん。

とおっしゃってくださったのは私もとてもうれしかったです。

(いまだから言いますが)愛車のカローラは暴走特急。金沢のまちを縦横無尽に走り回っていました。私がクルマが好きなので記憶はクルマ関連ばかりなのですが、

神谷先生が前のクルマに近づきすぎ急ブレーキを踏むと私が

なんで先生はブレーキもっと早く踏まないんですか?

と言うと、神谷先生は

ブレーキ踏むの、もったいないやん。

と常人には理解不能な返しをされていました(笑)その他いろいろあるのですが、あまり言うと天国から怒られそうなのでやめておきます(笑)

怒られたことも含め、指導されたときの心に刻まれた名言を思い起こすと…

若い人は棚からぼた餅が好きなんかな。若生くんは汗水垂らして働く人のために仕事するんやろ。
軽々に経営学や行政学が分かるわけないやん。組織に入ってようやく分かるようになるんや。
院生は社会人。社会人と同じだけ努力するように。
若生くんは小さな組織ではすぐリーダーになる。大きめの組織で下積みしないかん。下の気持ちが分からなければ真のリーダーにはなれん。
大型コンピュータを回していた計量第一世代。それで分かったのは、どちらかに偏ってもダメで定量と定性合わせて鮮やかに現象を浮かび上がらせるしかあらへんわ。
(計量に偏っていたこともあり)東大に内地留学していて博論審査で大森彌先生に「自己満足の研究だ」と言われもっと社会に役立つ研究をしないかんと思った。
NPOにインタビューに行くのにスーツは着んように。警戒されるから普通の服を着ないかん。

神谷先生の目指していた研究の一端を示す文章を以下に引用します。私も違った形ですが、神谷先生の目指していたより良い地域づくりを目指したいと思います。

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私の主履修分野は人文地理学です。人文地理学の中でもとくに、都市地理学、社会地理学に分類されます。みなさんが大学を選び、卒業後には地元に戻るのか、あるいは東京や大阪など大都市へと活躍の場を求めて引っ越すのか、それとも大学時代を過ごした金沢にとどまるのか、といったライフコースの地域性です。

地域の発展を支えるのは、企業でも自治体でもありません。それは、人材です。その地域に優れた人材を引き付けることができれば、たとえ資源や交通アクセスに恵まれなくとも地域を発展させることができます。しかし日本の現状は、大都市へ指向する傾向が非常に強いと言えます。けれども、こうした現象が必ずしも先進国に共通しているとは言えません。アメリカやイギリスの人口動態を観察すると、人口が増加しているのは大都市よりもむしろ中小都市の方なのです。有名大学が立地している場所も、大都市に限られてはいません。

では、人々はいったいどんな理由で働く場所を選ぶのでしょうか。もちろん、どんな職業や会社を選ぶのか、そして就職に際して引っ越しを行うのかは、その人を取り巻く環境(地元に豊富な就業機会があるか、どんな基幹産業によって地域経済が支えられているのか、賃金水準はどうなのか、世帯家族や人口の流動性)によって、大きく左右されます。

一方、日本が経済成長を遂げ賃金水準が高まることによって、産業の空洞化も深刻となっています。製造業企業は人件費の安い海外に生産拠点を移し、国内は海外に移転することが困難なサービス業が中心となりつつあります。日本企業が海外展開するに伴い、海外で働く人々も増えています。これまでは、海外で働く日本人といえば日本の本社から派遣される駐在員とその家族が大部分でしたが、近年では大学を卒業してすぐに海外で働く若い人たちや、アメリカ・イギリス・オーストラリアに留学生して卒業後に働く人たちも増えています。反対に、途上国などから賃金水準の高い日本で働くことを目指して、外国人労働者も押し寄せています。日本政府は単純労働者の受け入れを禁止していますが、それにもかかわらず多くの日系ブラジル人や中国人研修生が日本の工場で働いています。

その一方で、東北地方の農村部を中心にして外国人の花嫁も急増しています。日本全体でも、婚姻総数に占める国際結婚の割合は6.1%にも達しており、結婚する日本人も珍しくなりつつあります。農村部で外国人の花嫁が増大した理由は、農家の後継ぎとしてイエを絶やしたくないという強い願望があります。また、条件の厳しい地域では、日本人の若い女性が魅力を感じないという要因もあります。こうした要因から、農村部では過疎化に拍車がかかっています。

現代の都市社会は、こうした深刻な状況に置かれています。研究を通じて、魅力ある地域を作り上げるための施策を考えていくことが大きな目標です。

神谷先生の地域や人に対する想いは引き継ぎます。安らかにお眠りください。

ただひたすら感謝しかありません。ありがとうございました。

ちなみに、神谷先生の都市社会地理学研究の集大成が『ベーシック都市社会地理学』です。神谷先生がなぜ太鼓を研究していたり外国人花嫁などなどを研究していたのかが全て回収されています。

学部向けテキストとして分かりやすく書かれているので、多くの「都市」「地理学」に関心を寄せる方にお読みいただければと思います。

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