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大学卒業後の2年間

大学のいつ頃に就職先を決めて、大学卒業後の2年間、どのように働いていたのか、その職場はどうだったのか、社会人として過ごしてどう感じたのか、正直に書いていきます。

私は大学を卒業してから幼稚園に就職しました。


大学での就活


この大学に入ったのは保育士になりたかったからです。

ですが、なぜ保育士ではなく、幼稚園で働こうと思ったのかというと、実習に行ってみたりして、なんとなく感じたのは、保育園の先生よりも、幼稚園の先生の方が大変そうと思ったからです。

保育園は一クラスを複数人の先生で見ます。その分仕事が分担されます。
日常もそうですし、書く仕事も分担されます。(幼児になってくると1人担任の保育園もあるようですが)

一方幼稚園は、1人担任か2人担任でクラスを運営していくのでその分、負担が多くなると当時は思っていました。

後は、どの大学の先生も、幼稚園は新卒でしか雇ってくれないところばかりだよ。と言うので、一生幼稚園の先生が経験できなくなるのは嫌だと思い、若い頃に大変で、新卒でしか雇ってくれないといわれている幼稚園に就職することに決めたのです。

私の中ではほぼ幼稚園で働こうと決まっていたのですが、一般企業にも興味がありました。
なので、一般企業を受けるための就活の授業も大学で取ったりして参加していました。

保育科で学んで、保育士資格も幼稚園教諭の資格も持っている。
保育・幼稚園業界は人手が足りなくてどこも雇ってくれると、余裕をこいていた私は、一般企業に就職するための大変さを理解せず、
こんな授業を受けて、面接とかでガツガツして大変だな~と思っていました。

今考えると、就活の授業は、社会はどのように成り立っているのか勉強できる大事な授業だったので真剣に取り組むべきだったと後悔しています。


就活が大変そうということで、一般企業は諦めて幼稚園に就職するために園を探し始めました。
4年生から保育フェアだったり、幼稚園フェアだったりに参加するようになり、夏ごろから大学のキャリアセンターにお世話になり始め、大学にくる求人を少しづつ見るようになりました。

しかし、働くことにモチベーションがない私は、キャリアアドバイザーを頻繁に利用しなかったり、幼稚園なんてどこも同じ感じじゃない?とホームページを見ても違いがよく分からない私。

見学にも10園くらいは行きました。
何個も見てると本当に余計に分からなくなりますよね。


大学の授業でしか習わない教育方法で、実際にどうやるのかも分からない、
実際に子どもにとってどんな教育方針がいいのか分からない、
ホームページにはそう書いてあるけど、実際本当に全員がそう教育できてるのかも分からない。
そうなってきます。

最終的な決め方は、家から近くて、給料が他の園より少し良くて、
夏休みがめちゃ長い幼稚園にしました。



1年目の幼稚園


幼稚園は歌を歌います、先生がピアノを弾けなくてはいけません。
知っていますが、中にはどうしてもピアノが弾けない人もいます。
その場合は、ピアノを使わなかったり、すごく簡単にアレンジしたり、ピアノが弾ける人が弾けばいい。
見学時も面接の時もそう言われました。

私はそれを信じてそこに勤めることにしたのです。

その幼稚園は2人担任で、補助の先生も何人かクラスに入るので、苦手なことは誰かが補ったりして良いチームワークで動いていくのかと思っていました。


現実は私が想像していたものではありませんでした。

毎学期、始まる前にその学期で歌う曲のピアノのテストがあり、絶対弾けなきゃいけないし、他のクラスとも歌うことがあるからと簡単にアレンジしてはだめだと。

確実にこの前言ってたことと違うじゃん。と。

だから大人が嫌いなんだ。すぐ嘘をつく。笑


ということでそこの幼稚園は1年で辞めました。

理由は、

・女子高みたいで私は染まりたくなかった。
・言われたある一言で「もうこの人たちと一緒に働きたくないな」と思った
・教育方針と仕事内容が納得いかなすぎた

まず一つ目の女子高みたいというのは、

集まってお話するのが大好き。近所のおばちゃんみたいでもあるのです。
みんなでやる掃除中も掃除は下の人がやればいいと思ってるのか、すぐ輪になって誰かの噂話をするか、悪口を言うか。

新人の私たちはちょっとでもあの人たちにとって普通じゃなそうなことをするとすぐ言われます。
別にいいんですよ、そりゃ珍しいですもんね。
そこで私は、”お、言ってる言ってる”と思ってわざと中に入るんです。
そうすると話すのを辞めるてしまうのです。
私って分からないように頑張って話続けて下さいよと思います。

新人だけでなく、中にいない誰かのことを言うのが好きみたいです。
その人の前では仲良く見せてるけどいないと悪く言う。
私はみんなで仲良くやりたいですよ。
誰かが失敗したら「おーいーなにやってんだよ」って直接言えばいいのに。

私は人の上の立場になったことがないから分からないけど、仕事ができるようになると人のことを見下すようになるんですか?そういうものなのですか?

その時は、この人たちみたいにならないようにしよう。と心に誓いました。


二つ目、言われた一言で辞めるって決めたのは

私はピアノがすごく苦手です。
だけど、やらなくてはなりません。なので私なりに努力してました。
仕事以外の時間をピアノの練習に使ってたといっても過言ではないくらいです。
ピアノ練習するために朝早く起きて、家出る前にピアノ練習して、幼稚園の鍵があいたと同時くらいに出勤してピアノ練習して、みんなは定時で帰ってるけど私は残ってピアノ練習して、帰って仕事して、ご飯食べて、ピアノ練習して、お風呂入って、ピアノ練習して。休みの日もピアノ教室通ってピアノ練習して。
毎日毎時間ピアノ。ピアニストになるのかというくらいピアノ。
それでも上達するのがすごく遅くて、弾けるようになるころにはもう他の曲になっている。その繰り返しです。一回弾けるようになっても少し弾かないだけでその曲はもう弾けません。

そんなこんなでピアノからは逃れられなくて、
保護者もたくさん参加するすごく大事な行事で私がピアノを弾くことになりました。
これは、1年の最初に全員でどの行事にピアノを弾くのかと割り振るのですが、いよいよ私の番がやってきました。



今までにない緊張感。
緊張のしすぎで楽譜が読めなくなり、頭が真っ白になります。
指もすごく覚えているわけではないので、完全にピアノをとめてしまいました。
子どもたちはそれでも歌い続けてくれました。

その日の夕方、ある先生に
「○〇先生が毎日毎日ピアノの練習を頑張っているのは知ってる。だけど、今日のは園長先生の面子が潰れた。園長先生に謝ったほうがいい。」
と言われ、私は謝りに行きました。
園長先生も「いつも練習頑張ってるのは知ってるけど、足りなかったんだね。次は頑張って」
と。


なんだか私はショックでした。


もう一緒の空間で働きたくないと拒絶するようになってしまったのです。


三つ目の教育方針と仕事内容が納得できなかったのは、

いくつかあるのですが、決めては作品展でした。

そこの幼稚園の作品展は、テーマを決めて、遊べる大きな作品を子どもたちと先生とでつくります。


ここで疑問に思ったのは、ほとんど先生が手掛ける先生の作品になってしまっていること。
年少から年長までいる縦割りで行うのですが、年長にもやらせることの縛りがあり、
これは先生がやっておく、あれは先生がやっておく・・・・
と、ほぼ先生の作品になります。
作業をすすめるのはほぼ先生なので、その時期は毎日21以降の帰宅。いちばん遅くて23時もありました。

保護者の「うわーすごい」のためにやっているのですか?きっとそうです。

見栄えが大事みたいです。

保護者が見たときに、すごい、きれいと思わせるように仕上げなければならないみたいです。

意味が分からない。

子どもは単純な作業をほぼ毎日やっていて、新たにできるようになったことはあるのか?
何か達成できたことはあるのか?
頭を使って考えたのか?
もっと考えることが出来る子どもたちだよね?
仲間と協力しようとした場面はあったのか?
その機会を提供できる場面はあったのか?

この無意味な行事に嫌気がさして、絶対来年やりたくないと思い、辞めました。


これが幼稚園という場所の教育なのか、よくわからなくなり、大学の先生に相談をし、幼稚園に来て見てもらうことにしました。

大学の先生も、私の思っていることは正しいと。
もっと子どもにとっていい教育をしている幼稚園はたくさんあるからいいところを紹介してあげると。


2年目の幼稚園


大学の先生がごり押しする幼稚園に見学に行くことになりました。


広大な大地にある幼稚園。
芝生の広場がなん箇所かあり、竹林も少しある、子どもが大好きなジャングルのような道があり、何種類かの動物を飼っている。
動物を育てる人がいて、敷地の自然環境は整備する人がいるそうです。
そう聞きました。なぜなら私は大きな動物がこわくてお世話できないし、広場の草刈りとか竹がたくさんのびたときの環境整備をするのが大変だろうなと思ったので、最初に聞いときたかったのです。

こういうところで自分も育ちたかったし、ここだったら、自分が学びたい幼児教育を学べると思い、決めました。

もちろんたくさん話をして、たくさん話を聞いて。

そこの園長先生はとても熱い人で、子どもたちも立派な大人に育てたいけど、その前に先生たちを子どものことを教育できるように立派に育てたいと。私はあなたを立派な大人に育てたい、任せなさいと。その代わり、私は本当に厳しいよ。でもそれは愛情があるんだからねと。

この人だったら教育してくれるだろうと思い、入ることに決めました。

この時の私は、冷静な判断ができてなかったと思いました。
なぜなら、今までよく分からない教育をしていたので早くちゃんとした幼児教育に出会って、学びたいと焦っていたのです。


この幼稚園の幼児教育は素晴らしいと思いました。
自分もこの教育方針で育ちたかったし、ここに通いたかったし、子どもができたらここの幼稚園以外に入れたくないと思うほどです。


でもやっぱり、受ける側が最高だと、与える側の労働量が半端ないですよね。

そして、園長先生をはじめとする、ここまで残ってきた先生の熱量が半端じゃないです。




先生はなんでもできるようにならなきゃだめ。
保育はもちろん。
園内、園外、園舎、隅々までぴかぴかにそうじ。
毎日の掃除が軍事練習のようでした。
畑の掘り起こし、耕し、耕運機を使い、草刈り機を使い、
のこぎりで竹をきり、森まで運び、春には朝早く出勤してたけのこを汗だくになりながら堀り、砂場の砂を入れ替えるのも先生の仕事、業者さんが来てくれても「うちには若い働き者がいるから大丈夫!」と業者さんの仕事をうばい、保育の準備そっちのけで労働。
他にもたくさんのことをやりました。全部が初めての経験で、いい経験をしたなと思います。

そうは思いますが、工事現場の職人さん並みに肉体労働時間の方が多かったので、
声を大にして、別でこの労働の給料をくださいと言いたかったです。
言えませんでしたが。



この幼稚園に通うために近くに引っ越してきた私は、毎日の疲労でご飯を作る気力も、買いに行く力も残らず、家に帰ると毎日床で眠ってしまい、どんどん痩せていきました。

幼稚園の先生なので、もちろん労働作業のみではありません。
連絡帳をチェックして、返事を書いたり、
子どもがいる時間は子どもとの時間を大切にしたいと思ってるので、園では返事を書かずに、家に持ち帰って書いていました。
本当は子どもが弁当を食べたあとの自由にあそぶ時間に書いたりしてもいいのですが、私は子どもたちとあそびたくて。
あとは、子どもたちが帰ったあとの自分の仕事の時間に書いてもいいのですが、幼稚園でしかできない仕事があるのでそっちを優先にしていたりしていると、連絡帳は後回しになってしまうのです。

あとは、クラスの手紙です。

だいたい一週間に3枚出します。
無理です。普通に。
でも、自由って言われました。自由なはずです。
一週間に1回とか出していると、少ないといわれます。
でも、自由と言われましたよ?



子どもたちが帰ったあとは、基本肉体労働が多いので、こういった事務作業は家に帰ってやります。

無理です。
体がもちません。普通に過労死です。


12月にはもちつきをします。

もちろん、火起こしからやります。
前日のもち米準備から、この幼稚園は全部全部担任がやります。

火起こしができなくて怒られます。
なんでこんなのもできないんだ!と。

いやーそんなこと言われても私原始人じゃないので・・。

火起こしってどうやるか知ってますか?

木っ端や新聞紙、スギの葉を集めて、マッチでつけて、うちわであおいで、薪を組んで常に火を見張ってるのが火起こしです。

25歳の都会で育った女子ができますか?

そんなこんなでこういう理不尽なことは日常茶飯事です。

お母さんたちはそんな私を見て助けに来たいけど、園長先生に怒られるから行けない。そんな心配な目線です。


もちろん、苦手な動物のお世話もやりました。その動物は頭突きをしてくるんですよ。
逆に怖くないのが不思議です。


全部全部自分のものにしようと思ったけど、怖いものは怖いし、自分の力にも限界があり、たけのこも力がたりずにうまく掘れないと怒られるし、
高いところも怖くて苦手なのに、屋根の上にのぼって掃除しないといけないし、
天井まである高い窓を掃除するために、天井まである脚立にのぼって恐怖に耐えながら窓ふきしないといけないし、



本当に子どもにとっては最高な教育方法なことは間違いなく、素直で元気で明るく、なんにでも挑戦する、1人も取りこぼさない教育は最高補だと思っています。
だけど、大人の教育があきらかに苦手すぎるのです。

私はこの生活に耐えられなくなり、1年2か月で辞めました。

辞め方もきれいな辞め方ではありませんでした。
でも仕方がありませんでした。
私は自分が自分ではなくなると思ったのです。
自分がどこかにいってしまうと確信したので、自分を守るために、大好きな子どもたちから離れました。

自分がどこかに行ってしまうの意味は、身も心も。
色々なことを想像してください。


私はどちらかというと、人に何を言われてもそんなに落ち込まない性格です。
自分が悪かったなと思えば、言われて当然と思うし、次から気を付けなければと思います。
でも、納得がいかないことを言われたときは、自分の意見を言いますし、どういう意図でやったのかも言います。
苦手で出来ないことも口に出しますし、助けてほしいときも助けを求めます。

どちらかというとメンタルは強いほうだと思っていました。
他の先生たちからも、私はくじけないタイプだと思われていました。




嫌なことばかりではありませんよもちろん。



でも、大人は嘘つきだし、八方美人だし、理不尽だ。
そんな風に思った2年間でした。


26歳になっても大人になれない、子どもな私なのでした。


私の本音が過ぎてしまいました

すごく暗くて、ほぼ嫌なことを発言して、見てて嫌な気持ちになった方がいましたらごめんなさい。
思い出すと、書く手が止まらなくてどんどん書いてしまいました。
時間がたつと、当時感じていたことを忘れてしまいます。
まだ忘れていないうちに残しておきたかったのです。

この2年間、いいこともたくさんありましたよもちろん。

いいとこはなんだったのー?とか、どんな幼稚園だったのか、他になにをしていたのかもっと詳しく知りたいとか、どのように退職したのか知りたければコメントください。















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