見出し画像

『台北ストーリー』ロケ地まとめ

エドワード・ヤン監督『台北ストーリー』デジタルリマスター版日本公開の際に公式SNSに投稿したロケ地について、こちらにまとめておこうと思います。

埋め込みのXは、SNSを担当している特集上映「台湾巨匠傑作選」の公式Xに2019年に転載した際のもの。Xのポストのリンクをクリックすると、『台北ストーリー』公式FB(こちらも担当しています)に飛びます。
ロケ地巡りの写真は2017年4月撮影。(撮影:小島)

すべてが見えそうな場所でしょ こっちは見えない

『台北ストーリー』より

富士相紙のネオンサインがあったビルを、斜向かいから。ここは台北市を南北に走る中山北路と、東西に走る南京東路/西路の交差点。撮影当時アシスタントディレクター(助導)とスチール撮影(劇照)を務めていたチェン・ホァイエン(陳懐恩)監督(後にホウ監督の『悲情城市』('89)等で撮影を担当。代表作は『練習曲』('07))が、当時の記憶をたどって場所を教えてくださった。

「カラオケ銀座」のシーン直前に映し出される夜の民生東路。それを迪化街とは逆の方向、つまり東に向かってひたすら進んでいくと、やがてアジンの勤めていた不動産ディベロッパーのオフィスにたどり着く。吹き抜けが特徴的なビルは健在だ。

『台北ストーリー』ではまだ更地だった、このビルの通りを挟んだ向かい側には、すっかりビルが建ち並び、シャオクーが回廊の大きなガラス窓から外を眺めつつ放つセリフ:

僕の設計か 他人の設計したものか 大差ないね

『台北ストーリー』より

が思い起こされる。回廊の蔦はすっかり伸び、ビルもだいぶ古さを感じさせたが、アジンがすり抜けるガラスの回転扉は当時のままだった。

アジンのマンションは、台北の副都心・信義区にほど近い閑静な住宅街に、撮影当時の姿を留めていた。

最寄駅はMRT信義安和駅、台湾のランドマーク・台北101までも徒歩圏内である。建物エントランスはリフォームされたようだが、えんじ色の外壁、ベランダの柵、階段踊り場の窓から見えるエレベーター、そして付近の建物も『台北ストーリー』そのままだった。

場所は民生東路沿いのアジンの勤めていた不動産ディベロッパーのオフィスからすぐの、台北の街を南北に走る敦化北路を南下し、信義路との交差点を東に折れ、台北101に向かって少し進んだあたりで脇道に入っていった所だ。

『台北ストーリー』の頃にはまだ台北101は存在しないが、界隈は「信義計画区」として、ちょうど映画の撮られた1980年代から都市開発が進められていった。

台湾総統府を、景福門越しに望む。この日(4月某日)は総統府前の大通り、凱達格蘭大道では、何かのイベント準備が進められているようで、朝から車両進入禁止になっていた。

『台北ストーリー』では、夜の総統府や景福門、そして周囲の建物群も、双十節(国慶日)を祝う電飾が灯され、「三民主義万歳」や「反共復国」といった、当時の政府によるスローガンが掲げられているのが見て取れるのだが、これはこの頃の台湾がまだ、戒厳令下の国民党一党独裁体制にあったことを気付かせてくれる、作品中の数少ないシーンのひとつである。(ちなみにバイクが走り抜ける電飾で彩られた大きなゲートは、双十節の時に設置されるもののようである。)

他に、アジンの見ているテレビに「国民大会」のニュースが流れるシーンがある。「国民大会」はかつて台湾に存在した政府機構で、”総統・副総統の選挙や罷免、憲法改正、立法院が提出する憲法修正案の議決などの権限を持っていた”(李登輝箸『新・台湾の主張』)当時の最高政権行使機関。民主化が進むにつれ権限が縮小化、やがて2005年の憲法修正で廃止された。

当時アシスタント・ディレクター兼スチール撮影を務めていたチェン・ホァイエン(陳懐恩)監督によると、南京東路沿いのとあるビルで『台北ストーリー』を撮影していた時、路上では党外人士(反体制派、現在の民進党の前身。当時の戒厳令下では言論や結社の自由がなかった)による二二八事件に関連したデモ行進が行われていたのだそう。台湾では『台北ストーリー』が公開された2年後の1987年、戒厳令が解除される。

「カラオケ銀座」のシーン直前に映し出されるのは、夜の民生東路一段と林森北路の交差点。実際にこの場所に立ってみると、東西に延びる民生東路を東から西へ向かって撮影していたことがわかる。

このままの向きで2ブロックほど民生東路沿いを歩くと、迪化街に最寄の台北MRTの雙連駅に着くのだが、当然のことながら『台北ストーリー』撮影当時にはまだMRTは通っていない。

この界隈は雑居ビルに小さな飲食店が沢山入っていて、雑然とした少し懐かしい雰囲気である。残念ながら「カラオケ銀座」は見つからなかった。

【迪化街を歩く】

『台北ストーリー』のシーンの多くは南京西路や延平北路を含む迪化街付近で撮影された。そのことを教えて下さった陳懐恩監督(当時アシスタントディレクター)によると、この辺の街並みは当時も今もそれほど大きく変化してないですよ、とのことだったので、撮影当時の面影を求めて散策してみた。

南京西路といえば、『台北ストーリー』の富士相紙の看板のあったビルのある大通りで、また、カラオケ銀座のシーン直前に映し出される夜の通りは、やがて民生西路へと続く民生東路。ほぼ並行して走る二つの通りをそれぞれ西に向かって進むと、延平北路に、更に進むと迪化街に至る。

迪化街を歩くと、幅10メートルに満たない通りの両側は、亭仔脚と呼ばれるアーケードになっている。アーケードの車道寄りの位置から向かい側を見上げると、『台北ストーリー』の車のヘッドライトに照らされるシーンに登場しそうな、特徴的な建物のファザードを沢山見ることができた。

それらの建物をさらによく見てみると、補修や改修がされていることがわかる。迪化街一帯を含むエリアは2000年に台北市の大稻埕歷史風貌特定專用區(景観保護区)に指定され、古い建物を保存するための改修作業が今も続けられているのだ。

アーケードやファザードのレンガやレリーフは補修され、窓の枠やガラスが新しくなっているものがほとんどだった。結局『台北ストーリー』に登場するファザードは見つけられなかった。

地図によると、延平北路と迪化街に挟まれる南京西路は「布料専売街」で、通り沿いには「布行」の文字が並ぶ。『台北ストーリー』のアリョンもこの付近で店を営んでいたのだろうか。近くの永楽布業商場などは観光地としても有名だ。横道に入るとアリョンの店のような雰囲気の布屋を見かけることができた。

(完)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?