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0→1が得意じゃなくてもいいじゃない

おひさしぶりですこんばんは。

最近パーソナルトレーニングに通っているのですが、
そのおかげで姿勢がよくなったり歩き方が正しくなったりしている気がしています。

毎日PCと向き合うお仕事、特に腰以下の下半身は大事にしてあげたいところです。


で、そのパーソナルトレーニングからの帰り道にふと思ったことをnoteに残しておきます。
きっと、同じことを思う人は居るはずなので。


最近のわたし

なんか、物足りないというかがんばれていないっていうのもそうだし、じんわりと心の奥底に焦燥感がある感じ。定期的にあるやつです。

別に焦ることは何もないはずなのに、自分だけが取り残されているような。
でも、何をしたらいいのかわからない不安みたいなのもあったり。

まあそういう気持ちになるときはいつだってあるので、「まあそのうち立ち直るでしょう」って感じで過ごすことを決めたのが昨日のこと。
焦燥感があるけど。とはいえ焦っても仕方ないので。


で、今日になってふと解を得て、復活しました(早い)


0→1を目指さなくてもいい


そういえばわたし、大学の時にアパレルの勉強してたときもそうだったんですが0から1を生み出すのが本当に苦手で。
デザイン考えるとかパターン引くよりも、色の組み合わせとか考えている方が圧倒的に好きだった。

いまの周囲の環境を見渡してみたら、全員が全員じゃないけど0から1を生み出すのが得意な人だったり、自分だけが発揮できるものみたいなものを持ってたり、それをもとにサービスを考えている人だったり、発信している人だったりに溢れていて、多分、そういう人たちと自分を比べちゃってて。

「自分には生み出せるものが何もない」
とか
「発信できることが何もない」
って勝手におちこんでたんだな〜って。


1→∞を作れる存在だって最高では?


私が会社で働くことに結局落ち着いたのも、そのせいなんだろうなって思います。
自分で走るエネルギーを生み出し続けられないから、供給源は別で用意しないと続けられない。

でもその働き方が、自分に向いているのであれば、それが最高の選択であるので比較して落ち込む必要なんてないなって。

1と言わず、0.1でも、ちょっとでも何かの種があればそれを拾って、
植える方法を考えたり、肥料をの種類を考えたり、水やりの頻度を考えたり、いろんなことを考えるのは多分好きだし、そういう助けがほしい人の支えになれるのは一種の強みなのかな?って思いました。

わたしは0から生み出せないことを追いかけなくていいかってなったので、昨日よりだいぶ元気です。


いろんな得意を持つ人が集まってる社会だからうまく回ってるんだもんな、支えあってこう


おわり

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