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岡村靖幸×岸本佐知子 対談「今にして思う<継続は力なり>の重み」

岡村靖幸『あの娘と、遅刻と、勉強と』 note出張版
(ゲスト:岸本佐知子先生)

社会性と、夢と、10歳の自分と


雑誌 TV Bros.で連載中、岡村ちゃんが気になる人に根掘り葉掘りインタビューする『あの娘と、遅刻と、勉強と』。今回のお相手は翻訳家の岸本佐知子さん。文学の話、夢の話、育ちの話、モテの話……話題が次々に転がる、笑いのたえない対談となりました。TV Bros.2020年12月号掲載分に追加分を加えて倍になったおしゃべり、どうぞお楽しみください。

おかむら・やすゆき●1965年生まれ、兵庫県出身のシンガーソングライターダンサー。

きしもと・さちこ●上智大学文学部英文学科卒。洋酒メーカー宣伝部勤務を経て翻訳家に。主な訳書にルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』、ミランダ・ジュライ『最初の悪い男』、リディア・デイヴィス『話の終わり』、ショーン・タン『セミ』『内なる町から来た話』、ジョージ・ソーンダーズ『短くて恐ろしいフィルの時代』ほか多数。編訳書に『変愛小説集』『居心地の悪い部屋』『楽しい夜』など。著書『ねにもつタイプ』で第23 回講談社エッセイ賞を受賞。最新エッセイ『ひみつのしつもん』発売中。

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取材・文/前田隆弘 編集/土館弘英 ヘアメイク/マスダハルミ

空気を読む遺伝子が自分には入っていない

岡村 少女の頃はどんな感じだったんですか?

岸本 少女……。

岡村 どんな記憶がありますか?

岸本 幼稚園のときはむちゃくちゃ泣き虫で、もう泣くために幼稚園に行ってたような感じでした。今でも人生で一番つらかったのは幼稚園時代なんですよ。「なんでだろう」と考えたんですけど、それまではずっと家にいて、万能感があったわけですよね。で、そこから急に社会に放り込まれた。人間ってたぶんDNAの中に、「社会に溶け込む」「空気を読む」みたいな遺伝子情報が入っていると思うんですけど、どうやら私には入ってなかったみたいで(笑)。だから普通に思ったことを言ったりやったりすると、ものすごくびっくりされたり、引かれたり、怒られたりしたんですよね。でも友達を見てると、なんだかうまくやってるんですよ(笑)。

岡村 幼稚園の前の記憶ってないですか? 親戚や近所のお友達との交流みたいな。

岸本 うーん、幼稚園の前だと3歳くらいですよね。3歳の頃って覚えてます?

岡村 覚えてますね。親戚が登場するんです。

岸本 ああ、いとことか。どうでした?

岡村 「パワーバランスがあるんだな」と思いましたね。母方の実家が旅館を営んでたんですけど、家族経営だったんです。元々はおばあちゃんとおじいちゃんがやっていて、その子供たちも副業としてやっていて、それぞれの家族が旅館に一緒に住んでいた。だからもう大家族で。そこに行くたびに、その人たちにもまれる感じがありました。

岸本 それはもう社会ですよね。それなら幼稚園とか楽勝だったでしょ?

岡村 楽勝(笑)? 楽勝というか……僕、海外に住んでいたことがあって、海外の幼稚園に行ってたんです。

岸本 そのときのことは覚えてます?

岡村 覚えてます。イギリスだったんですけど、ヒスパニック系や中国の人もたくさんいたんです。普段はみんな仲良くやってるんですよ。でもケンカになると、なじられたりしてそういう記憶と、あと食べ物が全然違ったこともよく覚えてます。冷凍食品のキドニーパイ(腎臓を包んだパイ)の感覚とか。日本に戻ったらそんなパイ、どこにもなかったんですけど。

岸本 キドニーパイ! 翻訳してると、ときどき出てくるんですよ。「何だよ、腎臓パイって」と思ってました(笑)。

岡村 グレービーソースが乗ったマッシュポテトとか。そういう日本になかった食べ物がすごく印象に残ってます。あと、まだビートルズが解散してない頃だったので、あちこちでビートルズが流れてたこととか、シェル石油でガソリンを入れると、バッジがもらえたこととか……。

岸本 それ3歳の頃ですよね。すごい記憶力。

岡村 イギリスの幼稚園で上の学年まで行ったのに(*)、日本に戻ったら制度が違うから、また幼稚園に入らされたのも覚えてます。あと、小さい頃はずっと「生々しいな、親って」と思ってました。

*イギリスの幼稚園(Pre‒School)は3 歳~4 歳まで。5歳からは小学校(Primary School)に通う。

岸本 どういうベクトルの生々しさですか?

岡村 子供には遠慮がないから。歯磨きのあとのうがいとか。

岸本 ああ、そういうあれか(笑)。

岡村 デリカシーがなかった。でも親にやられて嫌だったことって、「俺は絶対やらないぞ」と思っているのに、大人になると意外にやってるんですよね。

岸本 どういうのを?

岡村 ちょっと間違ったことをすると、「(舌打ちで)チッチッチッ」と言われてたんですよ。「嫌な感じだな」と思ってたんですけど、大人になったらやってしまいますね。ネガティブスパイラルです。かわいいネガティブスパイラルですけどね。

「蟹甲癬」の気持ち悪さが忘れられない

岡村 英語は子供のときに急にできるようになったんですか?

岸本 いや、できなかったし、今もできないですよ。

岡村 もともと英語が好きで、今のお仕事を始められたんですよね?

岸本 書いてある動かない英語は好きです。でも、人がしゃべってる英語は苦手なんですよ。なぜか翻訳は好きだったんですよね。子供の頃って英語が読めないじゃないですか。それが文字だということはなんとなくわかるけれども、読めないから模様みたいなものだと思って見てて。でも小学校でローマ字を習ったときに……今でも覚えてるんですけど、学校で読み方を習って家に帰ってきたら、ネスカフェの瓶のラベルが読めたんですよ。「ああっ、この周りにいろいろある模様みたいなものは、全部言葉なんだ!」とヘレン・ケラーみたいに思って(笑)。そのときにちょっとした快感があったんですよね。その後、中学2年のときに短い絵本を訳すという夏休みの宿題が出て、それをやって提出したら、私だけ褒められたんですよ。先生がみんなの前で「岸本さんの翻訳がすごく良かった」と言ってくれて。それまでの人生で褒められたことがなくて、その後もなかったから、後にも先にも褒められたのはそのときだけだったんですね。そうすると、英語が好きになりますよね。だからお勉強としての英語は成績が良かったんです。ただ実践は伴わない。実際にネイティブの人としゃべることはほとんどしないまま、ここまで来ました。

岡村 ここまで?

岸本 はい(笑)。

岡村 翻訳っていろいろ難しいじゃないですか。例えば流行語が入ってたり、スラングが入ってたりとか、あと時代によって言い回しが全然違ったり。そういうものとはどう対峙していますか?

岸本 私が翻訳を始めた頃はなかったけど、今はネットがあるんです。だからある意味、ネットが最大の辞書なんですよね。この仕事を始めたのは30年くらい前なんですけど、そのときはどうしても分からない言葉は大使館に行って聞いたりとか。

岡村 わざわざ大使館に? すごいですね。

岸本 でもそうするしかなくて。さんざん聞いて分からないから作者に手紙を書いたら、返事が来て「これは●●●という歯磨き粉の最初の文字をちょっといじったものです」と言われて。そんなの分かんないですよね。だから今は便利になりました。スラングも、スラングのネット辞書があるし。

岡村 出てきます?

岸本 引けば何かしら出てきます。逆に1件もヒットしないと、「あ、これは作者が勝手に作った言葉だな」と分かる。

岡村 海外文学だと、70年代のSFブームのとき、レイ・ブラッドベリ(*)の小説も読んでみたんですけど、分かりにくかった記憶があります。翻訳が難解なのか、原文が難解なのかは分かりませんけど。

*アメリカのSF作家。代表作に『華氏451度』『火星年代記』など。「詩」を感じさせる作風から「SFの抒情詩人」と呼ばれた。「興味はあるけど難解なんでしょ?」と思う人は、『歌おう、感電するほどの喜びを!』のような短編集から入るのをおすすめします。

岸本 でも翻訳って進化していくものなので、今の時代は「これはちょっと……」みたいな翻訳はほとんどないと思いますよ。

岡村 同じ小説でも新訳が出てたりしますからね。でもSFブームの頃はブラッドベリだけじゃなく、星新一さんや筒井康隆さんもブームになっていて、とても影響を受けました。「なんてすごい小説があるんだろう」と思ったし。あと表現がすごかったんですよ。「蟹甲癬(かにこうせん)」って小説(*)、覚えてます?

*筒井康隆『宇宙衞生博覽會』所収のSF 短編。タイトルは『蟹工船』のパロディ。ある惑星で、蟹を食べると頬が硬くなって蟹の甲羅そっくりになる皮膚病が流行。ほっぺの甲羅を外すと蟹みそ状の何かが付着しており、口にしてみるとそれが実に美味であるため、食べているうちにますます病気が蔓延していく。

岸本 めちゃめちゃ覚えてます(笑)。

岡村 あれですよ。あの世界観が、岸本さんには色濃く残ってる感じがするんですよね。

岸本 そうですね、やっぱり脳みそが一番柔らかい中2・中3の頃に読んでものすごい衝撃を受けたから。

岡村 ですよね。僕も「蟹甲癬」、ぐにゃーって入ってる。体の中に。

岸本 (ほっぺを外す仕草で)ここをパカッて外す(笑)。

岡村 そう、パカッて(笑)。それで蟹みそ食べるっていう。

岸本 蟹みそというかあれは……(笑)。『宇宙衞生博覽會』に入っている「顔面崩壊」も、めちゃめちゃ気持ち悪いです。

岡村 ありますあります。この2つが特に気持ち悪い。

岸本 同じ本に「問題外科」というのもあって、これもひどいんですよ。病院で手術をするんだけども、間違って別の人を手術しちゃって、開腹しても別にどこも悪くないんです。で、もうしょうがないから、このまま殺そうということになって。そこに院長が入ってきて「殺すんだったらわしに遊ばせてくれ」みたいなことを言うんです。その院長がド変態で、大腸で縄跳びしたり(笑)、もう最悪なんですよ。

岡村 すごいですね。モンティ・パイソン的な。

岸本 モンティ・パイソンも見てましたね。

岡村 僕、大好きです。

岸本 日本ではイギリスより何年か遅れて放送されたんですけど、モンティ・パイソンを紹介した最初の番組(*)があって、そのとき初めてタモリがテレビに出てきたんですよね。あれにもすごく影響を受けまして。吹き替えも良かったんです。

*1976年に東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放送された『空飛ぶモンティ・パイソン』。モンティ・パイソン本編に、タモリなどが出演する日本オリジナルのパートをミックスして放送された。

岡村 プルーストの『失われた時を求めて』という小説がありますよね。めちゃくちゃ長くて難解と言われる小説なんですけど、僕はモンティ・パイソンでやってたのしか知らないです。

岸本 どんなのでしたっけ?

岡村 「全英プルースト要約選手権」という大会があって、『失われた時を求めて』の内容を15秒で要約するという(笑)。

岸本 もうそれでいいんじゃないかという気も(笑)。あれ、本当に全部読んでる人、たぶんあんまりいないですよ。『百年の孤独』も、「この100年で出た名著3冊」みたいな企画で業界の人のアンケートを取ると、絶対1位になるんですよ。でも、ちゃんと読んでる人はその半分くらいじゃないかな。『フィネガンズ・ウェイク』も。そういえば、映画『テネット』はご覧になりました?

岡村 見てないんですけど面白いんですか? 話題ですよね。

岸本 見たんだけど、1ミリも分からなかったんですよ(笑)!

岡村 そうなんですか? 映像的快楽があるんじゃないですか?

岸本 みんな「IMAXで見るべきだ」と言ってるんですけど、そんなに映像的快楽はなかったです。あれも本当はみんなよく分かってないんじゃないかと思うんですよね(笑)。


岡村少年の夢

岡村 夢ってよく見ます? 寝るときに見るほうの。

岸本 昔はむちゃくちゃ見てたのに、今もう全然忘れちゃってるんです。見ますか?

岡村 見ますね。たぶん睡眠が浅いんだと思います。

岸本 覚えてる?

岡村 覚えてることも多いです。

岸本 聞きたいです。私、人の夢の話聞くの大好きだから。

岡村 いや、ろくな夢じゃないですけど……(笑)。小学生のときの夢で忘れられないのがあって。当時インベーダーゲームが流行ってて、インベーダーゲーム屋さんがあったんです。ゲームセンターの中にインベーダーゲームがズラーッと並んでるという。僕は小学生のくせになぜか学校に行かないで、とにかくインベーダーゲームをやりたくてやりたくて、インベーダーゲーム屋さんに行くんです。でも入ったら誰もいない。音だけがガーッと鳴ってて。で、パッと横を見たら自動販売機があったんです。「何の自動販売機だろう」と思って見たら、セクシー本が売ってたわけです。「誰もいないから何でもできるな」という、ふらちな気持ちになって、(手を突っ込む仕草で)取り出し口に手を入れてみたら、子供の手だから中身が取れるんですね。「あ、これ取れるな」と思って、(手を上下に揺らしながら)ズボズボ、ズボズボ取って。

岸本 (笑)

岡村 もうズボズボ、ズボズボ取って、(服の中に入れる仕草で)ズボズボ、ズボズボ入れて。

岸本 入れる(笑)。

岡村 それで(胸部にどっさり入れたものを隠す仕草で)こうやって帰るわけです。商店街を。

岸本 インベーダーゲームは?

岡村 やらない。

岸本 (爆笑)

岡村 で、商店街を歩いていると、お店の人から「あらやっちゃん」と声をかけられて「いやあ、どうもどうも」とか言ってるうちに、みんな大笑いし始めるんです。「なんで大笑いするんだろう。心外だな」と思って後ろを見たら、パンくず落とすみたいにセクシー本がダーッと落ちてて。

岸本 (爆笑)

岡村 「まずい! とにかく数冊だけでも!」と思いながら急いで帰って、「やっと見れる」と思ったら、そのセクシー本がメンコに変わってて。

岸本 (笑)

岡村 「ふざけるな!」って窓を開けて青空にむかって放物線を描くメンコを投げる、という夢。その夢が忘れられないです。

岸本 いやー、いい夢ですね(笑)。私が子供の頃、繰り返し見た悪夢があって、手足と首のないマネキンにどこまでも追いかけられるという。

岡村 怖いですね。

岸本 怖いです、怖いです。近所にお屋敷があって、黒っぽい垣根がずーっと続いているんですけど、そこでマネキンに追いかけられながら、なぜか母親と二人で逃げるんですよ。なんとか振り切って家に帰って、「あー、良かったね」って母親を見たら、母親が彫刻みたいに固まってるんです(笑)。

岡村 めちゃめちゃ怖い(笑)。

岸本 昔、会社員だったんですけど、会社を辞めて1カ月くらいは夢が見放題でしたね(笑)。勤めているときは夢を見ても、すぐ会社に行かなきゃいけないから、いろいろやってるうちに忘れちゃうじゃないですか。でも辞めたら行かなくていいから、スケッチブックを買ってきて全部克明に記録して、色鉛筆で色も塗って(笑)。

岡村 (笑)

岸本 暇だから。そのスケッチが面白くて、今でも読み返すことがあります。

岡村 夢は面白いですよね。夢の話って、大嫌いな人と面白いと言ってくれる人と2タイプに分かれますよね。怒り出す人もいるし。

岸本 いますよね。「夢の話は言ってる本人しか面白くない!」とか言う人。私はそんなことないです。誰の夢でも聞きたい。

岡村 僕も聞きたいんですけどね。

岸本 最近の科学的な研究では、夢には全然意味がないらしいです。

岡村 夢判断みたいの、ありましたよね。フロイトでしたっけ。

岸本 ありましたね。でもフロイト自身、変な人だし(笑)。

岡村 岸田秀さんの『ものぐさ精神分析』って読んでました?

岸本 昔読みました。なんだかすごい内容でした。「なにもかも幻想だったんだ!」って。一瞬だけ楽になった(笑)。

岡村 確かに一瞬だけ(笑)。

岸本 いつ頃読まれたんですか?

岡村 18歳くらいですかね。

岸本 私もそれくらいだったかな。悩んで読んだんですか?

岡村 悩んで読みました。

岸本 私も悩んで読んだんですよね。

岡村 かなり楽になりますよね、あれ読むと。あ、思い出した。俺、対談したんです。あまりにも憧れてて「憧れてます」と言ったら、対談できることになって。で、対談したら、最初から最後までお酒飲んでました(笑)。

岸本 (笑)

岡村 でも岸田さんいい人で、その対談をご自分の対談集(『日本人はどこへゆく―岸田秀対談集』)に入れてくれて。面白かったです。

岸本 一生の記念ですね。

武田百合子礼賛

岡村 今まで読んだ本で、定期的に読み直す本ってあります?

岸本 いろいろあるけど……例えば武田百合子(*)です。読んだことあります? あの人のはどれも好きだけど、『遊覧日記』というのがあって。

*随筆家。『ひかりごけ』で知られる小説家・武田泰淳の妻。富士山麓に購入した別荘「武田山荘」に住むようになってから、泰淳のすすめで山荘での日々を日記につづり始める。泰淳の死後、文芸誌の武田泰淳追悼号にてその日記を『富士日記』として発表。大きな反響を呼び、後に単行本化されたその日記は、今でもファンの多い百合子の代表作となっている。

岡村 『遊覧日記』? 僕は『富士日記』が好きで、読み直してます。

岸本 『富士日記』もいいですよね。

岡村 素晴らしいんです。これは何度でも言いたいんだけど(笑)。人間の素晴らしさが描かれてて。

岸本 何書いても全部面白いじゃないですか。そんな人、他にいませんよね。

岡村 『遊覧日記』というのもあるんですね、読んでみます。

岸本 『遊覧日記』はいろんな所に百合子さんが行って、見てきたことをただ書いてるだけで。行ってるのは代々木公園とか花やしきとか、その辺の場所。だから「旅行」じゃなくてあくまで「遊覧」なんです。特に何にも起こらなくて、例えば代々木公園の回だと「いいわけしてるみたいな手つきで太極拳をやる老人」とか。

岡村 言い訳してるみたいな(笑)。面白い。

岸本 いやすごく分かるけど、その表現力はどこから来るの!って。でも私が同じ光景に遭遇しても、たぶんそんな風に見られないと思うんですね。目では見ていても、脳に刻み付けられない。だから百合子さんは、目が普通じゃないんだと思います。加えて何より、それを書く表現力ですよね。「いいわけするような手つき」って。あと、「赤紫色に咲き乱れたつつじの植込みの影で、黒人の男が泡みたいなものを吐いている」って(笑)。ずっとそんな調子なんですよ。何も起こらないんだけど、めちゃめちゃ面白くって。もう天才かよって。

岡村 読みます。僕も『富士日記』は、何回も何回も読み直してます。全然飽きない。

岸本 適当に開いたところを読むんですか?

岡村 そう。あと、『富士日記』は毎日料理を作ってるので、「手間のかかるものを毎日作ってるんだな」って。

岸本 すごくカッコいい女の人だったんでしょうね。夫が武田泰淳という文豪なんですよね。だけど、百合子さんの『犬が星見た』というロシア旅行記があるんですけど、それを読むと武田泰淳はただの屁こきおっさんなんです(笑)。本当にただのしょうもないおっさん。そこがまたすごく面白い。

岡村 読んでみます。ああ、楽しみが増えた。ぜひ読みます。


最後に勝つのはKISS!

岡村 自分の思春期から今までで、夢中になったミュージシャンっています?

岸本 とても言いづらい…(笑)。言いづらいけど言うと、高校のときにKISSがすごく好きになって。

岡村 え、KISS?

岸本 あっ、もう(照)!

岡村 KISS、僕も好きでしたよ。

岸本 ほんとに? いや、そんな慰めみたいなこと言わないでください……。

岡村 いやいや、ほんとにほんとに。

──KISSって、そんなに言うのが恥ずかしいバンドなんですか?

岡村 全然恥ずかしくないよ。

岸本 もう何十年と続けてるから、今でこそ大御所みたいな扱いになってますけど、私が好きになったのって高2か高3くらいのときで。私、女子高だったんですけども、クラスはだいたいQUEEN派とKISS派に分かれていて、8対2くらいでQUEENだったんですよ。

岡村 当時はそんな感じですよね。

岸本 で、もうQUEEN派にめちゃめちゃ迫害されるんです。「何? あの白塗りの、色物みたいなの」と言われて、ずっと肩身が狭かったんですよ。自分でも「ゲテモノ趣味なのかな」と思ったりして。「でも楽曲はいいじゃん!」と思ってました。

岡村 そう、バラードもいい曲多いし。

岸本 「ハード・ラック・ウーマン」とかね。

岡村 「ベス」とか。

岸本 どっちもピーター(・クリス)が歌ってて。私はピーターが好きだったんだけど、ピーターって猫のメイクじゃないですか。だから「やーい、タヌキ~!」ってみんなにからかわれて。

岡村 (笑)

岸本 あと、大学に入ってサザンオールスターズを好きになったんですけど、そのときもクラスはツイストとサザンオールスターズに二分されてて。でもやっぱり8対2でみんなツイストだったんです。で、またツイスト派の人から「サザンなんてコミックバンドじゃん!」ってさんざんバカにされて。「でも楽曲はいいじゃん!」と思ってました。

岡村 いつも「2」の側だったんですね。

岸本 でも今になってみると、KISSはまだ活動している。QUEENはもうフレディが亡くなってますよね。サザンはまだ活動しているけど、ツイストはもう活動していない。

岡村 そうですね。

岸本 「勝った」と思った。

岡村 (笑)

岸本 継続は力なり、という。すごいですよね、あの人たち。もう60代、70代ですけど、今も変わらず、火吹いたりギター壊したりしてて。4人組で、ジーン・シモンズとポール・スタンレーの2人がメインなんですけども、私が好きだったドラムスのピーターとギターのエースは、中の人が代わってるんですよね(笑)。でもお化粧バンドだからバレない(笑)。だから歌舞伎にならって、「3代目ポール・スタンレー」みたいな襲名制にすれば、100年でも200年でもできるなと思って。

岡村 言われてみれば確かにそうですね。

岸本 だから……勝ったんじゃないかな(笑)。


酔うとやってしまうこと

岡村 コロナ禍の現状について何か感じてることや思ってることはあります?

岸本 私、考えたらステイホーム歴が30年くらいなんですよ。ほぼ家から出ないんです。最長で歩いたのが郵便受けまで、という日がけっこうある。だからコロナになっても生活は変わらないはずなんだけれども、でも何か息苦しいんですよね。世の中の雰囲気でそうなるのかな。あと、ずっと家にいるから「外出=飲み会」だったんですよ。それがコロナで全滅してしまったので、完全に外に出なくなって。もともとない社会性がますますゼロに近づいてしまいました。でも世の中全般で見ると、悪いことばかりじゃないという気もしてて。私が今、勤め人だったらバンザイしてると思うんですよね。通勤って本当に無駄じゃないですか。私、小田急線だったんですけど、もう地獄だったんですよ。

岡村 そんなにひどかったんですか?

岸本 今はかなりマシになってると思うんですけど、私が中高生の頃は人に圧迫されて体が歪むくらいの異常な混み方で。そういう生活を20年も30年も続けてると、やっぱり誰だって精神がおかしくなると思うんです。大声でしゃべってる人がいて、「誰と話してるんだろう」と思ったら、独り言だったとか。衝撃的だったのが、頭を新聞紙で包んで、顔の前でダブルクリップで留めてる人がいて(笑)。

岡村 それはすごい。

岸本 あと、これは私の妹が見たんですけども、きれいなインド人の女性で、トレンチコートの中が素っ裸という人がいたらしくて(笑)。周囲でどよめきが起こってたらしいです。

岡村 人間バンザイって感じですね。

岸本 人間バンザイですよね。いろんなバンザイを見てきました。

岡村 仕事上、家にいる時間が長いということは、家にいる時間も快適なわけですよね?

岸本 そうですね。さすがに飽きますけど。誰かに誘われれば楽しいから、単に出無精なんだと思います。

岡村 来客は多い?

岸本 全然ない。

岡村 来客が少ない家で、整えられた家にするのは難しくないですか?

岸本 難しいですね。本がどんどん増えていく。本の要塞になっていきます。岡村さんはどうですか?

岡村 僕はね、酔うと掃除したくなるんです(笑)。これは自分のいいところだと思うんだけど、家飲み=掃除になる。ちょっと達成感がある中で飲みたいんだと思います。

岸本 私、Zoom飲みするんですけど、したことあります?

岡村 1回あるかな。

岸本 でもやっぱりリアル飲みに比べるとちょっと。

岡村 全然違いますね。

岸本 ただ、猫を見せてくれたりするんです。

岡村 猫?

岸本 Zoom飲みの相手が飼ってる猫を見せてくれたり、新しく買った健康器具を使って見せてくれたりするんですよ。そうすると酔っぱらってるから「あーそれいいねー、ウェーイ」とか言って、そのままポチッて。

岡村 (笑)

岸本 で、忘れた頃に何かが届くんです。4キロの鉄の玉が届いたこともあって(笑)。だから、Zoom飲みをすると謎の健康器具が増える(笑)。そして使わない。

岡村 うちにもあります。使わないエアロバイクが。家庭用じゃなくてスポーツクラブと同じクオリティのやつを買って。

岸本 で、そのエアロバイクは……。

岡村 まったく使わないですね。恐ろしいことに(笑)。

岸本 (笑)

岡村 巨大なオブジェと化してます。恐ろしいことです。

岸本 何がダメなんでしょうね。

岡村 何でしょうね。きっと「家で汗びっしょり」という状態が嫌なんでしょうね。分析してみるに(笑)。


会社勤めの経験が人間のデータベース

岸本 岡村さんはアクティブですか?

岡村 アクティブってどういうことですか。

岸本 放っとくと出掛けたり、体動かしたりするタイプかなという。

岡村 コロナがなければ出掛けるでしょうね。出掛けない?

岸本 出掛けない。

岡村 じゃあ今までの人生で、出会いはどうしてきたんですか?

岸本 友達はその時々の場所で作ってきたんですけど、今みたいにフリーランスになると、自分の好きな人とかしか付き合わないですよね。それっていいことなのかな、と最近ちょっと思うんですよ。エッセイを書き始めた頃って、書くことがもう湯水のようにあって、でもそれは会社員時代の蓄積なんですよね。6年半いたんですけども、やっぱり会社だから、好きな人もいるけど嫌な奴もいるじゃないですか。そういう「いろんな人がいる状況に無理やり置かれた中で見えてくる人間の諸相」みたいなものがあったと思うんです。いろんな人の言動、行動、そのときの顔付きや声、そのデータベースが今の自分の基になっているんですよね。だからエッセイを書くときは、「あの人があんな面白いこと言ってたな」という記憶を引っ張り出していたんですけど、それももうあらかた書いてしまって。エッセイだけじゃなくて、翻訳をやるときも、そのときのデータベースをいまだに使ってるんですよ。「こういう人はこういう状況でこういう顔付きで物を言うだろうな」と想像するときのデータベースとして。さすがにそろそろ更新しなきゃいけないと思うんですけど……だから時々「就職したい」と思うことがあって(笑)。

岡村 ほんとですか(笑)。いろんな経験を血なり肉なりにするために?

岸本 そう。でもむかついて1日で辞めるかもしれない(笑)。私、28歳で会社辞めたので、そこで社会性をなくしたままなんですよ。この状態が果たしていいのかなって、ときどき思うんですよね。

岡村 会社というのは、まみれるものなんですか。屈辱とか、非礼とかに。

岸本 まみれましたし、つらかったですね。ものすごくやさぐれてました。もうめちゃめちゃに酔っぱらってましたね。お酒の会社だったから、酔っぱらうのはいいことにされてたんですけど(笑)。でもいま思うと、確かに自分はひどかった。会社員に向いてなかったんですよね。だからまた会社に入るとしたら、事務関係じゃないほうがいい。何か同じ作業を延々繰り返すような……。

岡村 工場みたいな?

岸本 そう、そんなのをやりたい。でもそこにも職場の人間関係はあるから、どうなのかな……だから私、スポーツクラブも人間関係ありそうでなかなか行けないんですよ。

岡村 人間関係、絶対あると思いますよ。

岸本 サウナで会話が発生して、「この後お茶しない?」みたいな(笑)。常連の中でヒエラルキーが発生したりとか、そういうのを考えると行けない。


「継続は力なり」の極意

岡村 僕、断食(の合宿)に行くことがあるんです。そこは集団生活なんですよ。で、僕が誰であるかは、バレるときもあるし、バレないときもある。

岸本 バレない……そんなことあり得るんですか?

岡村 バレないと、まあ面白いですね。楽しいです。いろんな人がいるんですよ。企業の社長もいるし、アレルギーで悩んでいる人もいるし、モデルやってて「きれいになりたい」という意識の高い人もいるし。そういう人たちが、一緒になって1週間くらい生活するわけです。

岸本 1週間いると、いろいろ交流が……。

岡村 ありましたね。昔はそこで友達をたくさん作りました。

岸本 その人たちとは今も付き合いが?

岡村 今はさすがになくなっちゃったんですけど、でもそこから5~6年はありました。

岸本 何なんでしょうね、断食でつながる友人って。

岡村 軽い拘束状態になってて精神がちょっと高揚してるのと、一緒の目標があるのが大きいんでしょうね。あとやっぱり、24時間一緒にいると「みんなで頑張るぞ」みたいなノリが出てきて、それで1週間後に解放されたときに「終わった――!」みたいな高揚感が生まれるんですよね。お互いに「東京でも頑張ろうね!」と声を掛け合ったりして。

岸本 訳の分からないハイになるわけですね。

岡村 1週間後に何か食べると、フィルター3つくらい取れたような感覚になりますね。感覚が鋭くなってて、「6歳の頃の味覚ってこんな感じだったかも」と思うくらい。3日もたてば消えますけど。

岸本 何も食べない時間って何してるんですか?

岡村 何もしない。それか、町を歩き回る。

岸本 でも町を歩くと、食べ物屋さんがあるでしょ。

岡村 誘惑はありますよ。だからその誘惑に負けないように、お茶屋さんに入ってお茶だけ飲んだり。

岸本 なるほど、お茶はいいのか。

岡村 我慢できなくなったら、ところてん売ってるから「ところてんはカロリーゼロ!」っつって食べて。

岸本 ところてんは……いいのか!?

岡村 それをやってるといろんなことが大丈夫になってくるんだけど、あまりにも厳しくやってしまうと嫌になってしまうから、「継続は力」と考えようと。だから寿司屋もたまには行く。

岸本 (笑)

岡村 寿司屋に行って、刺身を頼んで食べて、みそ汁を食べてカロリーほとんどないっつって。

岸本 そんなことはない(笑)。

岡村 そこから3キロくらい歩いて道場まで戻るわけです。

岸本 ああ、そのカロリー消費でチャラみたいな。

岡村 継続させるためには、たまに自分に抹茶を飲ませ、たまにところてんを食べさせ、たまに刺身を与える。これが継続の力を生むわけです。実際、それで長続きしたので。

岸本 そういうものなのか……。


どの年代の自分も、常に自分の中にいる

岡村 岸本さんには少女性みたいな部分をすごく感じるんです。

岸本 少女というか、子供なんですよ。自分でこれ言うのもどうかと思うんですけど、私、子供の頃から成長しそこねたままなんです。もう還暦も超えているのに「中身は10歳です」なんて、怖くて人前では言えないんだけれど(笑)。(会社員をやめた)28歳で社会性を失って、私の社会性はずっと28歳で止まってるんです。その28歳のとき、精神的には10歳だったんですよ。だから今も中身は10歳のままだという感覚があって。

岡村 それで思い出しましたけど、この連載でホドロフスキー監督(*)と対談したことがあるんです。彼の映画には多感だった子供時代の感性が反映されていると思ったので、僕が「監督はどうして子供の頃の感覚を、今でも持てているんですか?」と聞いたら、「『何歳までが幼児、何歳までが若者、何歳からは大人』みたいに言われているけれども、それは違う。子供時代のあなた、青年時代のあなた、大人になったばかりのあなた、どの年代のあなたも常にあなたの中に内在していて、今のあなたを見つめている」とおっしゃって。それを聞いたとき、死ぬほど腑に落ちたんですよ。それは人間みんなそうだと思うんです。

*映画監督のアレハンドロ・ホドロフスキー。代表作は、岡村に大きな影響を与えた『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』など。91歳になる今年、最新作『ホドロフスキーのサイコマジック』が全国公開された。なお岡村とホドロフスキーの対談は、2013年の『リアリティのダンス』公開時に行われたもので、岡村靖幸対談集『あの娘と、遅刻と、勉強と』に収録されている。

岸本 絶対そうですよね。

岡村 僕の中での「腑に落ちたナンバーワン」かもしれない。それくらい感銘を受けました。

岸本 私もすごく勇気付けられた。本当はその言葉の通りなんだけど、みんな日々の生活を効率良く送るために、自分の中の10歳や18歳を封印して生きてるんでしょうね。でも誰の中にも、いることはいるんですよね。

岡村 そうだと思います。だから「ホドロフスキー、素晴らしいことを言うな」と思って。

岸本 でもそれを言葉として認識できてるのは、やっぱりすごいですよね。

岡村 そうですね。でもホドロフスキーの映画を見ると「さもありなん」と思いますね。

岸本 私は自分が好きだと思った小説を翻訳するんですけども、子供のまま来ちゃった人……「成仏できない子供霊」と私は言ってるんですけど、そういう作家が多いんですよね。そこに共感するから、作品を好きになるんでしょうけど。

岡村 それで思い出しましたけど、こういう話があります。『東電OL殺人事件』というノンフィクションを読むと、あの被害者の女性はすごく厳しい家庭に育っていて、彼女はお父さんに対する愛情があったんだけど、お父さんはそれを寄せ付けない人で、お父さんに対する愛情を満たされないまま育ってしまったみたいな話だったような気がします。満たされぬまま育っていく中で彼女はファザコンのようになって、そのうち恋愛をし始めるんだけど、付き合う相手に父性を求めてしまうと。それぞれの相手がそこに重さを感じてそれでうまくいかなくなって、付き合っては別れ、付き合っては別れという生活を送っていくうちに、ああいう方向に向かっていった、みたいな話だったような……。推測が入っているから彼女が実際どう思っていたかは分からないんですけど、「子供の頃に親に愛されたかった」みたいな思いはずっと抱えていくものなのかしら?と思いました。

岸本 思い返すと、中学、高校、大学、その先でも周りの女の子でそういう感じの子はいましたね、「父の娘」(*)と言うらしいんですけれども。お父さんに愛されたいんだけれども、日本のお父さんってべたべたしない、直接的な愛情表現をしないじゃないですか。そういうのもあって(態度としては)冷たいお父さんだったりして。そうすると成績がいいときだけ褒められるわけです。だからうんと優秀な子の中に、割とそういう子がいた。生育の過程でそういうことがあると、そこで何かが止まっちゃうというのはありますよね。

*ユング派の心理学者シルヴィア・ペレラによって提唱された概念。父(実父のみならず「父性的なもの」)の強い影響下にある女性のこと。

岡村 だから子供のときの体験って根深いんだなと。人によっては一生それを抱えながら生きていくんでしょうし。

岸本 そうですよね。というか人間って、もうそれしかないような気すらするんですよ。例えば政治思想で右だ左だとかいうけど、そういうのもその人の本当の意見じゃなくて、結局は「その人がどう育ってきたか」に左右されているんじゃないか……と思っちゃうことがありますね。

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