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思っていることを文章にすることの困難さ

本を読みながら、noteを読みながら、映画やアニメをみながら、または、
誰かの言葉を聞きながら、
私は「そう!そう!そうなんだよ~!」「あぁ!そうだったのか!」と思う。
そうして、うれしくてたまらない気持ちになる。

それは、
私の内にある思いが、言葉、文章、物語という
目にみえるカタチでこの世界に表されたことに、深い喜びを感じるからだと思う。(大げさかもしれないけれど)

思いというのは心の方向性のようなものかもしれない

茫洋として混沌としてもやもやとして、つかめそうでつかめなくて、
でも、どこかを目指していくような、そこに集まって凝縮してカタチになろうという気配を感じる。

でも、そこで分けて言葉にするとなんか違うようなことになってくる。
思っていたこととずれてくる。

1週毎にnoteに1記事投稿すると決めている。
そして、私が「そうなんだよ~!」または「そうだったのか!」という気持ちになったことをテーマにしている。

それを文章というカタチにしたい。

のだけれど難航している。

「ああ、『そう』だったのか!」
「何が『そう』なの?」
「あのね・・・・」
というかたちで長い物語を語らないと、「『そう』だったのか!」の「そう」はことばにならない。そして語り終えるまで、語っている当の本人も、自分が何を「見た」のか分かってはいないのである。
― 内田樹『他者と死者』文春文庫 p.11(まえがき)

この本をここで引用するのには適切でないかもしれない。
けれど、まえがきを読んで思った。

私の思いを分かるために、文章というカタチにしよう


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