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刀ステの視点で見る能『黒塚(安達原)』

能楽好きの審神者です。
能『山姥』、能『鵺』からみた刀ステの考察を進めていた人間です。前作までの記事を見ていたただいた方々、ありがとうございました!

いい加減、後追いの考察ばかりなのでこれからの作品と関連しそうな能を予測しようじゃないか!!

私の予測は……能『黒塚(安達原)』だぁ!!

…と息巻いていたら、刀ミュの「花影揺れる砥水」ですでに『黒塚』の詞章が使われているという集合知をX(Twitter)で手に入れまして…ぉおん……となっていたところです。

「花影」との考察については、別の記事で書く予定です…。アーカイブ配信が始まったらそちらの記事は進めますね……。
と、いうことで、「花影」の話は一旦横に置いておいて。
刀ステの視点から能『黒塚』についての解説等を進めていきたいと思います!これから先の作品との関連があるといいなー!ということで、刀ステ考察勢の方々へ少しでも手助けとなる情報を提供できたらなぁ…とおこがましくも思って筆を執りました。与太話程度に読んでもらえればと思います。

※あくまで素人知識なので、記憶違いや知識違い等もあるかと思います。ご了承ください。
刀ステ・刀ミュに関わるネタバレ要素を含みます!(特に刀ステ「无伝」のラストについて重大なネタバレをしています!!)気になる人は回避をお願いします。
※今回もあまり(というかほとんど)文献研究を進めていないです。だいぶ浅い情報となりますので、ご了承ください。


能『黒塚(安達原)』について

概要

ということで、能『黒塚(安達原)』についての解説を進めていきたいと思います。
まずこの曲ですが、観世流では『安達原』という題名となっており、それ以外の四流(宝生・金春・金剛・喜多)では『黒塚』という題名となっています。
私は宝生流のお稽古をしている人間なので『黒塚』という表記で解説を進めていきますね。(題名の違いはあれど、大まかな内容に違いはないので。)

あらすじ

【登場人物】
シテ…前半は貧しいあばら家に住む中年の女性。正体は安達ヶ原の鬼女。
ワキ…紀伊の国、那智の東光坊の阿闍梨・祐慶
ワキヅレ…祐慶に同行している山伏たち
間狂言…祐慶に同行している能力(のうりき:寺で力仕事をする下級の僧)

【あらすじ】
那智の東光坊の阿闍梨である祐慶は、同行の山伏たちを連れ、諸国行脚の旅をしている。奥州に到着した一行は、人里離れた安達が原で日暮れを迎えてしまう。困窮する山伏たちの前に一軒のあばら家が現れ、その家にいた一人の中年の女に一晩の宿を頼むこととした。女は、一度は家のみすぼらしさ故に宿を貸すことを断わったが、それでもと頼み込む山伏たちを泊めた女は、山伏たちに乞われ、糸繰りの様を見せる。そして自分の閨の内を決して見ないようにという約束をして、夜寒をしのぐための薪を取りに行った。
もっとも、そのように言われてしまうとどうしても気になってしまうのが人の性。一人の能力(間狂言)が祐慶ら他の山伏たちが寝ている隙に閨の内を覗いてしまう。そこにあったのは天井まで積みあがった屍体の山。あわてて祐慶たちを起こし、宿から逃げ出そうとするところに、鬼女は本性を現して襲いかかる。祐慶らの必死の祈祷により鬼女は祈り伏せられ、弱り果てて最後は消え失せるのであった。

「安達ヶ原の鬼女」の伝説

さて、この『黒塚』は「安達ヶ原の鬼女」の伝説に基づいて作られた曲となっています。『拾遺和歌集』『大和物語』には平兼盛が詠んだ歌
「陸奥の安達原の黒塚に 鬼籠れりと聞くはまことか」
が引用として使われています。もっとも、この和歌は深窓の令嬢をあえて「鬼」に喩えた懸想の和歌だそうですが、実際に「安達ヶ原の鬼女」の伝説は広く知られています。
ということで、ネットからの情報になりますが、「安達ヶ原の鬼女」の伝説を紹介します!

岩手という名の女性が、とある公家に奉公していた。その家の姫は幼い頃から不治の病であったために、岩手はその病を治すための薬を求めて各地を転々とした。その薬とは、妊婦の腹の中にある胎児の生き肝であった。やがて岩手は安達ヶ原の岩屋に潜み、標的となる妊婦が通りがかるのを待ち構えていた。
ある時、若い夫婦が岩屋に一夜の宿を求めた。女は臨月の身重、しかも夫は用事があってそばを離れた。岩手は女を殺すと、胎児の生き肝を取り出して遂に目的を果たした。しかしふと女の持ち物に目をやると、見覚えのあるお守りがあった。それは幼くして京に残した実の娘に与えたものであった。今自分が手に掛けた女が我が子であることを悟った岩手は、そのまま気が触れて鬼となった。そして岩屋に住み続け、旅人を襲ってはその肉を貪り食うようになった。
時が過ぎて神亀3年(726年)、紀伊国の僧・東光坊祐慶は旅の途中で日が暮れてしまったために、安達ヶ原の岩屋に宿を求めた。そこは岩手が鬼と化して住み着く場所であった。岩手は薪を拾いに行くので、奥を覗かないように言って外に出た。祐慶は気になって覗くと、そこには累々と人骨が積まれており、ここが安達ヶ原の鬼婆の住処であると気付いて逃げ出した。やがて戻ってきた鬼は、旅の僧がいないことに気付いて後を追い掛けた。鬼は僧を見つけると、恐ろしい速さに追いつこうとする。そしてもう少しで手が届くところとなり、祐慶はもはやこれまでと如意輪観音像を笈から取り出して経文を唱えた。すると、観音像が天高く飛びたつや、光明を放ちながら白真弓に矢をつがえて鬼婆を射抜いたのである。

日本伝承大鑑 観世寺 黒塚

これは、黒塚の近隣にある観世寺の発行による『奥州安達ヶ原黒塚縁起』によるものだそうです。黒塚は実際にあり、福島県二本松市(旧安達郡大平村)に鬼婆の墓が残っているそうですね(引用:Wikipedia)。
そして、この伝説の顛末部分には諸説あるようで、

・観音像の力で雷鳴が轟き、鬼婆は稲妻に打たれて絶命した。
・鬼婆は殺されたのではなく、改心させられて仏教へ帰依し、高僧となった。
・祐慶は追いかけてくる鬼婆から必死に逃げ、夜が明けたのでそのまま逃げ切り、命が助かった。

Wikipedia「黒塚」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%A1%9A

などなど。また、祐慶は鬼女を倒すために安達ヶ原に行ったという伝承もあるそうで…まぁ、こうした諸説があるのは伝説や伝承によくあることなのでそこは深掘りしないでおきますね。(ちゃんと文献研究した方がいいとは思いますが、そこを注目したいわけではないので…。)

能『黒塚』について

それでは、能『黒塚』という曲についての解説をいくつかしていこうと思います。
まずこの『黒塚』の作者は、宝生流の謡本では「禅竹氏信(一書近江能)」と書いてあります。ちなみに禅竹氏信は金春禅竹のことで、世阿弥の娘婿だった人物ですね。近江能(近江猿楽)というのは、映画でおなじみの「犬王(道阿弥)」が所属していた座のことです。犬王は同じく般若物である『葵上』を得意としていたことから、その説が出たようです。
もっとも、通説では作者不明とされています(世阿弥という説もあるようですが…)。

この曲のシテは、前半では賎女(貧しい女)として登場します。この時に付ける能面は「曲見(しゃくみ)」とよばれる中年女性を表す能面です(「深井」「近江女」という面を使うこともありますが、どれも中年女性を表すのには変わりありません)。ちなみに、中年女性の役は、装束や扇の中に「赤(紅)」を入れないのがルールとなっており、「色無(紅無)」といわれております。(逆に、若い女がシテの時には必ず「赤(紅)」を入れる(「色入」)ことがルールです。)
そして後半は鬼女としての正体を現すわけで、付ける能面は「般若」となり、「打杖」と呼ばれる杖(鬼などが使う攻撃用の武器となる杖)を持ちます。そして、鬼女の役では装束(縫箔:ぬいはく)の柄が鱗模様(三角形が組み合わさったもの)のものが使われるのが通例です。これも人外を表すものとなっているわけですね。

この曲の中では「イノリ」と呼ばれる「働き事」(お囃子に合わせて行う舞物)が入ります。この「イノリ」は『葵上』『道成寺』にも入っているもので、ワキの僧侶が法力でシテの鬼女を調伏しようとする場面を表しています。この「イノリ」では、ワキ(僧侶)が数珠を合掌した手で押し揉みながらシテに迫るという動きが何回も見られます。そのたび、シテは身を縮こませて顔を伏せ、少ししてから振り切ったように顔を上げてワキを睨む…という動きが繰り返されます。ちなみに、この数珠を押し揉むところで「ジャッジャッ」と音が鳴るんですよね!そして、このイノリの後はがっつりと真言を元にした呪文が唱えられるので、ファンタジーというか…中二心がくすぐられるというか…!これはぜひ舞台で聞いてほしいところです。面白いですよ!!

能の「鬼女」について

と、いうことで。この『黒塚』はみんな大好き「般若」の面を使った曲です。この般若面は「女の嫉妬、怨念、悲しみ、嘆き、これらをひとつの面の中に融合したもの」とされています。恐ろしい表情をしていると言われていますが、顔を伏せたところでは悲しみや嘆きをこらえたような表情にも見えるとされています。また、乱れた黒髪が書かれていたり、眉がうっすら書かれていたりと、ところどころ女性面の名残が見られます。
そして、瞳は金色で塗られています。「金泥」とも呼ばれますが、この瞳が金色となっている面はどれも人外のモノを表しています。
「般若」という名前については諸説あり、室町時代、奈良に住む僧侶・般若坊が芸術性を盛り込み創作した面という説と、仏教ではさとりの智恵を般若といい、智恵を使って鬼の面を制作したことから般若という説があります。(引用:the 能ドットコム

この般若面を使う曲の中でも『黒塚』・『葵上』・『道成寺』「三鬼女」と呼ばれます。
この「三鬼女」にはそれぞれ特色があり、『黒塚』は陸奥の山麓の鬼なので黒系の般若面を使うことが推奨されているそうです。ちなみに、『葵上』は高貴な六条御息所がシテなので位高く白系に彩色された般若、『道成寺』は激情のあまり蛇体に変身した女なので赤系の般若が相応しいとも言われています。(引用:the 能ドットコム
ちなみに、般若面は有名ですが、実はこれを使う曲ってそんなに多くないんですよね。あと使われる曲といったら『紅葉狩』がありますが、こちらのシテは「美女に化けている鬼」なので、女が執念を募らせて鬼となった「鬼女」とは別物とされており、「三鬼女」には入らないとされています。
あとは、『鉄輪』で使われることもあるのですが、一般的には「橋姫」「生成(なまなり)」という、般若になる一歩手前の能面が使われています。(『鉄輪』の説明は省略しますね…。気になる人は調べてください!)

『黒塚』で歌われる「糸」

さて、この『黒塚』では「糸」がキーワードとなっています。というのも、家に招き入れられた祐慶は、家の中にある「枠桛輪(わくかせわ)」と呼ばれる道具を見つけ、それの使い方を女に聞くのです。この「枠桛輪」というのは下のイラストのような道具で、糸繰りを行うための道具とされています。


枠桛輪(引用:能楽イラスト+++

この枠桛輪は賎女の仕事で使われる物とされており、祐慶が使う様子を見せてほしいと言った時にも、シテは客人の前でその仕事を見せるのが恥ずかしいことである、と述べています。それでも糸繰りの様を、「糸尽くしの謡」と共に見せるのです。この場面はロンギとよばれる部分で、観世流では「糸ノ段」と呼ばれる部分となります。

能『黒塚(安達原)』のロンギのイメージ(引用:能楽イラスト+++

ここの「糸尽くし」の謡がとても情緒あるものとなっているわけなので、その前後も含めた詞章を載せたいと思います。

【地謡 次第~】※〈地〉=地謡が謡う場所
〈地〉麻草(まそう)の糸を繰り返し。麻草の糸を繰り返し 昔を今になさばや
〈シテ〉賤(しず)が績麻(うみそ)のよるまでも
〈地〉世渡る業(わざ)こそ。物憂けれ
〈シテ〉あさましや人界に生(しょう)を受けながら。かかる浮世に明け暮らし。身を苦しむる悲しさよ
〈ワキ〉はかなの人の言の葉や。先ず生身(しょうじん)を助けてこそ。仏身を願う便りもあれ
〈地〉かかる浮世にながらえて。明け暮れ ひまなき身なりとも。心だに真(まこと)の道に かないなば 祈らずとても終(つい)になど。仏果の縁とならざらん

【クセ】
唯これ地水火風の仮に暫くもまとわりて。
生死(しょうじ)に輪廻し五道六道に廻る事唯(ただ)一心の迷いなり。
およそ人間の。あだなる事を案ずるに人更に若き事なし終(つい)には老いとなるものを。
かほど はかなき夢の世を などやいとわざる 我ながら。
あだなる心こそ恨みても かいなかりけれ。

【ロンギ】※ここが「糸尽くし」の部分。「糸の段」。
偖(さて)そも五条あたりにて夕顔の宿を尋ねしは
〈シテ〉日陰の糸の冠(かむり)着し。それは名高き人やらん
〈地〉賀茂のみあれにかざりしは
〈シテ〉糸毛の車とこそ聞け
〈地〉糸桜色も盛りに咲く頃は
〈シテ〉来る人多き春の暮(くれ)
〈地〉穂に出ずる秋の糸薄(すすき)
〈シテ〉月によるをや まちぬらん
〈地〉今 はた賤(しず)が繰る糸の
〈シテ〉長き命のつれなきを
〈地〉ながき命のつれなさ。思いあかしの浦千鳥 音(ね)をのみひとり鳴きあかす
音(ね)をのみひとり鳴きあかす

宝生流謡本『黒塚』P,10~15

この部分では、「糸繰り」「輪廻転生」を重ね合わせており、賎が女の業である糸繰りをしながら浅ましくも生きながらえる姿や、糸の様に長い命の辛さを語る部分となっています。この「身を苦しむる悲しさよ」のところでは「シオリ」という涙を流す型をするのもあり、悲壮感に満ちた場面となっているわけですね。

「安達ヶ原の鬼女」の伝説では、この糸に関する話は出てこないかと思います。ということで、おそらく能『黒塚』のオリジナルな描写となっているのかなぁ、とも思います。この部分があるからこそ、曲の深みが出ているように思うんですよね!

ところで、この謡をよく読んでいただければわかるのですが、仏教的な用語がじゃかすか出てきていますね!また仏教!!
…と文句を言っても始まりません。能と仏教は切っても切り離せないものなので、ここらへんの考察は有識者の皆様に投げるか、時間があったら「花影」の考察のところで深掘りしようかと思います…。

能『黒塚』の鬼女について

ということで、ここまで『黒塚』の解説を書いてきましたが、疑問が一つ残るかと思います。それは、「鬼女は襲う(食べる)つもりで祐慶一行を泊めたのか」ということです。
前半部分において、シテ(鬼女)は祐慶一行に宿を貸すことを(あまりもみすぼらしい家だからという理由で)断っています。そして、糸繰りの様を見せる時の様子でも自らを恥じるような言動をしています。極めつけは後シテ(正体を現した鬼女)の持ち物です。この時の持ち物に「負い柴」つまり、夜寒をしのぐために取ってきた薪を持っているんですよね…!ちゃんと取りに行ってたんじゃん……!!
…と、こうした描写を見ると、旅人を襲い、閨の中に死体を積み上げる鬼婆のイメージとはあまり合わないように思いませんか?
(葵上と道成寺は襲うターゲットが固定されているので除きますが)人を襲う鬼がシテとなる『紅葉狩』では、ワキの平維茂をあの手この手で誘惑していて(なんならお酒まで勧めて)傍から見ていても怪しさ満点なのですが、それに比べると『黒塚』の鬼女はだいぶ慎ましい…といっていいか分かりませんが、少なくとも前半部分では敵意があるようには感じられません。
謡本にある曲趣でも「前シテは鬼女の化身ではあるが、決して強く荒くなってはならず、どこまでも静かな女でいなければならない」とされています。もちろん、静かな中にも凄味を含めた方がいいとされているのですが…。

私のふせったーでも書いたのですが、『黒塚』は私の好きな曲の一つなんですよ…。
能の前半で現れる鬼女は、とにかく苦しみ、自らを恥じ、人生のままならなさを嘆くという、人間らしいというか…人外が人間のように苦悩するというか…。いっちゃあなんですけど、山伏一行が閨の内さえ見なければ、もしかしたら救われたかもしれないのに…っていう余白が感じられるところが好きなんですよ…..。
本来、悪役である鬼女の寂しさを感じるところが、ね。たまらなく切なくて好きなんです。ただ、最終的にはこの鬼女は退治されるわけなんですが、その最後の場面も切ないんですよね。

黒塚にかくれ住みしもあさまになりぬあさましや
恥かしの我が姿やと いふ声は猶(なお)物凄まじく
いふ声はなほすさまじき夜嵐の音に立ち紛れ失せにけり
音に立ちまぎれ失せにけり

宝生流謡本『黒塚』P,23~24

ここですね!この「恥かしの我が姿や」の部分で、シテはワキたちに対して扇で顔を隠す型を行います。最後の最後まで、自分のことを恥じているんですよね…。
ちなみに、「三鬼女」の他の曲はというと、『葵上』のシテ・六畳御息所の生霊はイノリによって祈祷を受けたことにより「成仏得脱の身となり行くぞ有難き」と言って消えていきます。生霊ではありますが、ちゃんと成仏できた描写が出てくるんです。で、『道成寺』「日高の川波。深淵に飛んでぞ入りにける」とあります。生死不明…っ!ついでに鬼女関連で言えば『鉄輪』のシテ・夫と後妻を恨む先妻「時節を待つべしや。まづ此度は帰るべし」といって姿を消します。リベンジする気満々……っ!!
こうした曲と比べても、きちんと退治された(消え失せた)という描写があるのがなんとも…。

そういえば、とあるフォロワー様が、能『山姥』のシテの)山姥はオーガニック由来の鬼女で~」っておっしゃっていました。言いえて妙っ!!!『山姥』のシテは自然発生的に生まれた存在だからこそ、人を襲わずにいられるし、自らを必要以上に恥じる姿もないわけなんですよね。そうした人間らしい(正確にいえば、化け物になってしまった人間の心を描写している)姿があるのも『黒塚』の特徴といえるのかもしれませんね。

刀ステの視点から見る『黒塚』

なんか、解説だけでお腹一杯になってきました…これからが本題です……。
ということで、今後の刀ステ、もっと具体的に言えば无伝のラストで示唆された(フラグが立った)「陽伝」と関連するんじゃないか?と予測している部分について、私なりの考察を立てたいと思います!

刀ステ「陽伝」について

无伝のラスト、これまでの時間軸でいなかった高台院を引き込み、その高台院を三日月に(よりによって高台院を元主とする刀に!)斬らせるという悪魔の所業を成し遂げた「朧なるもの」達。
そして場面は永禄の変…悲伝の最初のシーンに飛びます。息絶える義輝公の血を吸い、赤く染った桜と共に刀が顕現する。悲伝では「鵺と呼ばれる=時鳥」が顕現されるはずが、そこに顕現したのは…

天下五剣が一振 鬼丸国綱…!

こうして、巻物に書かれていた「悲伝」「陽伝」と変わる…という衝撃のラストを迎えるわけでした。

ここらへんの考察は偉大なる先人方に任せるとして…。
「陽伝」と能が関連するなら何があるかなーと考えました。
「鵺と呼ばれる」が「鬼丸国綱」になることから、「鵺」から「鬼」に変化した…つまり、「鬼」を題材にした能が来るのでは?と思って、私がアタリをつけたのが『黒塚』なわけです。
その根拠を書き連ねていきますね!

刀ステと『黒塚』の関連

①『黒塚』の詞章に時間遡行を示唆するような文言がある
先程の引用部分を見ていただければと思うのですが、「次第(しだい)」とよばれる部分において、「麻草の糸を繰り返し 昔を今になさばや」という謡が出てきます。
昔を今になす…??って、時間遡行…!繰り返される時間軸じゃん……!!
ということで、鬼女物の中でもダントツで刀ステと親和性が高いと読んでいます。

②「結いの目」と「糸」
悲伝のキーワード…というより、刀ステにおける重要語句となっている「結いの目」ですね。繰り返される時間軸の中でその起点となっていった三日月宗近を表す言葉となっているわけなのですが、この「結いの目」が劇中で解説されているときに、糸が絡まりあうような描写をされています。
そして私は直接見ていないのですが、悲伝のパンフレットは表紙から裏表紙まで一本の糸がつながっているそうなんです…。
ということで、この「糸」というのも悲伝における隠れたキーワードなのではないか、と考えたわけなんですが。
能『黒塚』は「糸」がキーワードだという話は先ほどしましたね…?
もっと言えば、能『黒塚』で出てくる「枠桛輪」糸繰りの道具であり、糸を巻きとる道具でもあります。さらに「輪廻転生」を示唆する道具としても使われます。
もうこれ、刀ステとめっちゃ親和性の高いアイテムになりません……??

③仏教的な要素がある
これはちょっと弱い部分なのですが、これまでの考察を進めていく中で刀ステには仏教的な要素が見え隠れしているような気がしてならないのです。(『外伝』における惑い(=妄執)『禺伝』における「狂言綺語」など)
となると、仏教的な考えが随所にみられる『黒塚』とは親和性が高いと思います。

④鬼女にもバックグラウンドがあり、悲劇的な背景をもつ
これは私の感情的な部分も入って来るのですが…。刀ステの作品、とくに悲伝においては、敵である「鵺と呼ばれる=時鳥」にも確固たる思いがあり、観客側からも感情移入ができるような描写が見られます。无伝に出てきた「真田十勇士」もそうですよね(私は鎌之介と十蔵が刺さりました)。
その点でいえば、『黒塚』もシテ(鬼女)にも感情移入ができるような要素がいくらか見られます。そういった点でも、親和性が高いんじゃないかなぁ…?と思うわけなのですが。

以上の4点から、刀ステ「陽伝」と能『黒塚』は関連が出てくるのではないか?と推測をしています。

となると、欲を出してもうちょっと予測を立ててみたい!
ということで、もしかしたら「陽伝」でキーワードとなるかもしれない要素も上げてみようかと思います!

それが、「見るなのタブー」です。

能『黒塚』では、シテが「閨の内を決して見ないように」と約束して薪を取りに行くわけですが、その約束を破ったがためにシテは安達ヶ原の鬼女としての正体を現して襲い掛かるわけです。
この「見てはいけない」という約束を破ってしまった結果、悲劇が起こる、というストーリーのパターンは「見るなのタブー」と呼ばれます(引用リンク:Wikipedia)。
世界各地でこのモチーフを使った民話や神話が見られるわけですが、日本でも同じような話はありますね?日本神話における「イザナミノミコト」の「黄泉比良坂」の話ですね(引用リンク:Wikipedia)。
日本神話でもメジャーな話ですし、なにかとモチーフには使えそうな気がしません?ということで、もしかしたら「見てはいけないモノ」や「見てはいけない約束事」が登場するのかもしれませんね…。もしくは、黄泉比良坂と関連づけるなら、ヨモツシコメ(黄泉醜女だったりヨモツイクサ(黄泉軍だったりを出すとか…?時間遡行軍とそこをフュージョンさせちゃったり……??
とまぁ、ここらへんは完全に私の妄想となりますので、完全に与太話になりますね!鼻で笑ってやってください。

あとがき

ということで、長々と好き勝手な解釈・考察を書きました。
だいぶ内容がとっ散らかっているのですが、これもひとえに「単独行」の初日に間に合わせるため…!
X(Twitter)での情報を見るに、何が起こるのかまったくもって分からないので、手あたり次第に関連しそうな情報を出しておこう!という欲があって…。
前作たちもそうですが、「単独行」によっていろいろな仮定だったり考察だったりが爆死するかもしれないなぁ…とも思いつつ、一体どんなストーリーになるのかドキドキわくわくハラハラな心持です。楽しみですね(白目)

最後になりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました!
また追記をするかもしれませんし、有識者の方々からの情報が出たら書き換えるかもしれません。拙い文章ではありますが、少しでも楽しんでいただけたのなら幸いでございます!重ね重ね、ありがとうございました!!

【引用・参考文献】

・宝生流謡本『黒塚』(昭和49年発行)
・宝生流謡本『葵上』(昭和54年発行)
・宝生流謡本『道成寺』(平成3年発行)
・宝生流謡本『鉄輪』(昭和50年発行)
・宝生流謡本『紅葉狩』(昭和48年発行)
・「すぐわかる 能の見どころー物語と鑑賞139曲」著:村上湛
the 能ドットコム
日本伝承大鑑 観世寺 黒塚

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