たわいもないこと 


月に一度、僕が落語と弾き語りをする会を
大阪の中崎町にあるギャラリーで開いている

古民家をリノベーションした空間がとても素敵
声が外に漏れるのでそこはいつも気を使うけど
僕はこの場所が好きだ

落語のお客様はもちろん
音楽仲間も楽しみに見に来てくれる

全世界に30人ぐらいしかファンのいない僕には
とても有難いことだ

この会では日々の中で感じたことを
出来るだけ素で喋るようにしている

喫茶店で喋るみたいな感じ

普段の寄席の高座ではこういうことはしない
お客様の年齢や趣味が多種多様で
僕だけを見に来たわけではない
プライベートなことも少し広域に伝わるように
変えて話す

うちの師匠からの教えでもあり
これを僕もとても大切にしている

このギャラリーでの会は
あえてそれをせずにやっている

理由はシンプルで
リピーターのお客様が多いからだ

月に一度という頻度も
関係してるのかもしれない

意図的ではなく自然とそうなったので
このままで良いのかなと思っています

会が終わると団欒できる空間があって
お客様同士でコミニケーションを計っておられる

主賓の僕を差し置いて(笑)
それはいつも盛り上がっている

それもこの会の良いところだと思っている

ともすれば

演者は表現者で
お客さんは受け手 と取られがちだけれど

お客さんも見たり聴いたりすることで
表現をしている

こんな話を聞いたことがある

ある落語会のお客さんが
SNSで辛口のレビューを書いた

それを見た演者が

こちらの表現に対して
他の方が不快に思うことを書かないで欲しい

と伝えた

こういうことがあるのはたまに聞く

僕も「書かなくてもいいんでは?」と思うけれど

相手の人も表現しているんであって
知ったことっちゃないだろうなぁ とも思う

ともに表現した意味や後の事の方が大事で
物事が良い方(公益性が上がるとか?)に向かえば

めくじらを立てることもないのかなぁと
そう思う様に心がけています

話を戻して

ギャラリーに見に来てくれた友人に
花見にいかないか? と誘ってみた

他人を誘って花見をすることは
僕にとってはとても珍しいことなんです

なんでも独りで済ましてしまうので

コロナ禍の中で
花をみることも憚るような毎日

そんな中
古い友人が毎月会に足を運んでくれるので
せめてものお礼と

花を見るという
たわいもないことがとても愛しく感じたので
日が合えば桜並木を散歩してきます

僕が落語をすることも弾き語りすることも
子どもと遊んだり、独りで過ごしたりすることも

きっとたわいもない事だと思います

生きるって
何かを感じることだと思うんです

毎日はたわいもないことの連続で
それを楽しめるか味わえるか

それを感じることを
欲してるのかもしれません

長々といつもすみません

書いてる最中に師匠から電話がありました
「うぐいすの声を聞いた」と

春ですね

早めに出かけて少し歩いてみます

いつも有難うございます
ではまた








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