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【詩の森】人間として

人間として
 
ドキュメンタリー映画
『クワイ河に虹をかけた男』を見た
その男の名は永瀬隆さん
そして妻の佳子さん
ウィキペディアには
永瀬さんの実績はたった一行
「泰緬鉄道建設捕虜虐待事件犠牲者慰霊活動」
とあるだけだ
またいっぽうでは
政府がやらなかったことを成し遂げた
「たった一人の戦後処理」
ともいわれている
しかしそれらの言葉は
どこか表層的すぎるのでは
ないだろうか
 
永瀬さんは
陸軍の英語通訳として従軍し
タイで終戦を迎えた
無謀な泰緬鉄道建設では
多くの連合軍捕虜や
現地の労務者が
犠牲になっていた
死の鉄道と呼ばれる所以である
復員した永瀬さんは
連合軍の墓地捜索隊に参加する
そこで
悲劇の全容を知ったことが
永瀬さんの人生を決定づけたのだった
四十四歳で結婚するとき
佳子さんに伝えた
プロポーズの言葉は
「巡礼の旅を一緒にしてくれ」
だったという
 
妻を同志として迎え
子もなさず一途に生涯を捧げた
タイへの慰霊の旅は
135回に及んだ
実は終戦当時タイ政府は
12万人の日本軍の復員兵全員に
米と砂糖を支給したのだという
永瀬さんの旅は
その恩義に報いるためでもあったのだ
永瀬さんの年譜には
1964年の初めてのタイ巡礼以来
タイからの留学生受け入れ
クワイ河鉄橋での
連合軍元捕虜との和解の再会
クワイ河平和寺院の建立
クワイ河平和基金設立
無医村での移動診療と
超人的な活動が記されている
後に永瀬さんは
「やれることはなんでもやった」
と述懐している
 
それほどまでに
永瀬さんを駆り立てたものは
いったい何だったのだろう
永瀬さんはいう
「復員後の
ボロボロになった自身を立て直すため、
人間らしく生きるために
巡礼を続ける」と―――
妻の佳子さんも
「別に楽しいことはないん。
義務のように思うてしよるんじゃけん。
日本の国の恥じゃが。
それを感じとるんじゃけん、
しょうがねえ」と
事も無げに語るのだった
 
その佳子さんの言葉は
何か大きな忘れ物を
ひょいと手渡されたかのように
ずしりと僕の心に届いた―――
どんなに優れた人でも
人を思いやる心がなければ
人間としては半人前だろう
戦争は最大の人権侵害だといわれる
戦争が終わっても
それで終わりではない
破壊された社会の復興と
傷ついた人々への癒しが
必要だからだ
それでも
一生苦しみ続ける人もいるだろう
一生恨み続ける人もいるだろう
その不幸の大本には
あの忌まわしい戦争が
いつも横たわっているのだ―――
永瀬さんはいう
「戦争はするもんじゃない、
絶対に」
 
永瀬さん夫婦は
戦争によって踏み躙られた
人間としての尊厳を
ただただ
取り戻したかっただけでは
ないだろうか
思えばタイ政府は
復員兵を人間として処遇し
慈悲の恵みさえ与えてくれた
本来なら自らの不明を恥じ
その恩義に報いることこそ
日本政府の役目だったはずだ
ところが永瀬さん曰く
「負けたことをいいことに何もしない」
のだった
それどころか
混乱を恐れた外務省は
永瀬さんの和解活動の中止すら
要請してきたという
 
恨みが残れば次の戦争の熾火に
なるだけだろう
それでは
地上から永遠に戦争は
なくならない
あろうことか
日本政府は今
戦争体験者が鬼籍に入るのを
待っていたかのように
憲法9条をかなぐり捨てようと
画策している
人類は愚かな為政者のもとで
絶滅への道を突き進むのだろうか
それとも
賢明な人々の願いと努力によって
核兵器を
そして全ての武器を
無くしていけるのだろうか
人間としての真価が
問われている―――
 
嗚呼
それにしても
何とあっぱれな夫婦だろう
この映画の最後は
亡くなられたふたりの遺骨を
クワイ河に散骨するシーンだ
それは
ふたりの遺言だったという
夫婦をおとうさんおかあさんと慕う
たくさんのタイの子どもたちが
色鮮やかな花びらと一緒に
遺骨を河へ流してゆく
子どもたちの手によって
この類まれな夫婦は
クワイ河の精霊と
なったのである―――
 

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