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【詩の森】521 惻隠の情

惻隠の情
 
韓国ドラマを見始めた頃
そのストレートな物言いにとても驚かされた
彼らは嫌なものは嫌だとはっきりいう
シロヨという言葉の響きが
今も耳底に残っているほどだ
そうかと思うと
女性が男性に「私のこと好きなの」と
平気で尋ねたりもする
サランへ(愛してる)という言葉は
おそらく日本よりも
頻繁に交わされていることだろう
そして意思疎通が必要となれば即座に
「俺たち、話し合おう」となる
何だかとても民主的だ
 
実際の韓国社会は
敬語一つとっても長幼の序が絶対だし
家の柵も強く男女格差もあからさまのようだ
日本に輪をかけた学歴社会だともいわれている
それでも
パンマルというくだけた言葉を使う間柄になると
俄然いきいきしてくる
僕がパンマルに解放感さえ抱くのは
僕らも権威主義的な重圧のなかにいる
せいかもしれない
韓国人がシロヨといえるのは
人として対等だからではないだろうか
一つの物差しで人を評価するなら
結局は差別につながっていくだろう
 
明治になって学校制度が整備されると
学力が物差しになった
しかしできる子というのは物差しの一つに過ぎない
にも拘わらず
できる子は過信しできない子は卑下する過ちを
共に犯してしまうのだ
できる子に国の運営を任せているのに
僕らを不幸のどん底に落とし入れたり
未だに全員を幸せにできないでいるのは
いったいどうしたことだろう
その物差しが間違っているか
その物差しでは測れない大事なことを
見逃してきたからではないだろうか
それが惻隠の情だと僕は思う
 
若者が政治を諦め
未来に希望を持てないなら
その国は死んだも同然だろう
48%もの国民負担率で猶自己責任を問う国と
59%の国民負担率で
教育費と医療費をほぼ無償化している
スウェーデンのような国とでは
いったいどこが違うのだろうか
かの国の人々は政治家を信頼し
貯蓄する必要がないのだという
しかし日本のように政治不信が募れば
国民は自己防衛するしかなくなるだろう
本来国民の幸せを追求するのが
国の目的ではなかったのか
 
経済格差の大本はおそらく
教育制度だろう
今の制度では親の経済力が子の学力に
直結してしまうのだ
民主制の根本は基本的人権の尊重だ
それを政策の根本に据えるスウェーデンにとって
教育・医療の無償化は
当然の帰結だったのではないだろうか
しかしこの国はまるで真逆だ
成人するまで子供たちを一切の選挙運動から遠ざけ
社会は変えられないものと思い込ませ
詰め込み教育と受験勉強で時間を奪い
親たちには教育に対する
莫大な出費を強いる
 
人を学力で順位付けし
序列化という差別を平気で行う
殺伐とした教育現場―――
何年も続いたいじめを苦に
自ら死を選んだある女子生徒は
僕らにこんな言葉を残した
「やさしい心が、一番大切だよ」
それはまさに孟子の唱えた
惻隠の情そのものではあるまいか
彼女は幼いながらも人間にとって一番大切なものを
見抜いていたのである
子供たちにそっぽを向かれる前に
大人たちが
この社会を変えなければならない
 
2023.7.11
 
 

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