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実家で聴くシリーズ①スマパンのシャム双生児なのだ

実家の子供部屋で、お盆という特殊なシチュエーションの最中に聴く、スマッシング・パンプキンズのサイアミーズ・ドリームはなかなか味わい深いものがある。

内向的な僕は、大人になっても、親戚付き合いというものが苦手で、気疲れをしてしまう。そうはいっても、いつまでも、子供のようなことは言ってられないので、家族の手伝いや訪ねてくる親戚をもてなすのにせいをだすのだが、これがなかなか疲れる。正直、親戚達が帰るとホッとしている自分がいる。別に親戚仲が悪いわけでは訳では無いのに、これは何なのだろう。

こうして今現在、元の家族だけの家になり、居間から離れ、子供部屋で一服しながら、スマパンを聴いていると、なんて子供のような音楽なのだろうと思う。誤解しないでほしいのは、スマパンの音楽は大人にとって、聴くに値しないなどと言いたい訳では無い。

キャメルにBICライターで優しく火をつけ、煙と束の間の自由を味わう。美しいメロディの曲であっても、ビリー・コーガンはあの泣きじゃくるような声で歌う。この美しい時間も間もなく終わり、真面目な長男坊として規範通り振る舞わくてはいけないのを知っているかのように。スマパンの音楽はどうせ終りが来る束の間の美しい時間なら、上品に享受なんてしないで、思いっきり泣き叫んで、目茶苦茶に過ごしてやろうという子供じみた欲望を感じる。

名曲、Todayは「今日はいままでで最高の日」と歌われるが、それは「明日はあまりにも長すぎる」という刹那的な感情の歌だ。「面目を保つためにあくせくするのはうんざりだった」とまで歌っている。
2ndヴァースの「ピンクのリボンが消えない傷になる」という、虐待を匂わせる歌詞も家や家族から解放されたいという、叶わない祈りにも感じる。(ソングライターのビリー・コーガンが虐待を受けていた事実があるかどうかは知らない)

インナースリーブ。家族写真のように見える。

散々、僕を理解して、僕を解放して、と泣き叫ぶような歌が続いたと思えば、アルバムのラスト2曲では歳下の子どもや赤ちゃんに語りかけるような曲が登場する。もう大丈夫だよ、とでも言いたげに。

君が赤ちゃんに歌ってやる あの月の歌が 君を見守ってくれるだろう

Luna

もう大丈夫だよ、スマッシング・パンプキンズ。と、大人の僕はラジカセに向かって、言ってやる。

サイアミーズ・ドリーム、それは、抑圧された子供たちが見る束の間の夢の世界なのだろう。



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