その道が一人称になるまで
5月、スペインの巡礼路を歩いた。サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂を目指す道で、巡礼者の間では「カミーノ」とよばれる。スペイン語で「道」という意味だ。
全長800キロを歩く気合いはなかったので、いくつもある巡礼路のうちのひとつを選び、最後の100キロだけを歩くことにした。
歩き始めることを決めた理由は、自分でもはっきりしない。
どこかできいて気になっていて、たまたま時間があって、航空券を買えるくらいの貯蓄があった。
日付を選んでチケットをおさえたら、行くことが予定になった。
10キロを超えるバックパックを背負い、意気揚々と歩きはじめた初日だったが、目的地の町まであと3キロというところでどうにも動けなくなってしまった。とにかく頭がぼーっとするし、なんだか気持ち悪いし、おまけに雨も降りだした。
道端に腰掛ける明らかに体調が悪い私に、最初に声をかけて立ち止まってくれたのがデニスだった。アメリカ人の元看護師。27歳だと自己紹介すると、「私は反対の72歳よ」、と笑った。カミ―ノを歩くために、3年前からトレーニングを積んできたという。結局最後の3キロは、デニスが一緒に歩いてくれることになった。
大丈夫?に大丈夫、と返すと、”Listen to your body!”と言われた。
仕事の歯車に飲みこまれていた私の身体はぎりりぎりりと不器用にまわり、そういえば、長らく歯車としての機械音しか響かせていなかった。
身体の声って、聞こえるんだ、と思った。もう少しなら、歩けそうだった。
街に向かう最後の下り坂に差しかかったころ、
What brings you to Camino? "どうしてカミーノにきたの?”ときいてみた。
デニスは、”夫のために歩いているの”と言った。
彼女の夫は3年前に亡くなっていた。1人で歩いているように見えたデニスは、2人で歩いていた。誰かと歩く確かさが、眩しくみえた。
街に着いて、お礼を言って、彼女とは別れた。それっきり、後にも先にも、道の上で彼女とすれ違ったのはその日だけだった。
一緒に歩きたい誰かはいなかったけれど、
私は私を私たらしめるものぜんぶと、カミ―ノを歩いた。
私がかつて絞めたにわとりの、小さな3本足と、一歩。
私がかつて焼いたキャバ―ブの、羊のひづめと、一歩。
私をかつておんぶして歩いた祖母の足と、一歩。
私が道ですれ違ったすべてのひとと、一歩。
私の中で寝たり起きたり埋もれたり芽吹いたりしている言葉と、一歩。
私を私たらしめたぜんぶと、一歩。
私的でよかったし、私的がよかった。
道を歩きながら時折、デニスのことを思いだした。
72歳をひっくり返した私より力強い足取りで、彼女たちは、サンティアゴ・デ・コンポステーラについたのだろうか。
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